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クリストファー・ウォレル (オーストラリア)
【1954 ~ 1977】



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ジェームズ・ミラー (オーストラリア)
【1940 ~ 2008】



クリストファー・ロビン・ウォレル (1954年1月17日生) とジェームズ・ウィリアム・ミラー (1940年2月2日生) は、刑務所で出会った。

2人が刑務所に収監されたのは、ウォレルが強姦と武装強盗、ミラーが不法侵入であった。

ウォレルは精神病質者でカリスマ的な魅力を持ち、そんなウォレルに労働者のミラーは虜となり従順に従った。

ウォレルはバイセクシャルでミラーは同性愛者であり、釈放後、パートナーとして共に住み始め同じ仕事を始めた。

ミラーはウォレルに夢中になり、ポルノやBDSM (性的な嗜好の中で嗜虐的性向をひとまとめにして表現する言葉) の雑誌を読んだ上で行う性行為をウォレルは許した。


1976年12月23日、ヴェロニカ・ナイト (18歳♀) が友人と買い物に出掛けていると、ウォレルとミラーが話し掛ける。

そして、ドライブに誘いミラーが運転し、アデレード山麓の駐車場に到着した。

ウォレルはミラーに散歩に出掛けるよう命じ、ミラーが散歩に出掛けている間、ウォレルはナイトを強姦した後、首を絞めて殺害した。

ミラーが車に戻るとナイトが死んでいる事がわかった。

ミラーが戻って来た事に怒ったウォレルはナイフでミラーを脅し、遺体をトゥルーロに運んで捨てるのを手伝わせた。


1977年1月2日、タニア・ケニー (15歳♀) が、ビクター・ハーバーからヒッチハイクで到着した所を2人は拾った。

2人はミラーの姉妹の家に向かい、ミラーを車に残し、ウォレルとケニーは家の中に入った。

すると、ウォレルが家から出て来てミラーに助けを求めた。

ウォレルはケニーと口論となり手に掛けてしまったとミラーに話し、救わなければ殺すと脅した。

だが、ケニーはすでに死んでおり、2人は遺体をウィングフィールドに捨てた。


同年1月21日、ジュリエット・ミキータ (16歳♀) がアルバイトを終え、帰宅する為にバス停でバスを待っていた。

すると、ウォレルとミラーの乗る車が現れ、ミキータを乗せた。

そして、ウォレルがミキータを縛り、ミラーに外に出るよう命じた。

ミラーが外を散歩している間、ウォレルはミキータを強姦した。

ミキータが車から地面に落ちると、ウォレルは首を絞め始めた。

それを見たミラーが止めに入るが、ウォレルの力は強く、また、ウォレルが止めたら殺すと脅した為、ミキータはそのまま首を絞められ殺害された。

ミキータの遺体はトゥルーロで発見された。


同年2月6日、アデレード鉄道駅付近で列車を待つシルビア・ピットマン (16歳♀) をウォレルとミラーが拾う。

再び、ミラーが外を歩いている時にウォレルがピットマンを強姦し、首を絞めて殺害した。

ミラーは遺体をトゥルーロに捨てるのを手伝った。


同年2月7日、ミラーが地元の郵便局に着くと、すでにウォレルとビッキー・ハウエル (26歳♀)  が一緒にいた。

ミラーは車から降りると散歩に出掛けた。

そして、車に戻ると、すでにハウエルは死んでいたがウォレルは怒っていた。

ミラーは自分も殺されるのではと思い、ウォレルを罵った。

それに対してウォレルは何も言わず、怒りが収まったウォレルと共にハウエルの遺体をトゥルーロに運んだ。


同年2月9日、ウォレルとミラーはコニー・イオラニデス (16歳♀) を目的地へ送ると言って車に乗せる。

だが、イオラニデスが目的とした場所とは違う方向へ向かった為、イオラニデスが騒ぎ始めた。

ミラーが車を止め、ウォレルはイオラニデスを車の後方に押し込んだ。

ミラーは車を離れ、しばらくして戻るとイオラニデスはすでに死んでいた。

その後、遺体をトゥルーロに運んだ。


同年2月12日、ウォレルとミラーはヒッチハイクしているデボラ・ラム (20歳♀) を拾い、ウォレルらはポート・ガウラーに向かった。

そして、車を止め、ミラーが外を歩き車に戻ると、ラムは車に中にいなく、ウォレルが掘った穴に砂を詰めていた。

後にラムは生きたまま埋められていた事が判明した。


同年2月19日、ウォレルとミラーは友人の元ガールフレンド、デボラ・スクーズとガンビア山に行った。

すると、走行中に車のタイヤが破裂し、車が横転する。

この事故でウォレルとスクーズが死亡、ミラーは肩甲骨を損傷する怪我を負った。


1978年4月25日、トゥルーロから70km北東の低木林で、ウィリアムとバルダのトーマス夫妻が何かの骨を見つける。

この時、夫妻は気味悪さを感じて詳しく見ないで帰ったが、2日後にもう1度確認に向かった。

すると、骨に靴が履かれている事がわかり、更に詳しく見ると、靴の内側に人間の肌と爪が確認でき、爪にはマニキュアが施されていた。

後に遺体はナイトだと判明した。


