_20181026_095851
ナイル・ガラルサ (アルゼンチン)
【1998 ~     】



ナイル・ガラルサは、1998年9月11日、アルゼンチン、エントレ・リオス州で生まれた。

父親をマルセロ、母親をヤミナといい、マルセロは州警察に勤務する警察官であった。

ガラルサには3歳年下の弟と更に2人の弟がいた。

後に両親が離婚した際、ガラルサと3歳下の弟が母親と、2人の弟が父親と暮らす事となった。

ガラルサはコンセプシオン・デル・ウルグアイ大学に通い、専攻は法学部であった。


ガラルサは2012年頃からフェルナンド・ガブリエル・パストリッツォ (1997年1月3日生まれ) と交際を初めた。

ガラルサにとってパストリッツォが初めての相手であった。


2017年12月29日、パストリッツォが路上で倒れている所を発見される。

救急車が到着するが、その時にはパストリッツォは亡くなっていた。

近所の住人は2発の銃声を聞いており、パストリッツォの胸部には2発撃たれた痕があった。

当初は強盗の仕業だと思われたが、現場の様子や物を盗られていない事からそれは否定された。


2018年1月2日、パストリッツォ殺害容疑で逮捕されたのはガラルサであった。

翌日、ガラルサはパストリッツォ殺害を認めた。

実は最初、ガラルサは警察官である父の銃を使用した為、父が責められる事を恐れ、嘘をついていた。

だが、結局、父の9mm銃を持ち出し、最初に背中、次に胸を撃ったと述べた。

監視カメラにもガラルサに似た人物が午前5時22分頃に歩いている姿が確認された。


逮捕後、ガラルサのインスタグラムのアカウントは閉じられていたが、同年1月10日に再開された。

すると、わずか24時間で3万ものフォロワーを獲得した。

メッセージにはガラルサを批判するものが多かったが、支持する声も多くみられた。

しかし、翌日にはパストリッツォとの写真が消去され、プロフィールも削除された。

だがガラルサを支持する人たちによって新たにいくつものアカウントが作られた。


裁判が始まると、ガラルサはパストリッツォに日頃から暴力を受けていたと述べ、泣き始めた。

ただ、犯行当日、ガラルサはパストリッツォとツーショットの写真をSNSに投稿しており、それには愛情のこもった文章が添えられていた。


同年7月3日、ガラルサには終身刑が言い渡された。

判決を言い渡された時、ガラルサは19歳であったが、これは、女性で終身刑となった年齢としては以前掲載したポーラ・ベニテスを抜いてアルゼンチン史上最も若かった (ベニテスも犯行当時19歳であったが、ガラルサの方が数ヶ月若かった) 。


最後に殺害当日にインスタグラムに上げたツーショット写真に添えたガラルサの言葉で終わりたいと思います。

「これまで5年間、一緒に戦い生きてきた。いつも同じ愛で。あなたは私の天使であり、私はあなたを永遠に愛す」



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2017年12月29日



∽ 総評 ∽

ボーイフレンドを殺害したガラルサ。

この事件はガラルサの容姿と相まってアルゼンチン全土で注目を集めた。

ただ、いまいちガラルサの犯行動機がわからない。

殺害当日に愛情のこもったインスタグラムを投稿しているし (カモフラージュかもしれないが) 、お金目的でもない。

裁判ではガラルサはパストリッツォに日頃から暴力を振るわれていたと言ったが、これはなんとなく死人に口なしを言い事に好き勝手言っているようにしか思えない。

もしかしたら他に好きな男が出来たとかパストリッツォが浮気したとか他に原因があるのかもしれない。

美しい容姿の為、ガラルサを擁護する声はかなり多かった。

だが、言うまでもなく犯罪と容姿は関係ないが、残念ながら容姿の為に注目を集めたり同情されるのは事実でありどうしようもない。

ただ、判決に関してはそれらの影響を受ける事なく、アルゼンチンでは最も重い終身刑が言い渡された事は良いことである。