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ラジスラフ・ホヤル (チェコ)
【1958 ~ 1986】



ラジスラフ・ホヤルは、1958年3月15日、チェコの首都プラハで生まれた。

父親はホヤルがまだ若い頃に癌で亡くなり、母親は2度再婚した。

だが、そんな母親も癌で亡くなった。

ホヤルは兄弟のヤオスラブとアパートで生活するようになった。

スペシャルスクールを終えた後、ホヤルは軍人となるべく訓練を受け軍人となるが、IQが88しかなかった。


1978年11月2日、ホヤルはバスでドイツに行こうとしたが、途中、河岸でエヴァ・R (29歳♀) を襲う。

エヴァを地面に叩きつけると、茂みで首を絞めて殺害した。

その後、死姦しようとするが止め、死体を見ながら自慰行為をした。


1980年2月9日朝、イヴァーナ・S (25歳♀) がプラハからジェチーンに列車に乗って向かおうとしていた。

すると、ホヤルもその列車に乗っており、イヴァーナの背後からスカーフで首を絞めて殺害した。

今度は死姦を試みるが、キャビンが狭かった為諦め、再び自慰行為をした。

イヴァーナの遺体は列車の窓から外に投げ捨て、ホヤルは約2時間後、別の列車でプラハに戻った。

遺体は午前8時に見つかり、47人の乗客の内、46人が確認された為、残る1人が容疑者となった。

その容疑者がホヤルだったが、アリバイがあった為、解放された。

だが、実際はアリバイはなく、多くの杜撰な調査により、アリバイがあった事になってしまったのだった。

結局、犯人は直後に自殺した鉄道労働者となった。


同年8月、ホヤルは休暇中に友人に会いに向かった。

ホヤルはレクリエーション施設にある貯水池に行こうとするが、悪天候の為中止した。

すると、海岸で1人ダムを見ている女性 (氏名不詳、25歳から35歳くらい) を見つける。

そして、女性を見るなり背中から襲いかかり殺害する。

その後、女性を死姦するが興味を失い、体をワイヤーで縛り石の重りを付けて、水の張ったタンクの中に沈めた。

遺体は同年10月11日に発見されたが、遺体の損傷が激しく、頭部と手首が体から離れていた (身元については現在までも判明していない) 。


1981年1月30日朝、イヴァーナ・M (18歳♀) は旅行でブルノに到着した。

そして、動物園に行った帰り、停留所にいた所をホヤルに声を掛けられる。

イヴァーナは逃げるが、ホヤルは捕まえると地面に叩きつけた。

そして、強姦しようとしたが抵抗に遭った為、突き刺し最後は首を絞めて殺害した。

殺害後、ホヤルはハサミで乳房を切り取り、女性器をくり貫くと、ビニール袋に入れて持ち帰った。

家に戻ったホヤルは乳房をテーブルに起き、くり貫いた女性器を自身の陰茎にはめ自慰行為を行った。

約1週間後、乳房と女性器を調理し、マスタードと西洋ワサビをつけて食べようとしたが、美味しくなかった為、トイレに流して捨てた。

イヴァーナの体には39ヶ所の傷があり、犯行現場には財布や宝石類は置いたままだった。


同年10月3日、アンナ・S (51歳♀) は、プラハでコンサートからの帰りだった。

ホヤルは夜という事もあり、アンナが若いと思い襲い掛かった。

そして、強姦するとストッキングを頭の上に引っ張り、顔を識別されないよう首を絞めて殺害した。


また、ある日、酔っ払って路上に座っていた少女をホヤルは襲う。

ホヤルは少女を引きずり服を剥いて裸にし、強姦しようとするが、ホヤルは勃起しなかった。

ホヤルは少女の口に物を詰め込み、首を何度も押し当てた為、少女は何度か意識を失った。

しかし、少女は機転を利かし、誰にも邪魔されない自宅でゆっくり行為をしようとホヤルに提案する。

ホヤルは少女の言葉に従い、自宅に連れて行こうとするが、少女が裸では街中を歩けないと言い、ホヤルの許可を得て服を着た。

だが、少女は服を着た後、ホヤルを突き放して走って通りに向かった。

ホヤルは追い掛け少女を捕まえ、地面に叩きつけた。

この時の衝撃で、少女は舗道に頭を数回ぶつけるが、少女の叫び声を聞いた近くにいた警官が駆けつけた。

ホヤルは少女を嘲笑い、逃走した。

その後、ホヤルは精神病患者の証言により、逮捕される事となる。

ホヤルはアンナ殺害を認め、どのように行ったか詳細に語った。

犯行現場にはホヤルの血液や唾液、精液等が発見された。


1982年、ホヤルは他の殺人4件と18件の強姦についても告白した。

犯罪学者はホヤルは他に少なくとも2人以上の殺人に関与していると考えたが、それについてはホヤルは否定した。

ホヤルは裁判で死刑判決が言い渡された。


1986年8月7日、ホヤルには絞首刑による死刑が執行された。

享年28歳。

ホヤルの死刑執行は病気の為に2度延期されたが、ホヤルは死を恐れていた。

ホヤルはチェコ史上最も残忍な殺人鬼と言われている。



《殺人数》
5人以上 (他強姦18人)

《犯行期間》
1978年11月2日~1981年10月3日



∽ 総評 ∽

チェコ史上最も残忍な殺人鬼とされるホヤル。

ホヤルの殺害数はわかっている範囲では5人であり、最も残忍という割には非常に多いという事はない。

ただ、殺害内容に関しては最も残忍といえる程のものであり、自国で最悪の殺人鬼と呼ばれるに相応しい異常振りであった。

ホヤルは強姦に死姦、遺体の一部を切り取って持ち帰り、それを自慰行為に使用し、また、食人も行うという異常殺人行為の全てを行った。

その変態ぶりはかのロシアの食人鬼アンドレイ・チカチーロを彷彿とさせる。

ホヤルに何故、これ程の異常性が備わったのかわからないが、幼い時の両親の死が根底にあると思われる。

ホヤルはアリバイがなかった為、1度有力な容疑者となったにも関わらず、杜撰な捜査によりアリバイがあった事になり、その後、犯行を重ねた。

後にホヤルが犯人だと判明した際、捜査をした人間に何らかの罰を与えるべきではないだろうか。

ホヤルは死を恐れており、詳細はないが執行の際は取り乱したのは間違いないだろう。

病気の為、2度執行が延期されたが、ホヤルの年齢を考えればおそらくこの病気は執行を故意に延期させる為の虚偽だと思われる。

これだけ異常な犯行を行って起きながら、自身の死については恐れた。

シリアルキラーは他人の命に冷淡なかわりに自身の命にも執着しない人物が多い。

日本の大久保清も処刑の際はあまりの恐怖で失禁して歩けなかったそうだが、全く情けない話しである。