_20181201_131130
アールト・モンドリア (オランダ)
【 1957 ~ 2011 】



アールト・モンドリア (出生名アドリー・モンドリア) は、1957年、オランダ・カンペンで生まれた。

一家はモンドリアが生まれてすぐにフォレンホーフェへ引っ越した。


モンドリアは大人しく穏やかな子供として成長したが、思春期を迎える頃には窃盗や暴行を繰り返すようになった。

その後、多くの悪友と付き合う事で、モンドリアは薬物とアルコールに溺れていく。

そして、間もなく薬物とアルコールの中毒となった。

また、それらの影響で幻覚や妄想に苦しむようになる。


1976年、モンドリアは罪を犯して逮捕され、刑務所に4ヶ月間拘留される事となった。

また、その間、病院での治療を余儀なくされる。

だが、この治療でモンドリアが治癒不能である事がわかる。

そんなモンドリアは治療中に2度、逃走を試みる。

最初は失敗するが、2度目の逃走は成功し、逃げる事が出来た。


1978年、脱走後、モンドリアは首都アムステルダムのガールフレンドの家に逃げ込み隠れた。

だが、警察が迫っている事を知った2人はパニックとなり、同じアパートにいた売春婦に暴行を加えた逃走した。

売春婦は一命を取り留めるが、永久的に麻痺が残る後遺症が残った。

モンドリアらは北ブラバント州に逃走した。


同年7月30日、モンドリアらは強盗目的で高齢夫妻の家に侵入し、夫妻とその娘 (38歳) を殺害した。

だが、モンドリアカップルがこの殺人で手にしたのはわずか10ユーロ (約1300円) であった。

その後、モンドリアカップルはすぐに逮捕される。

逮捕されたモンドリアは3件の殺人で起訴されるが、ガールフレンドは起訴されなかった。

その理由を裁判官は凶悪な殺人事件にガールフレンドが関与しているという証拠が不十分だったからと述べた。

その後、裁判の末、モンドリアには懲役15年が言い渡された。

だが、モンドリアは妄想に苦しんでいた為、刑務所ではなくヴァン・メスドッグ診療所に収容される事となった。

診療所にいる間、モンドリアはジャーナリストのピーター・フリースに連絡し、自分の事を書いた本を出版してくれるよう頼んだ。

そして、『悪魔に委ねられた』というタイトルの本が出版された。


1989年、モンドリアには休暇が認められ、一時的に釈放された。

モンドリアはズヴォレのカフェを訪れると、そこで3人の男性と口論となる。

モンドリアは銃を取り出し、男性に向かって発砲した。

その後、モンドリアは診療所に戻った。


1995年、モンドリアは恋人を求める為、新聞広告に連絡先を公開した。

すると、多くの女性から応募が殺到し、その中でモンドリアは10歳の息子を持つ30歳の女性を選んだ。


1996年、モンドリアは休暇の許可を得て女性の家に住み始めた。

モンドリアは逐一診療所に連絡を行わなければいけなかったが、連絡を怠った。

連絡を怠った場合、警察が訪問先を訪れる事になっていたが、それを知っていたモンドリアは女性とその息子を連れ出し逃げ出した。


1997年3月、ズヴォレの町に短期間滞在したが、モンドリアは女性の10歳の息子を射殺した。

女性は子供を殺された事でパニックとなり、その場から逃げ出し、警察に向かった。

警察は女性の発言を元に調べると、犯人が逃亡中のモンドリアだとわかり、翌日にモンドリアは逮捕された。

逮捕されたモンドリアは恋人の子供を殺害した事を認めた。

裁判でモンドリアには終身刑と治療が命じられるが、納得いかなかったモンドリアはすぐに控訴した。

控訴の末、モンドリアは終身刑から懲役18年に変更となった。

モンドリアは2010年10月18日に仮釈放の資格を得るが、その可能性は非常に低いとされた。


2011年9月28日、モンドリアはC型肝炎の悪化により死去した。

モンドリアは以前からC型肝炎だと診察されていたが、治療を拒絶していた。



《殺人数》
4人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1978年7月30日、1997年3月6日



∽ 総評 ∽

数々の犯罪を行い、4人を殺害したモンドリア。

モンドリアは精神が破綻していた為、きちっと裁かれずに治療に専念させられたが、この時に普通に終身刑にしていればこれ程の被害を生む事はなかった。

だが、精神が破綻したのは自らのアルコールと薬物の過剰摂取であり、それが原因で妄想を抱くようになったのに刑が軽くなるというのはとても納得いかない。

モンドリアは終身刑という判決に不服を抱き、控訴した結果懲役18年となった。

自分のやった犯罪に対して終身刑は重いという判断自体何もわかっていない身勝手なものだが、それを容認して減刑する司法もあまりに酷い。

私が遺族であったならとても耐えられる精神状態にない。

モンドリアは病気の治療を拒み、その病気がもとで死亡した。

治療を拒んだのは反省していたからではないと思うが、仮釈放される可能性が少しでもあったので、とにかく死んでくれて良かったと思う。