_20181206_174202
マルコ・ベルガモ (イタリア)
【 1966 ~ 2017 



マルコ・ベルガモは、1966年8月6日、イタリア・ボルツァーノで生まれた。

ベルガモは生まれもっての言語の単純な遅れや肥満、皮膚疾患等の病気を抱えていた為、内気で内向的な性格に育った。

ただ、ベルガモはナイフに対して執着を示し、収集し始める。

また、外を歩く時等は常にナイフを携帯していた。


1985年1月3日、ベルガモはボルツァーノで学生のマルセラ・カサグランデ (15歳♀) をナイフで刺して殺害した。

遺体の剖検を行った所、犯人は人間の解剖学に精通している事がわかった。


同年6月26日、ベルガモは学校の先生アンナマリア・チポレッティ (41歳♀) を19回殴って殺害した。

現場の灰皿には吸い殻があり、ブラジャーとパンティーが盗まれていた。

ただ、強姦はされてなかった。


1992年1月7日、売春婦レナーテ・ローチ (24歳♀) の遺体が、ボルツァーノのサービスエリアのほとんど人気のない無人の駐車場で見つかった。

数日後、ローチが埋葬された墓に花とメッセージが書かれたカードが置いてあり、それには

『申し訳ないが私は行わなければならなかった。それをあなたは知っていた。ハロー!レナーテ:MM』

と書かれていた。

警察は「MM」が名前であると考えた。


同年3月21日、ベルガモは売春婦のレナーテ・トローガー (18歳♀) を殺害する。

ベルガモはボルツァーノのヴェルディ広場でトローガーを誘うと、14回刺して殺害した。


同年5月、ベルガモは大工として働き始め、また、この頃に精巣の除去を行った。


同年8月6日、ベルガモは売春婦のマリカ・ゾルジ (20歳♀) を殺害する。

ベルガモは道路の曲がり角で、ゾルジを28回刺して殺害した。

しかし、ゾルジ殺害後、車に乗っていた所を2人の警官によって止められる。

警官が車内に血痕を見つけ、その場で逮捕した。

また、バックミラーが無くなっており、それはゾルジ殺害現場で見つかった。

逮捕されたベルガモは、当初、カサグランデ、ローチ、ゾルジ3人の殺害だけを認めた。

しかし、裁判所は証拠や事件の類似性からチポレッティとトローガー殺害もベルガモによるものと断定された。

地元の新聞はベルガモを大々的に取り扱い、その人格についてフェティシスト (異性の下着や靴、毛髪などに性的関心を抱くこと) で露出症者、そして、インポテンツでポルノの消費者であると掲載した。

裁判所は4人の医師たちにベルガモの診察を委託した。

4人の医師たちは
「ベルガモは極度の倒錯の持ち主で喜びの為の殺人に達した。最初の殺人の後、彼は満足したと同時に、恐怖と憎しみの対象を破壊する事を見つけた」
と結論付けた。


1994年3月8日、ベルガモにも4つの終身刑と懲役30年が言い渡された。


同年4月18日、ベルガモの父親レナート (72歳) が、屋根裏で首を吊って自殺した。


2005年、ベルガモは仮釈放の権利を得る。

このニュースが世間に知られると、イタリア全土に衝撃を与えた。

だが、ベルガモは仮釈放される事はなかった。


2017年10月7日、ベルガモは深刻な肺感染症にかかり昏睡状態となる。


10日後の17日、ベルガモは覚醒する事なくそのまま死去した。

享年51歳。



《殺人数》
5人

《犯行期間》
1985年1月3日~1992年8月6日



∽ 総評 ∽

『Mostro di Bolzano (ボルツァーノの怪物) 』と呼ばれ、5人の女性を殺害したベルガモ。

ベルガモは子供の頃に病気や言語障害など、様々なハンデを背負い、その事で内向的な性格となってしまった。

身体的コンプレックスで精神が歪んだ異常者の代表としてはかのアンドレイ・チカチーロがいる。

チカチーロはインポテンツや乳首の異常な長さなど、身体へのコンプレックスが歪んだ方向へ向かったが、ベルガモも身体のコンプレックスが内向的な性格となり、また、インポテンツだった。

ベルガモは殺害した犠牲者の墓を訪れわざわざメッセージを残した。

こういった殺人鬼は自信過剰で自己愛の強い劇場型殺人鬼の場合が多いが、ベルガモは犯行現場に置いたわけでもなく、しかも、1人だけなのでおそらくそうではないと思われる。

では何故そうしたのかだが、ローチだけに何らかの特別の感情があったのかもしれない。

ベルガモは刑務所に収監されてからわずか10年後に仮釈放されそうになったが、その情報を知ったイタリア国民は衝撃を受けた。

こんな異常者がわずか10年足らずで外に出て来るとなると国民が驚くのも無理はない。