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UCIL化学工場事故 (インド)
【1984】



1984年12月3日日付が変わった直後の午前0時過ぎ、インド・ボパールにあるユニオンカーバイド・インディア社 (通称、UCIL。本社はアメリカ) の殺虫剤工場で、微量のガス漏れが感知される。

制御室の従業員に一報が入り、従業員はすぐにガスの出所を調べ始め、非常に危険な化学薬品が厳重に保管されている保管施設に向かった。

保管施設にはホスゲン (第一次世界大戦の際に毒ガスとして使用された) の他、極めて毒性の高いイソシアン酸メチル (通称、MIC) が保管されていた。

特にMICは殺虫剤の材料に使用する為、大量に保管されていた。

従業員は施設内でガスの臭いを嗅ぎ付け、よく調べるとタンクからガスが漏れている事に気付く。

だが、その量は微量で、この程度の事はよくある事だった。

そして、タンクの温度や圧力を調べるも、異常はなかった為、対応の必要はないと判断し、制御室に戻った。

しかし、再び制御室に電話が入った為、再度圧力計を確認する。

すると、タンクの圧力が急上昇しており、数分後、最大値を振り切った。

0時20分、明らかな異常を感じた従業員は、再び保管施設へ向かった。

すると、先程とは違い施設内は熱気が充満しており、周囲のコンクリートが振動で小刻みに揺れていた。

従業員が制御室に戻ると、工場の通気管に有毒ガスが漏れ始めていた。

0時30分、緊急措置を取り、洗浄装置を使ってガスの中和を図った。

しかし、上手く機能しなかった為、次に流出したガスの焼却を試みた。

だが、これも上手くいかなかった。

ガスは工場中の通気管を駆け巡り、煙突を通ってついに大気中に放出された。

工場内にガス漏れが伝えられ、建物から退避するよう指示が出された。

午前1時、有毒ガスは北西の風に乗り、工場が隣接する地域へと拡大していき、50万人の市民が住む住宅地にガスが流れ出た。

濃度の高いガスが地表に降り、住宅地を包み込んだ。

すると、呼吸困難や目に痛みを覚える住民が続出し、混乱した住民たちが外に出て逃げ出した。

逃げ惑う人々で通路は埋め尽くされ、誰もが苦しそうにもがき、呼吸困難でバタバタと人が倒れていった。

工場ではガス漏れを防ぐ為の緊急措置がとられていたが、止める手立てはなかった。

従業員たちはガスを散らそうとホースで水を撒き始めるが、勢いが弱過ぎて煙突まで届かなかった。

病院も大勢の重症患者で埋め尽くされていた。

だが、医師たちは原因がわからず、これといった適切な処置が出来なかった。

午前3時を過ぎると、続々と死者が増えていった。

夜が開けた午前7時頃には有毒ガスは消えていた。

結局、ガス漏れによる犠牲者は最低でも3787人に及び (犠牲者は子供と高齢者が多かった) 、30万人以上が負傷した (2006年に55万8125人と発表された) 。

また、約4000人が深刻な後遺症に悩まされる事となった。

更に人間だけではなく、バッファローや牛といった家畜も大量に死に、被害は甚大なものであった。

事故は全世界に報道され、歴史上、最悪の産業事故とされた。

事故後、事態を把握する為にユニオンカーバイド社 (通称、UCC) のCEOウォーレン・アンダーソンがアメリカからやってくると、警察は事故の責任者として空港で逮捕した。

逮捕されたアンダーソンは
「私は無事でいると妻と母に伝えておいてくれ」
と述べ、逮捕されたものの、留置所に入れられる事はなく、連れて行かれたのは当時、ボパールで最も景観の美しい場所にあったUCILのゲストハウスであった。

