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バレンティーノ・タッルート (イタリア)
【1984 ~     】



2017年10月27日、1人の男がイタリアの首都ローマの裁判所で判決を言い渡される。

男の名はバレンティーノ・タッルートという会計士であった。

タッルートの容疑は、無防備な性交渉によって30人の女性にHIV (ヒト免疫不全ウイルス) を感染させた罪であった。

実はタッルートは2006年に自身がHIVに感染している事がわかり、その後、逮捕される2015年の約10年の間、53人の女性と性的関係を持った。

そして、検査の結果、30人の女性が感染しており、その30人の女性の内、3人のパートナーの男性と1人の子供にも感染していた。

タッルートは「ハーティ・スタイル」という偽名を使い、SNSや出会い系サイト等で女性を口説き、同時に複数の女性と交際しており、最大6股していた事もあった。

被害者女性の大半は学生で、年齢は14歳から40歳前後であった。

また、子供のいる女性もいた。

被害者女性たちは病気の為、家族からも距離を置かれる苦しみを味わっていた。


同年3月から始まった裁判では、被害者女性らが証言台に立ち、タッルートにコンドームを着用するよう求めたが、ゴムアレルギーである事と、HIV検査を受けた直後で陰性だったと嘘を言って安心させて行為に及んでいた事がわかった。

タッルートの弁護士は、タッルートが生まれてから1度も父親に会った事がなく、母親はタッルートが4歳の時に死別した (母親はHIV陽性の麻薬常習者であった) 。

その為、タッルートは愛情に飢えていたと主張し、
「被告の行動は軽率であったが故意ではない」
として酌量を求めた。

検察はタッルートに終身刑を求めたが、裁判所は約12時間に渡る審理の後、タッルート被告は病原菌を蔓延させ流行病を引き起こした事はなかったと判断され、禁錮24年が言い渡された (イタリアの法律では病原菌を蔓延させて流行病を引き起こす行為は終身刑とされている) 。

ただ、タッルートへの気持ちを断ち切れない女性もいた。

2人の女性は2014年にタッルートと出会い、すぐにHIV陽性である事を本人から告白された。

女性はタッルートの浮気を許すと証言し、
「私たちは結婚したいと思っています。私はまだバレンティーノを愛しています。彼は皆が言うようなモンスターではないです」
と語っている。



《被害者数》
30人

《犯行期間》
2006年~2015年



∽ 総評 ∽

自身がHIVに感染していると知りながら無差別に複数の女性と関係に及び、その内、30人に感染させたタッルート。

以前、ジョンソン・アジガが、同じくHIVに感染していると知りながら11人の女性と性行為に及び、7人に感染させた事件を紹介した (その内2人はエイズを発症させ死亡した) 。

不治の病であるHIV感染した事で自暴自棄となり、「こうなったら多くの人間に感染させて同じ目に遭わせてやる」という身勝手極まりない考え方の下、繰り返された犯行だろう。

確かにHIVは今でも完治はしないが、現在は薬も進化しており、エイズを発症させないよう抑える薬も沢山ある。

ゴムを着けて欲しいと頼んでいるにも関わらず嘘をついて生で行う鬼畜振りであり、よくこの事を知って「故意ではない」と弁護士が言えたものだと思う。

30人の女性はタッルートが逮捕されるまで自分がまさかHIVに感染していると思ってもいない為、タッルートと別れた後に何人もの他の男性と行為に及んでいるだろう。

だとすると、下手すると数百人という規模の被害者を生み出している可能性がある。

そう考えると、この事件は普通の殺人よりももっと劣悪だといえる。