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マックス・ソファール (アメリカ)
【1955 ~ 2016】



1980年7月、アメリカ・テキサス州ヒューストン北西部にあるフェアレンス・ウィンドファーム・ボウリング場で惨劇が起こる。

ボウリング場にいたアーデン・フェルシャー (17歳♀) とそのボーイフレンド、トミー・テンプル (17歳♂) 、ボウリング場のアシスタントマネージャー、スティーブン・シムズ (25歳♂) の3人が射殺された。

また、グレゴリー・ガーナー (18歳♂) も撃たれたが、一命を取り留めた。

ガーナーは顔面を撃たれた為、失明してしまった。

事件が起こると、ヒューストンのメディアはこぞってこの凄惨な事件を大々的に取り上げた。

ガーナーの目撃証言により似顔絵のスケッチを作成し、有力な目撃情報提供者には15000ドル (約330万円) を提示し、警察は捜査を進めた。


事件から数日後、リーグシティで盗んだバイクを運転していた男性を逮捕する。

男性の名はマックス・ソファールとうトラック運転手であった。

警察はガーナーの目撃情報から犯人をソファールと断定するが、ソファールは犯行を否認した。

しかも、ソファールは犯人を友人のラット・ブルームフィールド (♂) だと告げる。

ソファールは事件当日、ブルームフィールドとボウリング場に強盗目的で向かい、ソファールが外で待っている間に、ブルームフィールドが強盗殺人を犯したと述べた。

事件後、ソファールは妹とテレビを見ていた際、ニュース番組で犯人の似顔絵が公開されたのを見て、妹に犯人はブルームフィールドに似ていると述べた。

しかし、警察がブルームフィールドに尋問した所、事件に関与していない事が判明し、その事をソファールに告げると、ソファールは犯行を認めた (ガーナーも犯人は1人だったと述べていた) 。

ソファールはボウリング場に現れた際、来ていたTシャツを顔まで上げて鼻と口を隠し、ストッキングを被っていた。


裁判が行われると、ソファールの弁護士は事件とソファールを結び付ける決定的な証拠はないとして無実を主張した。

事実、凶器等の物的証拠は一切なく、ソファールの犯行と結び付けるものは目撃証言のみであった。


2006年、裁判でソファールには2度目の判決が下され死刑が言い渡された。


2013年、ソファールは肝臓癌な罹患する。


2016年4月25日、ソファールは刑務所内で死去した。



《殺人数》
3人 (他負傷者1人)

《犯行期間》
1980年7月



∽ 総評 ∽

ボウリング場で3人を射殺したソファール。

ソファールは物的証拠は一切なく、目撃証言のみで裁かれ死刑判決が下された。

これはアメリカの司法では特に珍しい事であった。

ただ、犯行の様子からソファールの犯行で間違いないだろう。

ソファールは逮捕されてから癌で死ぬまで35年以上も刑務所で過ごしたが、死刑判決が下されていたにも関わらず、結局癌で死んでしまった。

死刑執行に消極的な近年の風潮を考えれば、司法にとっては病死してくれて良かったと思っているかもしれない。

だが、個人的に死刑判決を下しておきながら病気で死なれるというのは司法の敗北を意味するのではないかと思う。