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シャーラ・ジャヘッド (イラン)
【1969 ~ 2010】



ハディジェ・シャーラ・ジャヘッドは、1969年5月10日、イランの首都テヘランで生まれた。

ジャヘッドは看護師として働いていた。


2002年10月9日、ジャヘッドはサッカーのイラン元代表ナセル・モハメド・ハニの妻ラレ・サハルキザンを刺し殺す。

ジャヘッドはハニとは「一時婚 (イランで多数を占めるイスラム教シーア派の習慣で、男女は合意した一定期間、結婚する事も可能で、その期間が過ぎた場合は更新出来るが一旦婚姻関係は解消される。男性は本妻を4人まで持つ事が可能で、「一時婚」の妻とは何人も結婚出来るが女性は1度に1人しか出来ない) 」の関係にあった。

事件の時、ハニはドイツいてイランにはいなかった。

逮捕されたジャヘッドは、当初は黙秘を続けたが、後に犯行を自白した。

しかし、ジャヘッドは裁判で無実を主張した。

実はジャヘッドがサハルキザンを殺害したという証拠は一切なく、ジャヘッドの自白のみであった。

だが、ジャヘッドには死刑が言い渡された。


2008年、裁判所は「手続きに誤りがあった」として判決を覆し、新たにジャヘッドの裁判が行われる事となった。

また、捜査のやり直しも行われる事になった。


だが、2009年2月、ジャヘッドには再び死刑が言い渡された。

イランの人道団体は「彼女は自白を強要された」として死刑に反対した。

ジャヘッドへの死刑が2010年12月1日に決まると、国際人権保護団体はすでに約9年間刑務所に収監されている事を理由に挙げ、ジャヘッドを釈放するよう働きかけた。


同年11月30日、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、冤罪の可能性があるとして処刑を中止するようイラン政府に呼び掛けた。


同年12月1日午前5時、ジャヘッドに絞首刑による死刑が執行された。

享年41歳。

余談だが、ジャヘッドはイランで2010年に死刑が執行された146人目であった。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2002年10月9日



∽ 総評 ∽

元イラン代表のサッカー選手の本妻を殺害したジャヘッド。

ジャヘッドは元サッカー選手と一時婚の関係にあったが、この関係自体はイランでは違法ではない。

そもそもイランは姦通罪も存在し、一時婚を含め男ばかり優位な法律が存在する。

一時婚は男性のみが女性を何人も抱える事が出来、しかも、本妻ですら4人もてるというまさに合法的な売春と呼んでも過言ではなくハーレムのような制度だ。

こんな制度は男の性欲を満たす為だけの制度としか思えず、男女差別も甚だしい (ただ、女性も男性と同じように何人もの男性と結婚出来るとなると、妊娠した場合誰の子供かわからなくなる恐れはある。その為、男女共に1人というが当然だといえる) 。

殺害理由について詳細がなく詳しくわからないが、おそらく殺害して自分が本妻になりたかった為であろう。

もしそうであれば怨恨や嫉妬による殺人となり、ジャヘッドに同情の余地はないといえるが、そもそもこんな身勝手な制度がなければこんな事件は起こらなかった可能性が高い。

国にはそれぞれ考え方があり、法律や制度が違うのは当然だが、誰がどうみても不公平や不平等なものは改正されるべきだと思う。