リチャード・マクネイア (アメリカ)
【1958 ~ 】
リチャード・リー・マクネイアは、1958年12月19日、アメリカ・オクラホマ州アルタスで生まれた。
1987年11月、マクネイアはノースダコタ州マイノットで強盗を行い、この時、2人の男性と遭遇し、驚いたマクネイアは1人を撃って射殺した。
もう1人の男性にも4発の銃弾を撃ち込むが、その男性は奇跡的に一命を取り留めた。
警察が駆けつけ説得すると、銃を置いて降伏した。
逮捕されると、マクネイアは椅子に手錠を掛けられ座らされた。
マクネイアはポケットに忍ばせていたリップクリームを取り出すと、それを手首に塗り手錠から抜け出す為の潤滑油として利用し、逃亡を図った。
街中で警官に追い掛けられ、3階建ての建物の屋根の上に追い詰められ囲まれてしまう。
振り切る為に木の枝にジャンプして逃げようと試みるが、飛び乗った枝が折れてしまい地面に背中から落ちてしまい、逃走から数時間後、逮捕された。
怪我を負ったマクネイアは病院に搬送され、回復した後、刑務所に収監された。
裁判で殺人と殺人未遂で終身刑が、強盗で懲役30年が言い渡された。
1992年10月、マクネイアは2人の囚人と協力し、風が通るダクトから脱獄する。
囚人1人は数時間以内に、もう1人の囚人も数日以内に逮捕されたが、マクネイアは逃走した。
逃走中、髪を伸ばし金髪にして身を隠し、車を盗んでは逃走した。
結局、1993年にネブラスカ州グランドアイランドで逮捕されるまで約10ヶ月間逃亡した。
2度目の脱獄となったマクネイアは、連邦刑務所に収監される事となり、そこで10年間過ごした。
2006年4月5日、マクネイアはルイジアナ州ポロックの刑務所から脱獄する。
マクネイアは刑務所内で古い壊れたメールバックを修理する刑務に従事していた。
ある日、マクネイアはメールバックが納められたパレットの中に隠れた。
パレットはシュリンクラップで包まれ、刑務所の外側にある倉庫に運ばれた。
職員が昼食で倉庫から離れた後、堂々と逃走したのだった。
看守はマクネイアが何人かの囚人の援助を受けて逃走したと考えたが、FBIは常に1人で行動していたと述べた。
マクネイアが刑務所からいなくなったとわかったのは午後4時頃であり、脱獄後、ルイジアナ州アレクサンドリアに向かい、そこで物資や車を盗んだ。
数時間後、マクネイアはルイジアナ州ボール付近の鉄道の線路を車で走っていた所を止められた。
マクネイアは身分証明書を持っておらず、名前を尋ねられると、「ジミー・ジョーンズ」と名乗った。
マクネイアは警官と笑いながら冗談を話し、警官が逃走したマクネイアの事を聞いても落ち着いて知らないと話した。
結局、警官はマクネイアをそのまま解放してしまう。
ただ、この時、警察に提供されたマクネイアの写真は非常に低品質の荒いもので、しかも6ヶ月前のものであった。
また、マクネイアが刑務所から脱獄した事を警察にしっかりと伝わっていなかったのも見逃した原因であった。
同年4月13日、マクネイアは15人の重要指名手配犯 (Most Wonted) の1人に追加された。
また、マクネイアは1991年以降、連邦刑務所から逃亡した最初の囚人であった。
脱走してから約2週間後の4月後半、マクネイアはワシントン州ブレインに入り、その後、カナダのブリティッシュ・コロンビア州に入った。
そこで、マクネイアが運転していた盗難車が警官によって止められる。
警官は尋問の為に車から下りるよう促すが、マクネイアはそのまま車を発進させた為、警察は車に向かって発砲した。
2日後、警察はマクネイアがカナダにいる事を確認するが、警察が身元を確認するまで数日かかった為、車で容易に逃走する事が出来た。
同年5月にはブリティッシュ・コロンビア州やワシントン州等、カナダや全米を行き来した。
そして、最後にミネソタ州からカナダに戻った後、オンタリオ州南部に向かい、バンクーバーへ向かった。
2007年、マクネイアはカナダ東部を移動した。
そして、ケベックに到着したマクネイアはマウンテンバイク等を乗って楽しんだ。
その後、バーモント州ダービーラインからアメリカへ入国しようと考えるが、リスクが高いと判断し止めた。
マクネイアはカナダ各地を巡り、ニューブランズウィック州フレデリクトンで約2ヶ月間過ごした。
2007年11月24日、マクネイアの事がカナダでも放送される事となり、50件以上の目撃情報が報告された。
マクネイアは逃亡しながら多くのラップトップパソコンを所持しており、そこには情報を保存していた。
また、そのパソコンを駆使し、IDカードや運転免許証を偽造した。
マクネイアはブリティッシュ・コロンビア州チリワック近くのモーテルに滞在していたが、ある日、買い物から戻るとモーテルがSWATチームに包囲されているのを目撃する。
