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アンジェリカ・グラスワルド (アメリカ)
【1980 ~     】



アンジェリカ・グラスワルドは、ラトビア (北ヨーロッパ) で生まれ、2000年、母親とアメリカ・コネチカット州グリニッジに移住した。

グラスワルドは大学に通い、英語とドイツ語を学び、将来は教師や翻訳家になりたいと思っていた。


その後、グラスワルドはリチャード・グラスワルドと結婚するが、2009年に離婚した。

グラスワルドはベビーシッターとして働いた。


2013年、グラスワルドはヴィンセント・ヴィアフォアと出会い、2人は互いに惹かれ合い交際する事となった。


グラスワルドとヴィアフォア (この時46歳) は、2015年4月19日にハドソン川へカヤック旅行に行く事を計画していた。

実は2人は同年8月15日に結婚式を行う予定であり、婚前旅行であった。

前日の18日、パーティーを行い、当日、旅行に出掛けた。

2人はハドソン川に到着し、お互いそれぞれのカヤックでポレペル島へ向かった。

しかし、途中、吹き荒ぶ風に見舞われ、ハドソン川に波が発生し、2人のカヤックを激しく揺さぶった。

グラスワルドは何とか川岸に辿り着いたが、ヴィアフォアは転覆し、まだ寒い4月の川の中に投げ込まれた。

その後、ヴィアフォアは行方不明となる。

グラスワルドはすぐに911に連絡し、助けを求めた。

救急隊が駆けつけ捜索を始めると、すでに溺死したヴィアフォアを発見した。


事件から数日後、警察は状況についてグラスワルドに事情聴取し、数時間後、

「私は彼に死んで欲しかった」

と捜査官に告白した。

そして、グラスワルドはヴィアフォアのカヤックの排水プラグを外し、パドルのロッククリップを引き離し、ヴィアフォアが川に投げ捨てられるように仕向けたと語った。

また、ヴィアフォアがウェットスーツや救命胴衣を身に付けていない事を知っており、しかも、事件当日、水温が非常に低かった事も認識しており、それでも強行した事を認めた。

グラスワルドはヴィアフォア殺害で逮捕された。

肝心の殺害動機だが、グラスワルドはヴィアフォアとの性行為を苦痛に感じており、その為、今回の犯行に及んだ事がわかった。

グラスワルドはヴィアフォアとの性生活から解放された事で、捜査官の尋問に対して安堵な表情を浮かべていた。

ヴィアフォアの妹ローラ・ランスは、グラスワルドは気性が激しく、兄夫婦が日頃から喧嘩をしていたと語った。

また、ヴィアフォアはグラスワルドが働かず、1人で生活を支えなければいけない事に不満を抱いていたとも語った。


当初、グラスワルドは殺人罪で起訴されるが、同年7月、過失致死罪へと罪状が変更される。


同年10月27日、ランスは刑の変更を不服とし、州最高裁判所に訴えた。


だが、同年11月18日、グラスワルドは過失致死罪として裁かれ、懲役32ヶ月 (2年8ヶ月) が言い渡された。


2017年12月、グラスワルドは刑務所を出所した。

グラスワルドはアメリカの永住権を取得しているが、16ヶ月が経過した後、ラトビアに強制送還される可能性がある。


最後に殺害後の心境について語ったグラスワルドの言葉で終りたいと思います。

「圧力が終わったという安堵感しかない」



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2015年4月19日



∽ 総評 ∽

婚約者を溺死するようにカヤックを細工して思惑通りにしたグラスワルド。

恋愛や結婚生活に性行為というのは避けて通れないものであり、それが嫌だからと犯行に及ぶというのは身勝手過ぎる。

それならそもそも交際しなければいい話しだし、付き合う時に「性行為がなくてもいいなら」と言う必要がある。

本人が死ぬよう仕向けたと言っているにも関わらず、罪は過失致死となり、わすが2年8ヶ月で出所となった。

納得いかないが、おそらくカヤックを細工したとしても必ずしも転覆するとは限らない事、川に投げ出されたとして必ず溺死するとは限らない事等が殺人罪とならなかった理由だと思われる。

確かに直接首を絞めたり刃物で刺したりする殺人と比べて同列に並べるには少し厳しいのかもしれないが、明らかな殺意とそれに仕向ける様は前述した殺人方法と比べて遜色ないと思う。

グラスワルドは1度結婚して離婚しており、詳細がない為あまり憶測で言ってはいけないが、グラスワルドが原因で離婚となったような気がしてならない。

グラスワルドは捜査官に安堵の表情を浮かべ、落ち着いた様子で尋問に答えたが、女性の場合、このような状況になる事が多いらしい。

しかも、与えられた食事も普通に摂り、よく眠るようだが、男性の場合は食べ物も喉を通らず、眠れない事がよくあるようである。

女性の方が男性よりも肝が据わっているという事なのかもしれない。