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アレクサンダー・セルゲイク (ベラルーシ)
【1970 ~ 2007】



アレクサンダー・ヴァシリエヴィッチ・セルゲイクは、1970年、旧ソ連・セイヨネフカで生まれた。

セルゲイクには兄弟姉妹がいた。

セルゲイクの父親はアルコール中毒者であり、妻や子供達を殴り虐待を行った。

そんな父親は新たな女性と一緒になり家族を捨てた。


セルゲイクは中学校卒業後、職業学校で運転技術を学び、卒業後は運転手となった。


1989年から1991年までセルゲイクはソ連軍に所属し、 (ベラルーシは1991年8月25日に独立した) 同年11月に軍隊は解体となった。

その後、セルゲイクは故郷に戻り、地元企業の運転手として働き始めた。


1992年3月、セルゲイクは警察が人員を募集している事を知り、応募する。

そして、セルゲイクはすぐにまだ独立してまもないベラルーシの警察官となり、結婚もして2人の子供も生まれた。

セルゲイクはグロドノ地区のリーダーとなった。

職場ではセルゲイクは「責任感の強い執行官」として部下からの信任は篤かった。


1992年9月18日、セルゲイクは農場でトレーラーを盗んだ。

これがセルゲイクによる初めての犯罪であった。

その後、盗んだトレーラーを解体し、自宅の車庫で部品を販売した。

セルゲイクは販売の度に車を盗んだ。

また、その盗みの最中にダミーの手榴弾やカービン銃を手に入れた。

結局、セルゲイクは14年もの間、車の盗みを続け、総額で約90万ドル (約1億円) を得た。


2000年4月、運転手としても働いていたセルゲイクは、ヘレン・ボルタク (21歳♀) を乗せ、シチュシン地区の森林へ向かい、アルコールを飲ませて意識を失わせた。

セルゲイクは意識を失ったボルタクを強姦し、首を絞めて殺害した。

そして、ボルタクが所持していた宝石類や現金を盗み、最後はボルタクにガソリンをかけ遺体を燃やした。


同年6月、セルゲイクはシチュシンにある肉処理工場の倉庫長であるスベトラーナ・ピルスカヤ (31歳♀) を殺害する。

セルゲイクはテレビのケーブルでスベトラーナを絞め殺し、スベトラーナの自宅のバスルームで遺体を吊るし自殺に見せかけた。

セルゲイクは家にある全ての現金を盗んだ。

セルゲイクはスベトラーナを殺害する前、妻との離婚話しで喧嘩となり、怒りが頂点に達していた。

また、セルゲイクはアルコールで極度に酔っていた。


同年7月下旬、セルゲイクはリュドミラ・コディク (19歳♀) と知り合うと、ネマン川の岸辺に座りアルコールを飲んだ。

そして、性行為を行うと、コディクを激しく殴った。

その後、事前に用意していたロープで首を絞め殺害した。

コディクの遺体はネマン川に捨てた。

セルゲイクはコディクが所持していた鞄を盗んで逃走した。


セルゲイクは2001年は殺人を行わなかったが、警察署では拘留中の犯罪者に殴る蹴るの暴行を加えた。


2002年9月、セルゲイクは共犯者で甥のドミトリー・バルコフ (18歳♂) と共に、グロドノの通り沿いを車で数時間走り獲物を物色した。

しかし、誰も見つからなかった為、町の外れに来ると、1台の車を目撃する。

近くに車を止めると、セルゲイクは銃で武装し車に近づいた。

セルゲイクはドアをノックし、運転手のヴィクトール・シリトシヤ (♂) に車の鍵を渡すよう脅した。

シリトシヤが拒絶するとセルゲイクは頭部目掛けて発砲した。

セルゲイクとバルコフは運転席からシリトシヤを外に引き摺り出すと、助手席にいたシレニティサ・エレーナ・タチェニク (♀) が車から降り逃げ出した。

だが、バルコフがタチェニクに気付き、追い掛けた。

バルコフがタチェニクを捕まえると、殴って車に引き摺り戻した。

そして、セルゲイクとバルコフが代わる代わるタチェニクを輪姦すると、最後はセルゲイクがケーブルで首を絞めて殺害した。

シリトシヤとタチェニクを車のトランクに残して逃走するが、シリトシヤはこの時まだ生きており、後に救出され助かった。


2003年11月、セルゲイクは勤務中に拘留者を殴り倒し、救急車を呼ぶ騒ぎとなった。


2005年2月、セルゲイクは妻と喧嘩した後、警察の友人マリシュコの愛人ナタリア・バシス (♀) の元に向かう。

セルゲイクは以前、マリシュコとバシスと飲んだ事があった。

数時間後、セルゲイクはアパートでバシスを強姦し、花瓶で殴り、刺して殺害した。

バシスの遺体をトイレに置くと、貴重品を盗んで逃走した。

バシス殺害後、警察はバシスの友人全員を調査した。

その中にはセルゲイクも含まれていた。

この時、セルゲイクはすでに内務の部署を辞任していたが、バシスの犯行現場に残された割れた花瓶からセルゲイクの指紋が見つかった。

セルゲイクは尋問を受けるが、当初は殺人を否認していた。

しかし、尋問が長時間に及ぶと、次第に混乱をきたし、もしかしたらやったかもしれないと発言するようになる。

警察はセルゲイクのアパートと車庫を調べ、多くの武器や盗品を発見する。


2006年2月、セルゲイクは2件の殺人と強盗で逮捕された。

間もなく、他に4件の殺人事件でも起訴された。

ただ、セルゲイクは元警察官という知識をいかし、現場にDNAの痕跡を一切残さなかった。

その為、セルゲイクが犯行に及んだという決定的な証拠には至らなかった。

だが、セルゲイクは2000年から2006年の間に11人の女性と1人の男性を殺害したと自白した。

それは前述した犠牲者以外の他にオルガ・ジェロシェチュク (♀) 、オルガ・ショア (♀) 、エレーナ・ルーンタス (♀) 、グルナラ・アジゾヴァ (♀) 、アレクサンドラ・コルナット (♀) であった。

セルゲイクは彼女達全員を強姦し、殺害した後、遺体を燃やしたりネマン川に捨てたと述べた。

だが、遺体を発見する事が出来ず、告発する事は出来なかった。

セルゲイクを診察した精神科医は、セルゲイクは正気だとし、裁判に耐えうると認めた。


2007年2月20日、セルゲイクとバルコフの裁判が始まった。


同年5月22日、セルゲイクは全ての罪で有罪判決が下され、財産全て没収された上での死刑が言い渡された。

バルコフは植民地の刑務所での懲役10年間が言い渡された。

ベラルーシ最高裁判所もセルゲイクらの判決を支持した。


同年11月26日、セルゲイクの死刑が執行された。



《殺人数》
12人

《犯行期間》
2000年~2006年



∽ 総評 ∽

1人を除き、12人の女性のほとんどを強姦して殺害したとセルゲイク。

セルゲイクがこれ程の異常者となったのは、幼少の頃の父親の虐待のせいであろう。

セルゲイクの犯行は強姦に強盗と、殺人に伴う犯行としては典型的ではあるが非情なものであった。

しかも、それを行っていたのが現職の警察官であった。

警察官という人間が影で犯行を繰り返していたと考えると恐ろしい限りである。

セルゲイクは死刑判決からわずか半年足らずで死刑が執行された。

まるで中国かと思わせる早さだが、ベラルーシはヨーロッパで現在唯一死刑が存在する国である。

今後も愚かなEUの圧力に屈しないで欲しいと思う。