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ジェームズ・エレッジ (アメリカ)
【1942 ~ 2001】



ジェームズ・ホーマー・エレッジは、1942年12月9日、アメリカ・ルイジアナ州で生まれた。


1965年、エレッジはニューメキシコ州アルバカーキにあるコンビニエンスストアに強盗に入り、女性の事務員を誘拐する。

そして、女性にガソリンをかけるが、火を点ける前に逃走した。

この強盗の間、エレッジは女性従業員を誘拐した。

逮捕されたエレッジは誘拐や武装強盗等で有罪判決を受け、懲役10年から50年の不定期刑が言い渡され、ニューメキシコ州サンタフェの刑務所に収監された。

しかし、エレッジはわずか3年の刑期で仮釈放された。


1974年、ワシントン州シアトルで、モーテルのマネージャーをハンマーで28回殴って殺害する。


有罪判決を受けたエレッジであったが、刑務所にいる間、3度仮釈放となり、3度目は1995年8月であった。


1998年4月18日、エロイーズ・フィッツナー (47歳♀) は教会で働いていた。

エレッジとフィッツナーは友人であり、この日、もう1人の女性 (S.C.と呼ばれる) と3人で食事に行く予定であった。

エレッジとS.C.が教会に到着すると、エレッジはナイフを取り出し、脅してフィッツナーとS.C.の手首と足首をロープで縛った。

そして、フィッツナーの首を絞めて殺害するが、死んだかわからなかった為、念のため首を刺した。

その後、フィッツナーの遺体を隠し、S.C.を拉致するとフィッツナーの車で自宅に戻りS.C.を強姦した。


翌日の19日、警察に告げれば殺すと脅して解放するが、S.C.はすぐに警察に駆け込んだ。


同年4月21日、ワシントン州タコマのホテルで、エレッジは自ら警察に連絡し、駆けつけた警官に逮捕された。

その後、エレッジはフィッツナー殺害を認め、犯行内容について詳しく説明した。

動機について、エレッジは1年前にフィッツナーに関係を妨害されたと述べた。


同年7月28日、エレッジは死刑が言い渡された。

エレッジは控訴や嘆願等といった全ての権利を放棄した。

その為、エレッジは「volunteer (ボランティア) 」と呼ばれた。

死刑を素直に受け入れたエレッジに対し、人権派等から死刑に対して反対や減刑を求める運動が行われた。


2001年8月28日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年58歳。

エレッジのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、スクランブルエッグ、ベーコン、ハッシュブラウン、ワッフル、スイートロール、オレンジジュース、ミルクであったが、出された食事をエレッジは食べなかった。

また、処刑前の最後の言葉は

「フィッツナー殺害については非常に残念だ」

であった。

エレッジへの死刑執行は、2001年にアメリカ全体の46番目であり、1976年に死刑が復活して以来、729番目であった。

また、ワシントン州としては死刑執行は非常に珍しく、2001年では最初で最後であった。

また、死刑が復活して以降、4人目であり (1904年以降では76人目) 、1998年10月13日に執行されたジェレミー・サガスティギー以来であった。


最後に裁判で自分自身について証言したエレッジの発言で終わりたいと思います。

「それは私の非常に邪悪な部分です。そして、私のこの邪悪な部分は死ぬ必要があります」



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1974年、1998年4月18日



∽ 総評 ∽

2人を殺害し、その後、粛々と死刑に臨み刑場の露と消えたエレッジ。

エレッジのように控訴や嘆願等、あらゆる権利を放棄して死刑に臨む人間を「volunteer」といい、これまで何人か紹介してきた。

個人的に往生際の悪い凶悪犯は嫌いなので、このエレッジのように死刑を素直に受け入れるのは好感がもてる。

ただ、だからといって人権派が言う減刑や死刑執行の延期はあってはいけない。

やった罪に対しての刑罰は必然であり、素直に死刑を受け入れているので許すというのは全く違う。

そもそもエレッジは最初に逮捕された際、10年から50年 (まずこんな幅広い刑期自体が理解出来ないが) という不定期刑を言い渡されたが、わずか3年で仮釈放となった。

いつもの事だが、この時、50年刑務所に入っていたならば後の犯行は起こらなかった。

エレッジは死刑判決後、わずか3年足らずで執行された。

控訴などしていないから当然ではあるが、素直な死刑を受け入れた人間が先に執行され、控訴や無実を無駄に訴える人間の執行が何十年も行われないというのはどうも納得いかない。