1979年4月15日、警察はナイトの遺体が発見された場所から約1km離れた場所で、ピットマンの遺骨を発見する。

トゥルーロ近郊で発見された2人の遺体と、他に行方不明となっていた5人の女性は同一犯による犯行と考え、捜査を進めた。


同年4月16日、更に2人の遺骨が見つかり、それはイオラニデスとハウエルであった。

すると、意外な所から警察に情報が入る。

それはウォレルの元ガールフレンド、アメリアからだった。

アメリアはウォレルが脳に重大な血栓があり、入院していた事があると話した。

そして、アメリアはミラーからウォレルが快楽殺人に魅了されていた話しを聞かされていた事を思い出した。


同年5月23日、警察はミラーを逮捕した。

逮捕された際、ミラーはホームレスとなっていた。

ミラーはウォレルが死んだ後、ショックから鬱病に苦しんでいた。

そして、ウォレルの墓を頻繁に訪れていた事がわかった。

アメリアは有力な情報を提供した事で3万オーストラリアドル (約500万円) の報酬を手にしたが、何故もっと早くに警察に話さなかったか問われると、入院の事実は確実ではなく、また、本人が死んでしまった為、言っている事が本当か確認していなく、警察に知らせる事にあまり意味がないと思ったからだと語った (ウォレルはすでに死に、ミラーはホームレスになっていた為、もしアメリアが警察に通報しなければ事件は解決しなかった可能性が高い) 。

逮捕されたミラーは、当初は犯行を否認していた。

しかし、後に今まで行ってきた犯行を自供した。


法廷でのミラーは、ウォレルの話しに終始した。

ウォレルは街に繰り出し、性行為出来る女性を物色し、容姿端麗でカリスマ的な魅力を持つウォレルには女性を口説く事など容易だったと語った。

また、ウォレルの女性の物色は次第に苛烈になりそれは恐ろしさを感じる程だったと話した。

ウォレルは拒絶する女性を強姦するようになり、そして、殺人に繋がっていった。

ミラーは殺人については多くの強姦の中のごく一部であったと語り、ウォレルの暴力が激しくなるにつれ、恐怖を感じたと語った。


1980年3月12日、7人の殺人の内、ナイトを除く6人殺害で有罪判決が下され、仮釈放の可能性がない6つの終身刑が言い渡された。

ミラーは犠牲者に1度も触れずに終身刑が言い渡された珍しいケースとなった (ここでいう触れずにというのは強姦したり殺害したりという意味) 。


1999年、新しい法律により仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された全ての囚人に対し、非仮釈放期間を与えなければいけなくなった。


2000年2月8日、ミラーは最低35年は仮釈放の可能性がない終身刑となった (2014年に仮釈放の対象となる) 。


2008年10月21日、ミラーはC型肝炎による肝不全により死亡した。

享年68歳。

ミラーは死亡した当時、州内で最も長寿の囚人の1人であった。


最後にウォレルが死んでから1年後、ミラーがウォレルについて書いた詩の内容で終わりたいと思います。

「クリストファー・ロビン・ウォレル。非常に近い思い出。1年前に死んだ友人。あなたの思いやりや優しさを覚えています。あなたの死後、私に何が出来るのか。私はあなたにまた会えるよう願っています」



《殺人数》
7人 (他強姦多数)

《犯行期間》
1976年12月23日~1977年2月12日



∽ 総評 ∽

『Truro murderer (トゥルーロの殺人者達) 』と呼ばれ、7人の女性を強姦して殺害したウォレルとミラー。

この2人の珍しい所は、ミラーがウォレルに従順に従い、その犯行の手助けをした所だ。

通常、このような犯行の場合は、男女カップルの事がほとんどで、大概が女性が男性の為に尽力する。

だが、この2人は1人がバイセクシャルで1人が同性愛者であり、ミラーがそんなウォレルの為に進んで協力した。

ただ、バイセクシャルだったはずのウォレルは女性しか手にかけておらず、バイセクシャルというのはミラーを利用する為のカモフラージュだったのかもしれない。

ミラーはウォレルのカリスマ的な魅力の虜になったが、それほどミラーにとってウォレルは魅力的だったのだろう。

ウォレルはそんなミラーを手足の如く操り、自身の思い通りの事を実行させた。

ただ、ミラーは非情な事をやらされているにも関わらず、ウォレルに心酔していた為、躊躇いもなく行動した。

何にせよ、ウォレルは早々に事故死し、ミラーも病死してくれたので良かったと思う。



* 追伸 *

この記事が今年最後となりました。

今日まで1週間、各国のコンビやカップルによる犯行を紹介してきましたが、どれも陰惨で残酷なものばかりでした。

やはり、人間というのは人数が増えるとその分、自分の責任や負担が半分になると感じるためか、そのようになるのかもしれません。

来年はブログ開設から丸5年の節目になります。

年号も変わるという事もあり、丸5年を迎えた時にどうしようかと色々考えています。

来年もよろしくお願い致します。