アールト・モンドリア (オランダ)
【 1957 ~ 2011 】
アールト・モンドリア (出生名アドリー・モンドリア) は、1957年、オランダ・カンペンで生まれた。
一家はモンドリアが生まれてすぐにフォレンホーフェへ引っ越した。
モンドリアは大人しく穏やかな子供として成長したが、思春期を迎える頃には窃盗や暴行を繰り返すようになった。
その後、多くの悪友と付き合う事で、モンドリアは薬物とアルコールに溺れていく。
そして、間もなく薬物とアルコールの中毒となった。
また、それらの影響で幻覚や妄想に苦しむようになる。
1976年、モンドリアは罪を犯して逮捕され、刑務所に4ヶ月間拘留される事となった。
また、その間、病院での治療を余儀なくされる。
だが、この治療でモンドリアが治癒不能である事がわかる。
そんなモンドリアは治療中に2度、逃走を試みる。
最初は失敗するが、2度目の逃走は成功し、逃げる事が出来た。
1978年、脱走後、モンドリアは首都アムステルダムのガールフレンドの家に逃げ込み隠れた。
だが、警察が迫っている事を知った2人はパニックとなり、同じアパートにいた売春婦に暴行を加えた逃走した。
売春婦は一命を取り留めるが、永久的に麻痺が残る後遺症が残った。
モンドリアらは北ブラバント州に逃走した。
同年7月30日、モンドリアらは強盗目的で高齢夫妻の家に侵入し、夫妻とその娘 (38歳) を殺害した。
だが、モンドリアカップルがこの殺人で手にしたのはわずか10ユーロ (約1300円) であった。
その後、モンドリアカップルはすぐに逮捕される。
逮捕されたモンドリアは3件の殺人で起訴されるが、ガールフレンドは起訴されなかった。
その理由を裁判官は凶悪な殺人事件にガールフレンドが関与しているという証拠が不十分だったからと述べた。
その後、裁判の末、モンドリアには懲役15年が言い渡された。
だが、モンドリアは妄想に苦しんでいた為、刑務所ではなくヴァン・メスドッグ診療所に収容される事となった。
診療所にいる間、モンドリアはジャーナリストのピーター・フリースに連絡し、自分の事を書いた本を出版してくれるよう頼んだ。
そして、『悪魔に委ねられた』というタイトルの本が出版された。
1989年、モンドリアには休暇が認められ、一時的に釈放された。
モンドリアはズヴォレのカフェを訪れると、そこで3人の男性と口論となる。
モンドリアは銃を取り出し、男性に向かって発砲した。
その後、モンドリアは診療所に戻った。
1995年、モンドリアは恋人を求める為、新聞広告に連絡先を公開した。
すると、多くの女性から応募が殺到し、その中でモンドリアは10歳の息子を持つ30歳の女性を選んだ。
1996年、モンドリアは休暇の許可を得て女性の家に住み始めた。
モンドリアは逐一診療所に連絡を行わなければいけなかったが、連絡を怠った。
連絡を怠った場合、警察が訪問先を訪れる事になっていたが、それを知っていたモンドリアは女性とその息子を連れ出し逃げ出した。
1997年3月、ズヴォレの町に短期間滞在したが、モンドリアは女性の10歳の息子を射殺した。
女性は子供を殺された事でパニックとなり、その場から逃げ出し、警察に向かった。
警察は女性の発言を元に調べると、犯人が逃亡中のモンドリアだとわかり、翌日にモンドリアは逮捕された。
逮捕されたモンドリアは恋人の子供を殺害した事を認めた。
裁判でモンドリアには終身刑と治療が命じられるが、納得いかなかったモンドリアはすぐに控訴した。
控訴の末、モンドリアは終身刑から懲役18年に変更となった。
モンドリアは2010年10月18日に仮釈放の資格を得るが、その可能性は非常に低いとされた。
2011年9月28日、モンドリアはC型肝炎の悪化により死去した。
モンドリアは以前からC型肝炎だと診察されていたが、治療を拒絶していた。
《殺人数》
4人 (他犯罪多数)
《犯行期間》
1978年7月30日、1997年3月6日
∽ 総評 ∽
数々の犯罪を行い、4人を殺害したモンドリア。
モンドリアは精神が破綻していた為、きちっと裁かれずに治療に専念させられたが、この時に普通に終身刑にしていればこれ程の被害を生む事はなかった。
だが、精神が破綻したのは自らのアルコールと薬物の過剰摂取であり、それが原因で妄想を抱くようになったのに刑が軽くなるというのはとても納得いかない。
モンドリアは終身刑という判決に不服を抱き、控訴した結果懲役18年となった。
自分のやった犯罪に対して終身刑は重いという判断自体何もわかっていない身勝手なものだが、それを容認して減刑する司法もあまりに酷い。
私が遺族であったならとても耐えられる精神状態にない。
モンドリアは病気の治療を拒み、その病気がもとで死亡した。
治療を拒んだのは反省していたからではないと思うが、仮釈放される可能性が少しでもあったので、とにかく死んでくれて良かったと思う。
コメント
コメント一覧 (14)
この鬼畜にこの司法ありですね。
強盗殺人を犯した鬼畜に短期間の懲役で済ませ、さらには一時的に外出許可まであげる丼ぶり勘定。
さらに2度目の殺人でも言い逃れできないのに言い逃れをあっさり許し、さらには仮釈放という特典まで付けたうえに短期間のおつとめ。
どこまでひどいばかさ加減なんでしょうか?
