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エドマンド・ザゴルスキー (アメリカ)
【1954 ~ 2018】



1983年4月5日、エドマンド・ザゴルスキーは、アメリカ・テネシー州ヒックマン郡で、友人ジミー・ブラックウェルの管理する「Trout Farm」という農場に滞在する事となった。

ザゴルスキーはホンジュラスやエルサルバドルで傭兵として働いていた事があった。

傭兵として働いていた時は、迷彩服を着用し、サバイバルナイフと半自動ライフル、その他の武器で武装していた。

後にザゴルスキーは傭兵として1日100ドルを手にしていたと語った。

農場に滞在中、ザゴルスキーはジョン・デイル・ドットソン (28歳♂) と居酒屋の店主ジミー・ポーター (35歳♂) と知り合う。

知り合ったきっかけはマリファナ等のドラッグの取り引きであった。


同年4月21日、ザゴルスキーはドットソンとポーターにマリファナを100ポンド (約2万円) で売りたいと話しを持ち掛ける。

実はザゴルスキーは最初からマリファナを売る気等なく、お金だけを奪うつもりであった。


同年4月23日、農場近くの森の中で待ち合わせし、午後5時頃、ザゴルスキーは2人を撃って射殺した。

この時、銃声をブラックウェルが聞いているが、この地域では狩猟が多く、銃声自体珍しい事ではなかった為、何とも思わなかった。


同年5月6日、ロバートソン郡のハイウェイ65近くの森林地帯でドットソンとポーターの遺体が発見される。

2人共に胸を撃たれ、喉と腹部を切り裂かれていた。

2人の検視が行われると、死因は撃たれた事による事がわかったが、撃たれた直後には死亡せず、5分から7分程度生きていたとされた。

ザゴルスキーは2人を殺害後、オハイオ州アイアントンに向かった。

ザゴルスキーは殺害したポーターが所持していたマグナムを持っていた。


同年5月26日、ザゴルスキーはオハイオ州で逮捕された。

逮捕された際、ザゴルスキーは弾丸付きベストを身に付け、警察の車両に向かって5度発砲した。

また、ジャケットやスーツには現金で9000ドル (約200万円) 入っていた。


同年7月27日、ザゴルスキーはポーターを殺害する為に雇われたと供述した。

ポーターの死体を袋に入れて遺棄したと述べたが、ドットソンに関しては殺害していないとも主張した。

だが、ザゴルスキーの発言には矛盾が多かった為、陪審員は2件の殺人で有罪判決を下した。


1984年3月27日、ザゴルスキーには死刑が言い渡された。


ザゴルスキーは2018日10月11日に電気椅子による死刑が執行される予定であった。

だが、弁護士がテネシー州で電気椅子による執行は2007年以降、行われていないとして死刑執行の停止を訴えた。

その為、ザゴルスキーへの死刑執行は猶予された。


同年11月3日、電気椅子での死刑が執行された。

テネシー州で電気椅子での死刑執行は、前述した2007年以来11年振りであり、1960年以降、2007年の執行以来2人目であった。

また、執行前の最後の言葉は

「さあ、やろうか」

であった。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1983年4月5日



∽ 総評 ∽

ドラッグの取り引きで2人を殺害したザゴルスキー。

ドラッグ関連による事件はアメリカではよくある事で珍しくはない。

これまでいくつか掲載してきたが、ドラッグが絡むと人間の命が驚く程軽く扱われるが非常に恐ろしく感じる。

ザゴルスキーは傭兵として働いていた事があったが、それが殺人に活かされた。

傭兵のようなプロの兵隊が犯行に及ぶというのは素人の一般人にはとても抗えなく、最も卑劣といえる。

ザゴルスキーがどのような幼少時代を送ってきたのか詳細がなくわからないが、傭兵になったのも「金をもらって堂々と人を殺せる」と考えてのものだと思われる。

ザゴルスキーへの死刑執行は今年の10月に行われる予定であったが、猶予となり1度は延期された。

無事執行されたから良かったものの、犠牲者や遺族の気持ちを蔑ろにするのもいい加減にして欲しいと思う。