_20181031_165440
ミケーレ・プロフェイタ (イタリア)
【1947 ~ 2004】



ミケーレ・プロフェイタは、1947年10月3日、イタリア・シチリア島パレルモで生まれた。


プロフェイタは90年代後半、イタリア本土に移動し、金融サービス会社で働き始めた。

プロフェイタは妻コンセッタ・モルディーノと2人の子供 (コンセッタの前夫との子) と住んでいた。

プロフェイタはギャンブルにはまり、多額の借金を背負ってしまう。

そして、この頃から精神に異常をきたし始め、誇大妄想に苦しむようになる。


2001年1月29日、パドヴァで停車していたタクシーから、アイヴァー・ジョンソン (32歳♂) の遺体が発見される。

ジョンソンは後頭部を銃で撃たれていた。


同年2月11日、アパートで不動産業者のウォルター・ボスコロ (♂) の遺体が発見される。

ボスコロの遺体も後頭部から撃たれた痕があった。

遺体の傍には2枚のトランプと、手紙が発見された。

手紙には「signor Pertini (ミスター・ペルチーニ) 」と書かれていた。


別の不動産業者の男性が、プロフェイタが「signor Pertini」と名乗っている事を警察に告げ、同年2月16日、帰宅途中のプロフェイタを逮捕した。


裁判でプロフェイタには終身刑が言い渡された。

法廷でプロフェイタは常に完璧な服装とエレガントな態度で臨んだ為、『Professore (プロフェッサー:教授) 』と呼ばれた。


同年7月、刑務所から脱獄しようとして再び逮捕された。


2004年7月16日、プロフェイタはミラノのサンヴィットーレ刑務所で心臓発作により死去した。

享年56歳。

プロフェイタは頭を後ろに曲げ、痙攣のように震え始めた為、警備員が刑務所の医者を呼んだが死亡した。

その死に様は非常に苦しそうだったという。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
2001年1月29日、同年2月11日



∽ 総評 ∽

『Serial killer di Padova (パドヴァの連続殺人犯) 』、『Mostro di Padova (パドヴァの怪物) 』、『Professore』等と呼ばれ、2人を殺害したプロフェイタ。

プロフェイタは犯行を行った時、すでに50も半ばであり、それまでどのような人生を歩んで来たのか詳細があまりなくよくわからない。

結婚もして子供もいた普通の家庭の男性が、突然殺人を始めるというのもあまり考えられないので、何らかのきっかけがあったと思われる。

プロフェイタはギャンブルに溺れ、借金により精神が追い詰められ破綻したと思われるが、その原因は全て本人なのでまるで救いようがない。

プロフェイタは裁判に臨む際、服装を整え毅然とした態度であった為、その様子から ″教授″ と呼ばれたが、やってきた事は非道な為、いくら裁判で良い格好をしたとしてもそれはただの見栄っ張りにしか過ぎない。

せめて最後の晴れ舞台くらいきちっと挑もうという気持ちからくるのかもしれないが、異常者にかわりはない。

プロフェイタは刑務所に入って3年程度で病死したが、その死に様は苦しそうだったらしく、そう考えると少しは犠牲者や遺族が救われると思う。