強盗なのですからせめて刑期が終わるまではしゃばに出さないのが普通でしょう。
それに、リンチされて殺されたり射殺されて当然の立場なのですが、なぜ2度目の殺人の時に逮捕せずに生け捕りにしたのでしょうか?
甘い顔をしてきた警察たちも極刑ものです!!
一体人権は誰のためにあるのでしょうか?
凶悪犯罪者の言い逃れを簡単に許し、被害者や遺族を泣き寝入りさせるための錦の御旗だと感じます。
死刑を廃止するのなら中国のように政治的権利を一切はく奪してから治療や免業日なしの終身刑にするのが最低限の処置でしょう。
無論、死刑を維持して死刑判決を出して早期に処刑するに越したことはありませんが。
政治的権利をはく奪すると言うことは、言い逃れや被害者に対する罵声の類、刑に対する身勝手な要望を一切封じられるということです。
一時的な外出許可というのは一旦なんなんでしょうかね。
全く理解できないし必要ない事だと思います。
日本は昔からそうですが、近年は海外も凶悪犯でも即射殺とはいかなくなってますね。
人権は犯罪者の為にありますね。
もはや優良な一般市民にはないですね。
しかも、常習的な犯罪者であるのにも拘わらず司法が甘過ぎる判断ばかりをして社会に出したり、逃走を謀る前歴があったのにも拘わらずまんまと逃走を許したのはオランダ司法・警察・病院の重大過失でしょう。
1回目の脱走を謀った時に問答無用で射殺してしまえば良かったと思いますね。
精神病が人を殺すワケでは無く、人間が殺意を以て人を殺害するんです!
ソコには全く酌量余地は存在しません!
「精神病が原因」とするのは精神病で苦しんで闘病している人達に対して謂れの無い差別と偏見を生みますし、大変失礼極まりないです!!
最近、日本でも紐で首を強く絞めて殺害したり胸をメッタ刺しにして殺害しても「殺すつもりは無かった・・・・・・云々」ヌカすクソムシが非常に増えてきました。
「ふざけるな!!」の一言でしょう!
私もC型肝炎の治療を拒絶したのは反省でも悔恨でも無いと考えます。
自らの犯罪履歴を本を平然と出版する無神経さといい、判決を即座に控訴して自らが精神病をアピールするクズさ加減からして反省・悔恨もあり得ないでしょう。
※肝炎は非常に自覚症状が無いので食事制限等がある治療を受けたくなかっただけでしょう、肝炎は悪化して肝硬変等を患うと途端に痛みに苛まれますが、この時点で手遅れに近い。
激甘司法判断ですが晩年に非常に苦しんで悶死したのは犠牲者遺族にとって少しは報われたと思いたいですね。
本当に甘過ぎるし寛大過ぎますね。
何故、凶悪犯にこれ程の待遇を与えるのか。
全く理解出来ません。
治療の拒絶はおそらくもう生きていても仕方ないと思っただけでしょう。
仮釈放も延期されてますし。
まあ病気は天罰が下されたという事でしょう。
僕が一番納得いかないのは、その主張が罷り通る司法ですが。
治療を拒んだのは、不自由に余生を生きるより、
いっそ死んだ方がマシと考えたのでしょう。
オランダの医療は、そういう点は柔軟ですから。
最期も、設備の整った病院で、安楽に死んだ事でしょう。
言うまでもなく、刑罰の意味がありません。
私もそこですね。
本人が主張するのはまあ勝手にやってくれといいたいですが、それを司法が受け入れる事です。
穏やかに死んだと考えると腹立たしいですね。
生粋の犯罪者で、もう更生は望めませんね。
他の凶悪犯罪者同様、凶悪化は目に見えていて恐ろしい限りです。
絶対に出所させては駄目ですよ!あの馬鹿は!!
一生涯、塀の中に居るべきですよ。
まぁ、馬鹿だから狡猾にはなれないでしょうが・・・・・・名字も羽賀から馬鹿に変えるべきですね。
そんな反省していない輩に極刑に出来ず、いずれ釈放してしまうであろう司法に愕然とします。
仰る通り更に凶悪化するでしょうね。
本当ですね。
それが信じられないです。
私もそう思いました
あれ?犯罪者ですよね?なんかブラック企業に勤める人より優雅ですけど…。
チューリップ植えすぎて頭ん中もお花畑いっぱいのオランダですね。
海外のそういった対応には本当に驚きますね。
遺族からすれば納得どころか怒りしか湧かないですね。