_20180625_012323
マイケル・カーニール (アメリカ)
【1983 ~     】



1997年12月1日、マイケル・カーニール (1983年6月1日生) は妹と共にアメリカ・ケンタッキー州ウェスト・パドゥカのヒース高校へ向かった。

午前7時45分頃、学校に到着したカーニールはいくつかの銃を毛布に包み校内に持ち込んだ。

カーニールは耳栓をし、銃を取り出すと、学校内の祈りグループに向かって8度発砲を行った。

この銃撃で学生8人が負傷する。

そして、カーニールは銃を床に置き、校長ビル・ボンドに投降した。

被害に遭った8人はすぐに病院に搬送された。

撃たれた当初は全員生きていたが、後に3人が死亡した。

その為、銃撃による犠牲者は3人となり、負傷者は5人であった。

カーニールは事件当時、14歳でありヒース高校に通う学生であった。

肝心の犯行動機についてだが、カーニールの両親によると、日頃、カーニールはクラスメイトにバカにされており (しかし、これはカーニールの誤解の可能性が高かった) 、また、カーニールがゲイであるという嘘が流れた事が犯行に繋がったとされた。

カーニールは事件の数週間前に両親の部屋から38口径の銃を盗み、それを売ろうとした事がわかった。

また、カーニールは同級生に

「大きな事が月曜日に起こるだろう」

と言っていた事もわかったが、誰もその事を真剣にとり合わなかった。

更に、カーニールは隣人の家に侵入し、いくつかの銃と弾薬、耳栓を盗んでいた事も判明した。

実はカーニールは重度のパラノイアに苦しんでおり、その影響により自身が常に監視されているという脅迫概念にとらわれていた。

その為、カーニールは日頃からバスルームの通気口や窓を覆って隠すという行為を行っていた。

事件後、カーニールを診察した医師には、カーニールを人格障害と気分変調症と診断した。

カーニールが逮捕された後、警察がカーニールの学校のロッカーを調べた所、スティーブン・キングの小説「Rage (激怒・憤怒) 」のコピーを確認した (事件後、キングは出版社に読んだ人を刺激し、再び似たような悲劇を生む可能性があるとして絶版を求めている) 。


1998年、カーニールの弁護士はカーニールは精神病であり、有罪判決を言い渡す精神状態にはないと主張し、ケンタッキー州最高裁判所に再審を求めたが、カーニールには最低25年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。


最後に降伏した際のカーニールの発言で終わりたいと思います。

「私を殺して下さい」



《殺人数》
3人 (他負傷者5人)

《犯行期間》
1997年12月1日



∽ 総評 ∽

自身が通う高校で銃を乱射し、3人を殺害したカーニール。

アメリカで銃乱射事件はこれまで何件も紹介してきている通り珍しくはない。

ただ、犯行時、カーニールはわずか14歳であり、10代での犯行が多い銃乱射事件といえど、かなり若い部類に入る。

カーニールの動機はいじめやクラスメイトにバカにされていた事だとされたが、こういった事件を起こす犯人の動機としては典型的なものといえる。

カーニールは2023年には仮釈放される可能性がある。

その時、カーニールはまだ40歳であり、そう考えると恐ろしい限りである。