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ブラッドリー・マードック (オーストラリア)
【1958 ~     】



ブラッドリー・ジョン・マードックは、1958年2月19日、オーストラリア・西オーストラリア州ノーサンプトンで生まれた。

父親をコリン、母親をナンシーといった。

マードックは夫妻の三男であったが、マードックが生まれた時、長男は14歳で次男は11歳であり、マードックは計画的ではなく想定外に生まれた子供であった。

コリンはメカニックで、ナンシーは美容師であり、マードックは生まれて間もなく家族はパースに移動した。

マードックはパースに移動すると素行が目立ち、地元のギャングに参加するようになる。


マードックは15歳で高校を退学し、ギャングの犯罪に協力するようになる。


1980年 (1月から2月の間) 、マードックは危険運転でバイク乗りの男性を殺害し、有罪判決を受けるが、あくまでも事故だった為、執行猶予を受け釈放された。

釈放されたマードックは、同年からトラック運送業を営むが、1983年に会社が倒産し、マードックは破産宣告する。


1984年7月、マードックはダイアンという女性と結婚し、息子をもうけた。


しかし、マードックによる家庭内暴力により、夫婦は1986年に離婚する。

その後、マードックはトラック運転手として働き始めるが、影で違法薬物密輸業者としても働き、大量の大麻を密輸した罪で逮捕された。

マードックは白人至上主義者であり、人種差別を促す刺青を体に入れていた。


1995年8月20日、マードックはオーストラリア西部のキンバリー地方で、フットボールの祝賀会をしている所を銃で襲撃を開始する。

逮捕されたマードックは懲役21ヶ月が言い渡され、15ヶ月後に釈放された。


1998年、釈放されたマードックは、ダービーに移り住み始め、そこで、薬の使用や密輸を行った。

その後、ブルームへ移り住むと、そこでも車で薬の運び屋を行った。


2003年、マードックは7回の誘拐と強姦の罪で告発されるが、結局、告訴は取り下げられ無罪となった。

無罪となって釈放されたマードックだったが、再び逮捕される事となる。

それは2001年7月14日、行方不明となったピーター・ファルコニオ殺害容疑であった。

ピーター・ファルコニオ (28歳♂) とジョアン・リース (27歳♀) のイギリス人カップルは、オーストラリア内陸部に旅行に来ていた。

カップルは旅の途中、車が故障して止まっているのを目にする。

ファルコニオは車に向かうが、その直後、銃声が鳴り響き、ファルコニオはその場に倒れた。

そして、銃を持った男性がリースに近づき、銃でリースに殴りかかった。

その後、リースをケーブルで縛った。

しかし、リースは何とか逃走を図り、5時間後、茂みに隠れていた所を保護された。

当時、警察は捜査を進めても犯人特定に至らず、しかも、ファルコニオの遺体も発見されなかった。

このファルコニオ殺害容疑で逮捕されたのが、マードックであった。


2005年10月17日、ファルコニオ殺害の裁判が始まるが、マードックは無罪を主張する。


しかし、同年12月13日、マードックは有罪判決となり、最低28年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。

マードックは判決を不服としてすぐに控訴する。


2007年1月10日、控訴は棄却される。

その後、メディアはマードックがファルコニオの遺体の場所を明らかにするのではと報じたが、結局、マードックが明かす事はなく、現在もファルコニオの遺体は見つかっていない。



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1980年1月か2月、2001年7月14日



∽ 総評 ∽

イギリス人男性を殺害したマードック。

マードックは無罪を主張したが、これは遺体が発見されなかった事をいい事に主張しているだけで、マードックの犯行でまず間違いないだろう。

マードックはギャングに入ってから荒んだ生活となったが、何故、入ったのかきっかけかわからない。

元々、マードックは異常な精神の持ち主だったのだろう。

マードックは何度も逮捕されたにも関わらず、結局釈放した為に悲劇が生まれた。

これまで同様の例を何件も掲載してきたが、何とかならないものだろうか。