_20180515_112915
アール・リッチモンド (アメリカ)
【1961 ~ 2005】



1991年11月4日、アメリカ・ノースカロライナ州フェイエットビルで、ヘリサ・スチュワート・ヘイズ (27歳♀) と2人の子供フィリップ (8歳♂) とダリアン (7歳♀) の遺体が見つかる。

3人共自宅で殺害されていたが、ヘイズは殴られ首を絞められ殺害されていた。

フィリップは鋭利な物 (後にハサミと判明) で40回刺され、首には電気コードが5回巻き付いていた。

ダリアンは殴られ、フィリップ同様コードで絞め殺されていた。

警察は捜査を進めると、すぐに容疑者が浮上する。

名前をアール・J・リッチモンド (1961年11月6日生) という葬儀場で棺を担ぐ仕事をしている男性であった。

リッチモンドは元軍人で、実は殺害されたヘイズの姉妹と交際しており、ヘイズの元夫ウェインの親友でヘイズの家族とも非常に仲が良かった。

リッチモンドはヘイズ親子殺害を認める。

事件当日、リッチモンドはヘイズと口論となり、カッとなってヘイズを殴った。

そして、ヘイズを寝室に連れ込むと強姦し、首を絞めて殺害した。

ヘイズ殺害後、フィリップをトイレに連れて行き殺害し、最後にダリアンを殺害したのだった。

ヘイズの体内からリッチモンドのDNAが検出された。

親子殺害で起訴されたリッチモンドだったが、他にも余罪が判明した。

ヘイズ親子殺害の7ヶ月前の1991年4月、リッチモンドはニュージャージー州でリサ・アン・ナデュー (24歳♀) が殺害された事件が発生していたのだが、未解決事件となっていた。

このナデュー殺害の犯人がリッチモンドと確認された。


1995年6月1日、リッチモンドには死刑が言い渡された。


2005年5月6日、リッチモンドに致死量の注射による死刑が執行された。

享年43歳。

リッチモンドはスペシャル・ミール (最後の特別な食事) を辞退した。

また、執行前の最期の言葉は

「現時点で私は被害者やその家族に深い謝罪を行いたいと思っていますが、私の死であなたの人生が前進する事を願っています。ありがとう。神様はあなたを祝福します」

であった。

このリッチモンドへの死刑執行は2005年、アメリカ全体の20番目であり、ノースカロライナ州としては2番目。

1976年にアメリカで死刑が復活して以降、964人目であり、ノースカロライナ州では36人目であった。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1991年4月、同年11月4日



∽ 総評 ∽

女性や親子3人を無惨に惨殺したリッチモンド。

リッチモンドは幼少時代の詳細がなく、どのような人生を送ってきたのかよくわからない。

リッチモンドの犯行は親しい相手を殺害するという非情なものであった。

殺害理由は口論の末という事で、何に口論したのか詳細がなくわからない。

リッチモンドは殺害した相手の姉妹と交際していたので、その辺りが原因と思われる。

処刑される前の最期の言葉でリッチモンドは謝罪を述べているが、「現時点」でとか「前進」とか好き勝手述べており嫌悪感しか抱かない。

黙って粛々と処刑されてしまえと言いたい。