マクネイアは見つからないように車で逃走した。
2007年10月24日、ニューブランズウィック州ナッシュクリーク近郊で、白いバンが見つかる。
そのバンが盗まれたものだと感じたRCMP (王立カナダ騎馬警察) のダン・メランソンは、ナンバープレートを書き留めた。
翌日、新人の警官が偶然車に乗るマクネイアを見つけ追跡した。
しばらくカーチェイスが続いたが、結局、マクネイアは逮捕された。
現在、マクネイアは2つの終身刑により刑務所に収監されている。
最後に逃亡後に逮捕されたマクネイアの発言で終わりたいと思います。
「私が捕まったのは単に不運の産物であった」
《殺人数》
1人 (他1人負傷)
《犯行期間》
1987年11月
∽ 総評 ∽
3度も脱獄したマクネイア。
脱獄犯はこれまで何人か掲載してきたが、3度も脱獄するというのはそうはいない。
しかも、マクネイアは3度共異なる方法で脱獄を成し遂げた。
ただ、マクネイアの逮捕後の発言を聞く限り、プライドが高い性格なのはみてとれる。
マクネイアがこれほど長期に渡り逃走出来たのは色々な不手際や怠慢等が挙げられるが、マクネイアの逃走への執念が勝ったともいえる。
コメント
コメント一覧 (15)
プライドと言うよりは虚栄心でしょう、恥を恥とも感じぬ人間には誇りや名誉などと言うものは宿りませんから。
自分は運がなかったから逮捕されたとおっしゃる通り更生は絶対不可能。
しかも、逮捕されても刑は追加されているのでしょうが、終身刑を1度言い渡されているので無意味極まりないですね。
脱獄王なんぞではなく糞で腐った精神を持った強盗殺人鬼。
最初の強盗殺人で無慈悲に射殺かすべき鬼畜でしたね。
せめて最期の逮捕では死刑判決にしてほしかったです!!
そうですね。
それにしか命をかけられないただのクズですね。
虚栄心ですか、確かにそうかもしれませんね。
>名無しさん
運がないせいにしている時点で救いようがないですね。
仰る通り最初に処刑すべきでしたね。
終身刑に終身刑を重ねる事の無意味さ!
終身刑の上は死刑しか在り得ない!
色々な無駄な手続きをして、凶悪犯罪者に余裕を持たせるから録な事にならないのです。
射殺でも、腕と脇腹を撃って治療しない方がベストでしょう。
凶悪犯罪者がこれ程迄にデカイ面をするようになった主原因は(凶悪犯罪者専用)人権擁護団体のせいです!
凶悪犯罪を増長させるだけなので、こんな団体こそ無くすべきですね。
いいですね。
むしろそれ以外選択肢ないでしょう。
仰る通りいくつもの終身刑ってなんなんでしょうか。
凶悪犯からすれば「もう何をやっても終身刑なんだから無茶苦茶な事やってやる」てなりますよ。
私も人権擁護団体のせいだと思います。
だから人権もないような凶悪犯共が図に乗るんですよ。
人権擁護によって減刑となり、その犯人が再犯した場合、人権擁護団体にも罰を与えるべきですね。
再犯防止教室や刑務作業なんぞで凶悪鬼畜が更生する可能性は1万分の1あるかないか。
サイコは罰を罰と認識できない凶悪卑怯卑劣な殺人生物(いきもの)です。
脱獄などの違反があった時点ですぐ処刑すべき!!
防止方法ですね。
そうすれば絶対再犯は起きません。
更生にかける費用と労力は大変なもので、それでも更生する可能性はほとんどありません。
何故、1度道を踏み外した人間の更生に対してそこまで努力するのか理解出来ないですね。
この事件はホルティ提督の息子ミクローシュ2世をアロークロス党員がリンチ、暴行、監禁、拷問した誘拐事件です。
知らない人物ですね。
今度調べてみます。
どの国でも、事あるごとに捕まっては脱獄を繰り返す人間が存在しますが、どの人間も決まって、その執念さと労力が凄まじいですね。
こういう何度も脱獄を繰り返す人間は、脱獄した後のことではなく、脱獄することが目的になっていることが多く感じます。目的が手段になり、ミイラ取りがミイラになる。
軽犯罪で脱獄を繰り返すならまあカワイイもんですが、強盗し、人を殺し…その後脱獄ねんて、独房ではなくさっさと死刑台へ送るべきでしょう。
最近起きた脱獄事件二つの平尾容疑者と樋田容疑者。どちらも話題となりましたが、平尾容疑者が窃盗なのに比べ、樋田容疑者の方は元の罪が強姦事件だったので、変に話題にしている場合じゃないなと思ったのを思い出しました。
窃盗でも罪は罪で、だからいいというわけではありませんがね。
日本でも少し前に賑わせたニュースでしたね。
脱獄というの一回でもやった時点で即処刑でいいと思います。
更生を促す刑務所で結局更生していないという事ですし。
当然ですね。
まあ障害があろうがなかろうかやった事が全てなので精神科医の判断なんて必要ないと思いますね。
無かったみたいですな
あったらこうなってないでしょうね。