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グスターヴ・ネメスケリ (ハンガリー)
【1960 ~     】



グスターヴ・ネメスケリは、1960年、ハンガリーで生まれた。

ネメスケリの初期の人生についてはほとんど知られていなかった。


ネメスケリは1995年から首都ブダペストのカトーカ通りに住み始めた。

そこで、野菜やペットフードを扱う事業に携わっていた。

ネメスケリはビジネスの拡張には興味がなく、代わりにローンで不動産を購入した。

だが、ビジネスが上手くいかなくなり、不動産ローンの返済が困難となる。

このままでは破産しなければならなくなると考え、その恐怖から銃を手に入れる。


1996年、ハンガリーのブリーダーから犬を購入しようとアルゼンチンからブリーダーがやって来る。

同年2月26日、そのアルゼンチン男性がネメスケリのアパートに向かった (ネメスケリがどのような経緯でアルゼンチン人ブリーダーと知り合ったかは不明) 。

だが、ビジネスの事で議論となり、ネメスケリはアルゼンチン男性を撃って射殺した。

そして、6000ドル (約80万円) と金のリングを盗んだ。

ネメスケリは遺体を袋に入れ、駐車した車に隠し、数週間後に庭に遺体を埋めた。

この殺人で容疑者として名前が挙がったネメスケリは、警察の尋問とポリグラフ検査が行われたが、この時、検査が失敗した為、問題なしとされ解放された。


同年6月、ネメスケリは自宅の電子機器を電気技師に来てもらい見てもらっていた。

だが、ネメスケリはデバイスを偽造して使用しており、それを電気技師に知られてしまう。

その為、ネメスケリは電気技師を殺害し、遺体を袋に入れて中庭に置いた。

その後、ネメスケリはオーストリアの首都ウィーンで開催される犬のコンテストに参加し、週末に帰宅すると遺体を庭に埋めた。


1997年12月12日、ネメスケリは郵便局の女性職員から切手を購入する事を口実に呼びつけ、撃って射殺した。

そして、女性の持ち物を全て盗み、湖に運んで遺体を捨てた。

女性の分解した遺体は1998年2月まで発見されなかった。

目撃者は女性が男性の車に乗るのを確認しており、目撃者により合成写真が作られた。

ネメスケリは弟ゾルトに200万ドル (約2億円) の借金をしており、長い間、ゾルトから返済を求められていた。


ゾルトはネメスケリに対して訴訟を起こし、1999年4月8日、裁判が行われる予定であった。

しかし、前日の7日、ネメスケリはゾルトをアパートに招き、訴訟について説得を試みる。

だが、話しが上手くいかず、ネメスケリはゾルトを撃って殺害し、遺体を地下に隠した。


警察がゾルト失踪について捜査を行い、同年9月にネメスケリに尋問した。

ネメスケリはゾルトについて知らないと述べた。

しかし、警察は犯人をネメスケリだと考えており、家宅捜索すると地下でゾルトの遺体を発見する。

そして、更に周辺を捜索し、2つの遺体を発見する。

ネメスケリはゾルトら4人の殺人について否認する。

アルゼンチン男性についてはゾルトが撃ったと主張し、電気技師についてもゾルトが撃ったと述べた。

また、郵便局の女性もゾルトが撃ったと述べた。

だが、裁判でネメスケリには終身刑が言い渡された。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1996年~1999年4月7日



∽ 総評 ∽

『Katoka Street Killer (カトーカ通りの殺人者) 』と呼ばれ、4人を殺害したネメスケリ。

ネメスケリの犯行は基本的には強盗目的であった。

ただ、電気技師や弟殺害は自分に不利な事が起きた事で口封じの為に殺しており、とても救いようがない。

ネメスケリは初期の人生についてはほとんど知られていない為、どんな家庭環境だったのかはわからない。

殺人を初めて行ったのも30も半ばであり、それまで犯罪を行ったのかも不明だ。

ネメスケリはこれまでの殺人をゾルトのせいにして逃れようとしたが、死人に口なしをいい事に好き勝手言っていた。

ではそのゾルトは何故死んだのか?という事になり、いくらなんでも無理な理屈だろう。

ハンガリーの終身刑制度をよく知らないが、とにかくこういった異常者は決して外に出してはいけないので、仮釈放がない事を祈りたい。