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オンドレイ・リゴー (スロバキア)
【1955 ~     】



オンドレイ・リゴーは、1955年12月17日、チェコスロバキア・モドラで生まれた。

リゴーはロマーニ人であった。


リゴー14歳の時、青少年矯正施設に入れられ、その後、兄弟と共に孤児院に入れられた。

しばらくしてリゴーの父親は逮捕された後、母親のもとで1年間生活を過ごす事となった (母親は交通事故に遭った後、2000年に亡くなっている。父親は後に強盗を働き、その時に死亡した。そんな両親を後にリゴーは好きだと語っている) 。


リゴーは2回結婚し、1度目の結婚は兵役から戻った時、妻が嫉妬に狂っていた為、別れた。

2度目の結婚生活についてはほとんど知られてなかった。

リゴーは新聞社や消防士、病院等、職を転々とした。

リゴーはチェコスロバキア (当時はまだチェコとスロバキアに分離していなかった) で犯罪を繰り返し、1990年までに実に11回も有罪判決が下された (主に家に侵入した窃盗の罪) 。


1989年12月9日、チェコ共和国初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの恩赦によりリゴーは釈放された。

釈放されたリゴーはオーストリアの首都ウィーンに旅行に出掛ける。

この時、リゴーは「ネド・イキック」という偽名でユーゴスラビアのパスポートを取得した。

そして、ドイツ (当時はまだ西ドイツ) に渡り兄と会った。

リゴーはドイツ・バイエルン州で亡命を求めたが、パスポートが偽造と判明し、逮捕される。

リゴーにはドイツ当局から懲役2ヶ月を言い渡された。


釈放された後、リゴーは難民キャンプを出てミュンヘンに向かった。

そこでリゴーは強盗を行うと共に、殺人を開始する。


1990年6月7日深夜、リゴーはヘレナ・S (40歳♀) のアパートに開いた窓から侵入し、金品を物色していた。

すると、ヘレナと遭遇した為、持って来ていた金属パイプで頭を叩き割って殺害した (この時日付が替わり8日になっていた) 。

ヘレナの遺体を毛布に包むと、凶器の金属パイプを窓の下に捨てた。

この時の様子について後に心理学者は
「リゴーは彼女を殺して性的に興奮していた」
と語った。


同年7月31日深夜、リゴーはイルケ・Z (28歳♀) の家のバルコニーのドアを通って侵入し、イルケの首をドライバーで刺し殺害した (この時、8月1日になっていた) 。

そして、リゴーはイルケを死姦し、そして、肛門姦も行った。

その後、ネックレス等の貴重品を盗んだ。

後に犯行現場ではリゴーの靴下と凶器が見つかった。


同年9月、リゴーはオランダの首都アムステルダムに向かう為、ミュンヘンを出発した。

リゴーはアムステルダムに住む姉ヘレナを訪ねた。


同年9月27日夜、リゴーは猫と暮らす1人暮らしのマリア・ヴァン・デル・W (58歳♀) のアパートにバルコニーの窓から侵入する。

そして、5.5kg以上の重さの石畳で殴り殺した。

リゴーはマリアの遺体の服を脱がすと死姦した。

その後、カメラや腕時計、貴重品の入った箱2つなど盗んだ。

また、逃走する前に家の中でスリヴォヴィッツを見つけ飲んだが、これはリゴーが好きなアルコールであった。

マリアを殺害した翌日、リゴーはアムステルダムを離れ、スロバキアの首都ブラチスラヴァへ向かった。


同年10月6日、リゴーは自宅で眠っていた退役軍人のテレジア・レベスゾワ (88歳♂) を素手で殴り殺した。

リゴーはレベスゾワの家から現金やロザリオ、祈祷書等を盗んだ。


1991年1月2日深夜、リゴーはアンナ・パリオコバ (40歳♀) とその息子ユライ・ニトリアンスキー (15歳前後♂) の住むアパートに窓から侵入する。

すると、リゴーはまずユライに木製の棒で殴りかかり、頭を叩き割った。

傍で寝ていた母アンナはその様子に驚き息子を守ろうとしたが、共にリゴーに殴り殺された。

2人の遺体は翌日の早朝発見されたが、一家は1982年にスイスに移住し、スロバキアにはユライが学業の為に1人で住んでおり、そこに新年の為に数日間アンナが滞在していた所を襲われたのだった。


