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ジョン・シラチ (アメリカ)
【1971 ~     】



ジョン・サバリーノ・シラチは、1971年12月14日、アメリカ・オクラホマ州で生まれた。

シラチはすぐに養子縁組に出された。

幼少時代、シラチはテキサス州で過ごしたが、性格は粗暴であった。

シラチが初めて犯罪を犯して刑務所に収監された時、囚人に性的虐待を受けた。

その後、シラチはテキサス州シュガーランドのクレメンツ高校に通った。

学校では語学に政治、哲学や宗教について好んで勉強し、また、ピアノとギターの腕前はかなりのもので、校内でも有名であった。

だが、シラチは高校を卒業せずに退学する。


1989年、シラチと友人の男性 (20歳) は、同じアパートの住人である11歳の双子の兄弟と性行為を行った。

シラチらは少年に児童ポルノ映画を見せ性行為に及んだが、その様子をそれぞれカメラで撮影していた。


同年1月29日、シラチと友人は撮影した映像を大人の書店に500ドル (約7万円) で売り捌こうとした為、数日後に逮捕された。


シラチは少年に対する2度の性行為、性的暴行等で起訴され、1990年4月26日有罪判決を受け懲役10年が言い渡された。

シラチは元々スペイン語に堪能であったが、刑務所に収監中、フランス語とドイツ語を勉強した。

シラチはヒューストン大学の学士号と修士号を取得した。

シラチはヒューストンやテキサス州ダラスに家族や友人がいたが、刑務所にいるシラチを訪ねてくる人は誰もいなかった。


1999年7月30日、刑務所から釈放されたシラチは、性犯罪者として登録された。

その後、シラチはニューハンプシャー州で新しい生活を開始するが、すぐに同州マンチェスターに移動する。

そして、「Music Mart and Art Center」で働き始める。

「Music Mart and Art Center」は、数百人の子供達が音楽のレッスンを受ける場所で、シラチはセールスマンとして働いた。

シラチはマサチューセッツ州メッドフォードのタフツ大学に入学し、6週間哲学を学んだ。


同年10月、シラチはピアノレッスン中の5歳の少年を強姦する。

シラチは少年に2人の秘密であり他言しないよう促すが、少年はすぐに両親に告げた為、警察はシラチに拘束命令を出した。

シラチは翌日仕事をした後、出頭すると約束するが、午後に逃走する。

シラチはバスステーションの近くに車を放棄し、同僚に車の鍵を渡した。

シラチが働いていた約7週間の間、職員はシラチが児童ポルノを見せ、少年に3回から7回程の性的虐待を行ったと供述した。


同年11月4日、性的暴行の容疑者としてシラチは起訴されるが、この時、シラチはまだ逮捕されていなかった。


2000年9月、FBIはシラチの家を調べると、パソコンの中からおよそ300点もの児童ポルノの画像を見つける。

その後、シラチがバスに乗ってカリフォルニア州へ向かう姿を確認され、そして、最終的にはメキシコに逃亡した。

メキシコのバハ・カリフォルニア州でシラチの姿が確認されると、すぐにアメリカ軍が現地に向かうが、すでにシラチは逃走した後だった。

シラチは町の子供達数人と不適切な性的関係を持っていた事が判明する。

この頃、シラチは「ジョン・ウィリス」や「クリストファー・キーガン」または「コーディ・キーガン」等いくつかの偽名を名乗っていた。

シラチは地下の小児性愛者コミュニティのオンラインで多くのフォロワーを獲得し、児童ポルノの世界では「kingpin (中心人物、親玉、大ボスというような意味) 」と呼ばれ有名であった。


シラチは2003年2月から2006年9月まで、ハリスコ州グアダラハラに住んでいた。

この時、シラチは「ディラン・ピアース」や「エリック・アンダーソン」等と名乗っていた。


2004年、テネシー州でグレゴリー・アレックス・フィリップスが、逮捕され有罪判決が下された。

フィリップスはタイからメキシコへ飛んだ際、当時、ディラン・トーマスと名乗っていたシラチと知り合い、
「トーマスとは30日程一緒に住んでいた。彼は少年とのセックスに従事していた」
と話した。

また、フィリップスはシラチがアメリカへ戻っているとも話した。


2007年9月7日、プロファイルのテレビ番組で、シラチは「FBI Ten Most Wonted (10大最重要指名手配犯) 」の1人に追加された (488番目) 。

シラチはニューハンプシャー州で最初に追加された人物となった。

FBIはシラチ逮捕に繋がる重要な情報提供者には10万ドル (約1200万円) の報酬を支払うと発表した。

FBIはインターネットでシラチの活動を調査し、監視した。

すると、シラチが2003年にウェブサイトに投稿したプロフィールを見つける。

プロフィールには子供の興味を引く為にピアノを弾くと書かれており、小さな写真が添付されていた。

名前はクリストファー・アーレスといい、写真の人物はシラチ本人であった。


2008年6月5日、メキシコ・ミチョアカン州サン・ホセ・デ・グラシアで、シラチは逮捕された。

逮捕されたシラチは翌日にアメリカへ送還された。

シラチはFBIが手配した飛行機に移され、その後、ニューハンプシャー州ポーツマスにあるピース国際空港に向かい、裁判が行われる事となった。


2009年12月22日、シラチは1件の悪質な性的暴行と23件の児童ポルノの窃盗で起訴された後、懲役20年から50年の不定期刑が言い渡された。

検察によると、シラチの犠牲者 (この時15歳) が裁判で証言したくなかった為、嘆願書に同意したという。

シラチは最初ニューハンプシャー州の刑務所に収監されたが、後にニューハンプシャー州北部にある矯正施設に移管された。

シラチが仮釈放の資格を得るのは2039年12月になってからであった。

シラチはわずか1人に対する強姦の罪で起訴されたが、FBIはシラチによる被害者はメキシコも含め少なくとも数十人、最大で数百人に上る可能性もあると示唆している。



《強姦数》
数十人? (数百人の可能性あり)

《犯行期間》
1989年~2008年?



∽ 総評 ∽

数十人の少年を強姦した可能性があるシラチ。

シラチは生粋の小児性愛者で少年を好むゲイであった。

これは元々そうだったのか刑務所で強姦された為そうなったのか詳しくわからない。

シラチは長年偽名を使って逃亡を繰り返し、FBIにより最重要指名手配犯の1人に指定されたが、1年足らずで逮捕に至った。

拘束命令が出た際、すぐに逮捕していればこんな事にはならず、翌日仕事の後に出頭するという言葉を鵜呑みにする事が信じられない。

シラチによる被害者は正式な人数はわからないが、数百人の可能性も示唆されている。

逃亡していた為、アメリカでの被害者数はおろかメキシコでの詳細もわからないので、数百人というのはあながち間違いではないだろう。

ただ、それ程の強姦を行っておきながら誰1人殺害していないというのは珍しい (あくまで確認されている範囲で実際は殺している可能性はあるが) 。

シラチは語学が堪能で、元々スペイン語が出来、しかも、刑務所でフランス語とドイツ語を学んだ。

これらは逃走に大いに役に立ったと思われるが、何ヵ国もの言葉は喋ろうと思っても出来る事ではなく、優秀な頭脳を持ち合わせていたのは否定出来ない。

もっと別の事にその頭脳を活かせれば、有能な人物として世間にその名を轟かせる事が出来たかもしれないと考えると、非常に残念でならない。