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ミッチェル・ストッククス (オランダ)
【1942 ~ 2001】



ミッチェル・ルイ・マリー・ストッククスは、1942年1月17日、ベルギー・ゲントにあるロヒリスティで生まれた。


1976年、パッティ・Dという女性と結婚し、子供が1人生まれた。


だが、1981年、8人の女性を強姦し、妊娠させたとして逮捕された。

ストッククスには懲役6年が言い渡された。

ストッククスが逮捕されると、パッティは離婚した。


ストッククスは精神治療を拒否し、1986年8月に逮捕され、再び刑務所に入るが、1987年5月に釈放された。

釈放されたストッククスはアッセンに移動し、トラック運転手として働き始めた。


1989年7月22日、ストッククスはドイツのマインツに行き、ヴィースバーデンのマルコ・ヴァイサー (13歳♀) をイタリア帰りと言って誘惑し、トラックに乗せる。

翌日、ヴァイサーの遺体がパーダーボルン近くの駐車場で見つかった。


1990年8月、ストッククスはドイツのノイシュタットで、サリム・サディル (10歳♂) の首を絞めて殺害した。

遺体はリーバーダインの駐車場に捨てた。


1991年2月26日、ナタリー・ジーズブレッツ (10歳♀) が、ベルギー・リーフダールのバス停で目撃されたのを最後に行方不明となる。


同年7月27日、ストッククスはオランダ・北ホラント州ズワーグで、スイミングプールからの帰りのジェシカ・レービン (11歳♀) を誘惑する。

その後、ストッククスはレービンを数日間に渡り監禁し、同年7月31日、グローニンゲンとニーウェスカンスの間で首を絞めて殺害した。

だが、レービン殺害後、ストッククスは逮捕された。


1992年1月28日、ストッククスの裁判が始まり、同年11月、レービン殺害で懲役20年が言い渡された。


1993年12月20日、ヴァイサーの遺体からストッククスの血液と陰毛が発見された。

警察はストッククスには他にも余罪があると考え捜査を進める。


1998年1月、刑務所の囚人にストッククスがジーズブレッツ殺害を告白した。

また、フランスのミュルーズで行方不明となったアナイス・マルセーリ (10歳♀) もストッククスの犯行とされた。


2001年、ストッククスは刑務所内で身体障害保険を受けていた事が判明し、その事がオランダ国内で騒ぎとなった。


同年9月18日、刑務所内で作業中に誤って蛍光灯を叩いてしまい、火が舞い上がった。

ストッククスは火を全身に浴びてしまい、60%以上の火傷を負ってしまう (通常、火傷は20%になると死に至る可能性があるとされている) 。

ストッククスはすぐに病院に搬送されたが、1週間後の25日、火傷により死亡した。

享年59歳。

当初、メディアは刑務所による暗殺や自殺等と推測し、様々な憶測を呼んだが、結局、事故で落ち着いた。

レービンの両親はストッククスの死を知ると、大いに喜び旗を掲げた。



《殺人数》
4人以上

《犯行期間》
1989年7月22日~1991年7月31日



∽ 総評 ∽

10歳前後の少女ばかりを標的とし、少なくとも4人を殺害したストッククス。

ストッククスは標的としたのは幼い少女ばかりであり、生粋のペドフィリアといえるだろう。

ただ、ストッククスが何故そうなったのかよくわからない。

ストッククスは障害者保険を受け取っており、その事が問題となった。

問題となるのは当たり前であり、何故、こんな犯罪者にお金を払わなければいけないのか。

遺族からすればむしろ払って欲しいくらいである。

ストッククスは最後、作業中の事故により死亡したが、死刑のないオランダでは本当に良かったと思う。

犠牲者の喜びが全てを表しているといえ、司法はもっと考えて欲しいものである。