同年1月9日、ブラチスラヴァでジャナ・B (31歳♀) がアパートにいた所、リゴーの襲撃に遭う。

しかし、リゴーは粗末の武器でジャナを襲った事と激しい抵抗に遭った為、リゴーは換気窓から逃走した。

ジャナはリゴーに狙われ唯一助かった人物となった。

ジャナは警察にリゴーがライトブルーのズボンを履き、股周辺が手縫いであった事を告げた (後にリゴーのクローゼットからそのズボンが見つかっている) 。


同年1月下旬、リゴーはブラチスラヴァで、ヘレナ・N (79歳♀) を殺害する。

リゴーはヘレナのアパートのキッチン窓から侵入し、コンクリートブロックで殴り殺した。


同年7月14日、ブラチスラヴァでリゴーはヘンリエッタ・O (22歳♀) のアパートの窓から侵入する。

そして、ヘンリエッタの頭部を殴ると強姦し、そのまま逃走した。

この時、ヘンリエッタはまだ生きており、病院に搬送され治療を受けるが、18日後に死亡した。

実はヘンリエッタのアパートの別の部屋には祖母がおり一緒に暮らしていたが、高齢の祖母は聾唖者であった為、ヘンリエッタが襲われている事に気付かなかった。


1992年3月4日、ブラチスラヴァでリゴーはマチルダ・アーバノバ (67歳♀) を殺害する。

実はリゴーはマチルダ殺害の夜、ガールフレンドと映画館を観に行っており、突然、世話をしに家に帰らなければいけないと言い出し (何の世話かはわかっていない) 、バスから降りた。

その後、朝までガールフレンドの元には戻らなかった。

戻らなかった理由は、リゴーがマチルダ殺害から数時間後、警察に逮捕されたからだった。

逮捕されたリゴーは服に血痕が付着していたのだが、それはシロップだと話し、マチルダの体内から見つかったリゴーの精液のDNAは、売春婦によってその場にもたらされたと述べた。

また、現場で見つかったリゴーが吸ったタバコの吸い殻については偶然そこにいて小便をしている時に吸ったものだと話し、残された足跡については日頃から犯行現場に好奇心を抱いており、見に行った際についたものだと述べた。

更に、犠牲者女性の宝飾品が自宅にあった事については多くの女性からの贈り物の内の1つであるという何もかもが無理な主張であった。

しかし、全てのリゴーの犯行は夜間から朝にかけて行われ、指紋を残さない為に靴下を手に巻き付け犯行に及び、必ず開いている窓から侵入し、金属の棒や木の棒、コンクリート等で殴り殺した。

また、凶器を現場に残し、犠牲者の上半身を毛布で覆い、犯行現場で喫煙し宝飾品を奪って逃走するという行為が全て一致していた。

唯一の生存者ジャナは、リゴーの顔をはっきりと見ており、犯人はリゴーで間違いないと述べた。

スロバキア警察はリゴーによる6人の殺害以外にも余罪があると考えており、リゴーが住んでいたドイツやオランダ各国に連絡を取った。

ドイツとオランダも捜査に協力し、他3件の殺人も判明した。

また、同時期にブラチスラヴァで身元不明の女性の犠牲者がおり、女性の息子が母親の遺体を見つけた。

女性の物と思われる遺品がリゴーの部屋から見つかっているが、結局、確たる証拠がない為リゴーによる犯行とは断定されなかった。


同年12月7日、リゴーの裁判が行われると、リゴーは精神分裂症と反社会性人格障害と診断され、10日間の審理の末、終身刑が言い渡された。

判決を言い渡された際、リゴーは無反応で表情1つ変える事はなかった。

リゴーの犯罪についてまとめられたファイルは、実に5500ページに及ぶという膨大なものだった。

リゴーは無実を主張していた為、すぐに上訴した。


1996年2月28日、最高裁判所はリゴーの上訴を棄却した。


2018年5月11日、リゴーは条件付きの仮釈放を求めた。

リゴーはスロバキア史上最も殺害した殺人鬼とされ (スロバキアはまだ30年足らずの新国家) 、同国最悪のシリアルキラーと言われている。



《殺人数》
10人

《犯行期間》
1990年6月8日~1992年3月4日



∽ 総評 ∽

主に深夜に家に侵入し、最低9人の女性を殺害したリゴー (あと1人は証拠が確実ではない) 。

リゴーはスロバキア史上最悪の殺人鬼とされているが、その犯行はその名に恥じぬ陰惨で残酷なものであった。

リゴーがこれ程の犯行に及んだ理由は詳細がないのでわからないが、父親が犯罪気質だった為、その血を受け継いだのかもしれない。

リゴーはヨーロッパ各地に赴き殺人を行ったが、犯行の方法は徹底しており、秩序型の殺人鬼といえる。

リゴーは強姦に強盗、殺人と凶悪な犯行を躊躇なく行ったが、典型的なサイコパスであるといえる。

リゴーはヨーロッパ各国を巡り、行く先々で強盗や殺人を行ったが、列車で容易に行き来出来てしまう故の結果といえる。

簡単に行ける事は良い事でもあるのかもしれないが、テロなどこういった弊害が生まれる事も肝に命じて欲しい。