そして、数時間後には保釈され、アメリカへ帰って行った。

事故の原因についての調査が行われた。

すると、500kgの水がMICのタンクに流入したと推測された (MICは水と触れた時に激しい化学反応を起こす) 。

そして、タンクから金属の欠片を見つけ、金属を物質を含んだ大量の水が、MICと触れた事で爆発的な化学反応を起こしたと結論付けられた。

だが、何故、大量の水がタンクの中に入ったかはわからなかった。

工場は最新の安全設備を導入していた為、このような事故は考えられなかった。


事故から数日後、CEOのアンダーソンは事故を否定し、従業員の誰かが意図的に事故を起こしたと主張し、会社に過失はないと発表した。

だが、極秘の調査が行われると、MICの保管施設と隣接する化学処理施設が、パイプで繋がれていた事が判明する。

これは会社側が作業効率だけを重視し、安全性を無視した結果行った措置であり、本来、MICの保管施設は他施設との繋がりを避けるべきであった。

しかも、事故当日の夜 (2日午後9時30分) に、パイプの洗浄が行われていた事が判明する。

この時、洗浄を行った従業員は水の流れの悪さに気付いていたが、すぐに回復した為、正常だと判断した。

そして、パイプに残った水がMICの保管施設に流れ込んだ。

だが、パイプを洗浄する時は必ず、2つの施設を結ぶパイプの間に金属製の仕切り板を挿入する決まりになっていた。

その仕切り板が無かった為、水が流れ込んだのだった。

ただ、施設の設計図によると、水がタンクに到達してもMICへの混入を防ぐ最後の砦があった。

不活性窒素ガスを注入する事で、タンク内には高圧層のバリアが作られていたはずであった。

しかし、事故当時、それが正常に機能していない事がわかった。

タンク内は事故発生20日以上も前から適正な圧力が維持されていなかった。

また、洗浄塔と焼却塔の2つの安全装置が機能していなかった。

洗浄塔は万一有毒なガスが漏れたとしても、ガスは瓶の形をしたタンクに入り、そこで苛性ソーダにより中和されるはずであった。

だが、事故当時、洗浄塔は運転を停止していた。

ただ、万が一洗浄塔を有毒ガスがすり抜けたとしても、焼却塔で燃やして無害にする事が出来た。

しかし、事故当時、焼却塔も運転を停止していた。

焼却塔は腐食したパイプを1m以上取り除き、そのままにしていた事がわかった。

また、工場は数年前に規模を拡張したものの、市場を見誤り赤字経営が続いていた。

その為、経費は削減され、仕切り板や壊れた装置や部品も新調される事がなかった。

しかも、1981年から84年の間に、5回事故が起こっており、1981年12月には3人が負傷し1人が死亡していた。

更に、メンテナンス作業の監督者はコスト削減により解雇されており、作業指示を出せる者や受ける者の質の低下が事故の要因の1つでもあった。


1989年、UCILのアメリカ本社は、被害者に4億7000万ドル (約600億円) の賠償金を支払う事で和解した (元々は30億ドル請求した) 。

数字だけみると莫大に思えるが、これは被害者1人あたりに換算するとわずか600ドル (約8万円) 程であった。

また、和解に応じた事と引き換えに、以降、いかなる刑事責任に問わないよう要求した。


2010年、UCILの経営陣であった8名が、業務上過失致死で有罪判決が下され、2000ドル (約20万円) あまりの支払いを命じられた。

会社側は未だに事故は従業員による意図的なものだと主張している。

事故後、UCILは工場を閉鎖されたが、設備は取り壊されずに残されており、除染されていない為、未だに有害物質が検出され続けている。

インド政府によると、事故直後の犠牲者以外に、事故が原因で1万5000人が亡くなったと発表した。

また、事故の後遺症等により、未だに週に2、3人が亡くなっているといわれている。

余談だが、事故当時のCEOアンダーソンは、その後、余生を過ごし、2014年に92歳の天寿を全うしている。



《犠牲者数》
4000人以上 (他負傷者50万人以上)

《事故日》
1984年12月3日



∽ 総評 ∽

工場から有毒ガスが漏れ住宅地に流入し、少なくとも4000人以上の犠牲者と50万人以上の負傷者を出した産業事故。

この事故は歴史上、世界最悪の産業事故とされてる。

赤字により経費を削減し、修理や補修、人件費を削減し、起こるべくして起こった事故であった。

最悪の結果になるにはいくつもの負の要素や些細な事がきっかけで起こる事が多い。

だが、今回の事故は最悪の結果になるまでいくつもの緊急措置があり、どれかが機能していれば防ぐ事が出来た。

しかし、それらの措置はことごとく機能しておらず、なるべくしてなった結果であった。

100%人災といえる事故であった。

結局は利益至上主義で人の命などゴミとしか思っていない経営者が生んだ惨劇といえる。

ただ、その最高責任者であるアンダーソンは、2014年、92歳まで生き天寿を全うした。

まさに「天道是か非か」である。