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ゲイリー・ヒルトン (アメリカ)
【1946 ~     】



ゲイリー・マイケル・ヒルトンは、1946年11月26日、アメリカ・ジョージア州アトランタで生まれた。


1959年、ヒルトン13歳の時、義理の父親ニーロ・デバグを撃って負傷させた。

デバグを撃った理由は、デバグが実の父親から母親を奪ったと考えたからだった。

しかし、デバグはヒルトンを告訴せず、その為、地元の精神病院に送られ、後に解放された。


1963年、ヒルトン17歳の時にアメリカ軍に入隊し、デイビー・クロケット (戦術核兵器) 歩兵小隊の一員として西ドイツに派遣された。


しかし、数年後、ヒルトンは声が聞こえると言い始め、診察の結果、統合失調症と診断される。


そして、1967年、ヒルトンは名誉除隊となり、軍隊を去った。


1969年、ヒルトンは結婚し、ジョージア州デ・カルブ郡に移住する。


だが、1971年、フロリダ州マイアミで離婚した。


1977年8月24日、ヒルトンはデ・カルブ郡に戻り、ディーナ・エヴォンヌと結婚するが、1978年5月16日に再び離婚した。


1979年3月19日、ヒルトンはストーンマウンテンパークの警備員であるベティ・スー・エドワーズと結婚するが、同年10月24日、離婚した。

ヒルトンはわずか10年の間に3度結婚し、離婚したが、いずれも子供はいなかった。


2005年12月7日、店の事務員ロッサナ・ミリアーニ (26歳♀) が、行方不明となる。

ミリアーニは灰色の髪をした年配の男性と一緒に歩いている姿を最後に確認されていた。

ミリアーニは双極性障害に苦しんでいた。


2007年10月21日、ジョンとアイリーンのブライアント夫妻は、ノースカロライナ州西部のアパラチア山脈のピスガ国有林でハイキングを行っていた。

ヒルトンは夫妻に近づくと、まずアイリーンを鈍器で殴り殺す。

そして、ジョンを拉致すると、ATMのカードを渡すよう脅し、殴って暗証番号を聞き出した。

その後、ジョンを殺害する。


同年12月1日、シェリル・ホッジス・ダンラップ (46歳♀) が、アパラチコーラ国立森林公園で姿を消した。

ダンラップはタラハシーの南にあるクロフォードビルに住み、フロリダ州立大学の学生健康センターの看護師であった。

ダンラップはその日出勤せず、同年12月3日に行方不明として警察に通報された。

翌日の4日、ダンラップの放置された車が見つかり、また、2日から4日の3日間の毎日、ゴムマスクを被った男がダンラップの銀行カードでATMを利用した事が判明した。

警察はその後、犯人が利用したATMで張り込みを行ったが犯人はATMに再び現れる事はなかった。

同年12月8日、約180人で車が見つかった周辺を捜索するがダンラップは見つからなかった。

同年12月15日、ブロックシャム・カットオフ・ロードの近くにあるアパラチコーラ公園で、ハンターが女性の遺体を見つける。

遺体は頭部と両手が欠けていたが、後にダンラップと判明した。


同年12月6日、トモカ州立公園内のトモカ川のほとりで、黒いビニール袋が見つかる。

袋の中から胴体と脚がが見つかった。

後にそれはマイケル・スコット・ルイス (27歳♂) だと判明したが、結局、ルイスの頭部は見つかる事はなかった。


2008年1月1日、ジョージア州ビュフォード出身のメレディス・ホープ・エマーソン (24歳♀) が、チャタフーチー国有林のブラッド・マウンテンを犬を連れてハイキングに出掛けた。

そして、エマーソンは行方不明となる。

翌日の2日、エマーソンの友人らが警察に通報した。

捜査を始めると警察は目撃情報を入手する。

それによると歯のない年配の男性が若い女性と歩いていた。

目撃者はその2人に違和感を感じたものの、親子だと思い警察に通報しなかった。

同日、目撃情報の地点から約60マイル (約100km) 離れた駐車場でエマーソンの犬が見つかり、駐車場内の大型のゴミ収集器の中からエマーソンの血まみれの服が見つかった。

翌日の3日、ニュースを見ながら昼食を摂っていたジョン・タボールという男性が、犯人のヒルトンを知っていると警察に通報する。

そして、翌日の4日、ヒルトンは逮捕された。

この時、ヒルトンはサンディング (樹脂成形部品の仕上げ加工) 事業である「Insulated Wall Systems」のマーケティング業務を10年間行っていた。

逮捕された時、ヒルトンはエマーソンのATMのカードを持っており、ヒルトンは司法取引に応じ、犯行を自白した。

ヒルトンの供述により、エマーソンの遺体が見つかった。

エマーソンの遺体は首を切断されていたが、検視の結果、死因は頭部を殴られた事による撲殺である事が判明した。

ヒルトンはエマーソンを監禁し、暗証番号を吐かせる為に拷問を行った。

エマーソンは暗証番号を教えるが、それは嘘の番号であり、その為、ヒルトンはATMに3度足を運んだ。

結局、エマーソンは3日間もの間、ヒルトンの拷問を受け続け、実際は4日の日に殺害された。

だが、エマーソンは最後まで暗証番号を教えなかった。


同年1月31日、ヒルトンには最低30年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。


2011年4月21日、ヒルトンはフロリダ州で死刑判決を受け、2013年4月25日、ノースカロライナ州で4つの終身刑が言い渡された。



《殺人数》
6人

《犯行期間》
2005年12月7日~2008年1月4日



∽ 総評 ∽

『National Forest Serial Killer (国有林連続殺人犯) 』と呼ばれ、6人を無惨に殺害したヒルトン。

ヒルトンの殺人は強盗であり、犠牲者のキャッシュカードを盗み暗証番号を聞き出してから殺した。

しかも、暗証番号を教えなかったり嘘を教えた者には容赦ない拷問と凄惨な暴行を加えるという非情なものであった。

ヒルトンは軍に入ってから幻聴を聞くようになり、統合失調症と診断された。

元々精神的に破綻していたのか、軍での生活がそうさせたのかはわからない。

ただ、13歳の時に義理の父親を撃っているくらいなので元々異常だった可能性は高い。

ヒルトンは強盗殺人鬼の中でもかなり酷い方だといえる。