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ブリタニー・ホルベア (アメリカ)
【1973 ~     】



ブリタニー・マーロー・ホルベアは、1973年1月1日、アメリカ・テキサス州アマリロで生まれた。


ホルベアは13、4歳の頃に自宅で薬物を接種するようになり、高校を卒業する前に結婚した。


1993年に娘を生み、故郷のアマリロに戻るが、この頃には薬物に耽溺しており、叔母や歯科医から処方薬を盗んでは接種していた。

その後、ホルベアは薬物乱用により逮捕され、更生の為、施設に送られた。


1996年9月1日、ホルベアは薬物の更生プログラムを完了し、釈放された。

釈放後、ホルベアはトップレスダンサーとして働き始めるが、AB・タワリー (80歳) という男性に雇われる。


同年11月16日、タワリーの死体が発見される。

タワリーは果物ナイフや肉切りナイフ、フォーク等で約60回刺されており、ハンマーのような鈍器で頭を殴られていた。

また、足の長いランプポストが喉に5インチ (約13cm) も押し込まれていた。

そして、タワリー殺害でホルベアは逮捕された。

逮捕された際、ホルベアは殴られた痕と切られた痕があり、また、強姦されていた為、入院する事となった。


裁判が始まると、ホルベアの弁護士は自衛を主張する。

事件当日、ホルベアがクラックパイプを見つけた事にタワリーが怒り、タワリーがホルベアの背後に回り頭を2度殴った。

そして、ナイフでホルベアを脅し強姦したと述べた。

それに対し、ホルベアもナイフを持ち出しタワリーを刺し、最後はランプポストを喉に押し込んで争いを終わらせたと主張した。

ホルベアはタワリー殺害後、テネシー州に逃げたのだが、逃げた理由について薬物乱用の犯歴のある売春婦だった為、警察を呼んでも信じてもらえないと考え逃亡したと語った。


1998年3月27日、ホルベアには死刑が言い渡された。


ホルベアは控訴するも、2000年11月29日、控訴裁判所は死刑の判決を支持した。

ホルベアは囚人の刑務所におけるより良い生活をテキサス州に訴えた。

ホルベアは以前掲載したベティ・ルー・ビーツという死刑囚に

「私たちは1日1時間裸にされ隅々まで調べられるだけでなく、シャワーを浴びる際も裸を調べられる」

等という内容の手紙を書いている。

ホルベアはインターネットで、「アメリカで最も魅力的な死刑囚10人」の内の1人に選ばれている。

ホルベアはテキサス州で死刑宣告されたが、これは女性としては、現在、歴代でもわずか6人しかおらず、その内の1人であった。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1996年11月16日



∽ 総評 ∽

80歳の老人を殺害したホルベア。

ホルベアは自衛を主張したが、確かに実際殴られたり切られた痕はあった。

ただ、自衛の割には約60回刺したりランプポストを喉の奥まで突っ込んだりとやり過ぎは明白であり、死刑は当然といえる。

ホルベアは子供の頃から生活は破綻しており、アメリカにおける典型的な堕落した人生の結末であり、なるべくしてなった結果といえる。

ポルトガルは刑務所の生活に不満を抱き訴えたが、どの口がそんな事を言えたか不思議でならない。

正直、温いくらいでもっと厳しくていいくらいだ。

こんな考え方をしている限り更生するものも更生するはずもない。

ホルベアは以前掲載したベティ・ビーツに手紙を書いているが、この時、ビーツは刑務所内でも有名だったのだろう。

以前にも述べたが、個人的に殺人鬼の話しに他の殺人鬼が登場するのは大いに興味がそそられる。