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スタニスラフス・ロゴレフス (ラトビア)
【1941 ~ 1984】



スタニスラフス・ロゴレフスは、1941年2月14日、ラトビア (この時はソ連) ・オーガー地区で生まれた。


ロゴレフスの幼少時代及び成人後の様子についてはよくわかっておらず、1980年代以前にいくつかの犯罪で逮捕されていた。


1980年10月、ロゴレフスは共犯者のアルディス・スワレと共に強姦事件を起こした。


同年10月26日、ロゴレフスはヨンプラヴァ駅の近くで、17歳の少女をナイフで脅し、森の中に引きずり込んだ。

少女が叫んだ為、ロゴレフスはナイフのハンドル (持つ所) で殴って強姦しようとした。

しかし、少女は逃げ出し、親戚の家に逃げ込んだ。


同年11月8日朝7時頃、ドール駅近くサラスピルで、ロゴレフスは44歳の女性をナイフで2度刺した。

傷は胃に達したが、女性は一命を取り留めた。


同年11月18日、ロゴレフスはスワレと共に、女性を殴って強姦した。


同年11月26日、リエルペ駅近くでロゴレフスは27歳の女性を刺した。

傷は胃に達したが抵抗し、周囲の人たちが気付いた為、ロゴレフスは逃走した。


翌日の27日、ヨンプラヴァ駅近くでロゴレフスは24歳の女性を襲撃する。


同年12月、ロゴレフスは18歳の少女を強姦する。


1981年1月1日夜、ロゴレフスはスワレと共に34歳の女性を強姦し、殺害した。


同年3月、ロゴレフスは47歳の女性を殺害し、物を盗んだ。


同年4月8日、ロゴレフスは薬物中毒の女性を拾い、近くの茂みに連れ込むと、そこで2度強姦し、殺害する。


同年7月、ヴェカキでロゴレフスは若者を襲撃する。

その後、16歳の少女を強姦するのだが、ロゴレフスは若者を殺したつもりでいたが、生きていた。


同年7月末、ロゴレフスは43歳の女性とレストランで食事した後、チェリャビンスクのアパートに行き、強姦した後、首を絞めて殺害した。

その後、女性の物を盗んだ。


同年8月27日、ロゴレフスはアイズクラウクレの列車から降りた24歳の女性を襲い、約80回殴った。


同年9月、ロゴレフスは4人を襲い、1982年3月に2人を攻撃した。


1982年4月、ロゴレフスはバーで2人の少女と出会い、ビーチに行った後、1人を殺害する。

もう1人は逃げる事が出来た。

警察はロゴレフスを捕まえる為、特別チームを編成した。

そして、ロゴレフスの指紋を入手すると、指名手配リストに入れた。

その後、ロゴレフスは2人の警官により逮捕される。

勾留中、ロゴレフスは逃走を図るが、すぐに捕まった。

ロゴレフスによる被害女性は全部で21人で、その内、10人が殺害された事が判明した。

ロゴレフスのアパートを調べると、犯罪の証拠と道具が見つかりそれを突きつけると、これまでの犯行を自白した。

ロゴレフスの精神鑑定を行った所、正気であると認識された。

弁護士は戦争中にロゴレフスとその母親が爆撃に遭い生き埋めにされ、救助されるまでに数時間要した事を強調した。

それ以降、ロゴレフスの精神は蝕まれ、幻覚に苦しんだと述べ、酌量を求めた。

だが、ロゴレフスには死刑が言い渡された。

刑務所に収監されたロゴレフスは、他の囚人に殴られたり強姦されたりした。


1984年6月19日、銃殺による死刑が執行された。

享年43歳。



《殺人数》
10人 (他11人被害)

《犯行期間》
1980年10月26日~1982年4月



∽ 総評 ∽

女性や少女ばかり21人を襲い、10人を殺害したロゴレフス。

ロゴレフスはどのような人生を送ってきたのか詳細がなくわからない。

ただ、戦争の際に生き埋めにされるという悲劇に見舞われた。

母親と爆撃に遭い、その衝撃で数時間生き埋めにされるという悲劇はそうある事ではない。

それにより精神に異常をきたしたが、確かに想像を絶する出来事は精神を蝕むのに十分であったろう。

ただ、だからといって犯罪を犯していいという道理にはならない。

罪は罪であり、当然裁かれるべきである。

ロゴレフスは死刑執行まで刑務所で他の囚人たちから暴行を受け強姦された。

遺族からすればとても喜ばしい事であり、少しは気が晴れた事と思う。

ラトビアは現在は通常の罪に対しては死刑を廃止している。

この時はまだ死刑があり、しかも、判決後、少なくとも2年以内に執行されており、また、この時に戻って欲しいと願う。