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ウィリアム・バッテン (アメリカ)
【? ~     】



1967年2月15日、ウィリアム・C・バッテンは、児童に対する猥褻行為及び強盗の罪で逮捕された。

バッテンは性的異常にしてサイコパスだと診断され、精神病院に入院する事となった。


1969年、バッテンは病院から逃げ出し失踪する。


1975年4月14日、バッテンはアメリカ・ワシントン州で、2人の若い女性 (2人共に19歳) に襲い掛かり、ポケットに入れてあった紐で拘束し、ギャグ (猿轡) を填めようと試みる。

しかし、1人の女性が叫んだ為、慌てたバッテンは持っていたナイフでその女性を数回刺して殺害する。

そして、もう1人の女性も刺して殺害した。


同年4月18日、ワシントン州近郊のモクリプス川で、女性たちの半裸の遺体が発見される。

検視を行うと、両者共大動脈を深く切断されている事が判明した。


翌日の19日、犯行現場で2つの紙が発見される。

その内1つは領収書であり、そこには「ウィリアム・バッテン」と明記され、ウィリアムの妻カーリーン・バッテン宛と書かれた封筒も一緒であった。

ウィリアムの家族の1人が、ウィリアムが最近ヒッチハイカーの女性2人を拾ったと話し、写真を見せてくれたと警察に話した。


同年4月25日、ウィリアムは逮捕された。

裁判でウィリアムには2つの終身刑が言い渡された。


最後に叫んだ少女殺害について述べたバッテンの発言で終わりたいと思います。

「私は彼女を黙らせる必要があった」



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1975年4月14日



∽ 総評 ∽

ヒッチハイクの2人の女性を殺害したバッテン。

バッテンはヒッチハイクしていた女性を殺害したが、これはよくある標的の選び方である。

バッテンについて色々調べたが、情報が少なく生年もわからない。

ただ、1967年に猥褻行為で逮捕されたので、この時、20歳としたら現在70くらいになる。

生い立ちや犯行など謎が多い殺人鬼である。