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サルバドール・アンティック (スペイン)
【1948 ~ 1974】



サルバドール・プッチ・アンティックは、1948年5月30日、スペイン・カタルーニャ州バルセロナで生まれた。


アンティックは労働委員会のメンバーとなり、その後、反政府組織「イベリア解放運動 (通称、MIL) 」に参加した。

この「MIL」は、1972年から翌年の73年にかけて、フランコ政権に対抗する為、資金調達する為に銀行強盗を行った。

組織の一員として銀行強盗を繰り返していたアンティックは、警察官との銃撃戦となる。

その際、警官の1人を射殺するが、自身も撃たれて重傷を負ってしまい、捕まってしまう。


警察病院に搬送されたアンティックは、回復後、裁判が行われる。

警官殺しでアンティックは国家により死刑が言い渡される。

だが、この判決は世界中から反発を招き物議を醸した。

それはフランコ政権が独裁国家であった為だった。


1974年3月2日、アンティックの死刑が執行される事となった。

このアンティックの死刑執行に対しての抗議デモがマドリードとバルセロナの大学生によって大々的に行われ、鎮圧に動員された警察官との間に激しい争いが起こった。

アンティックの死刑は、国際的な抗議にも関わらず、鉄環絞首刑 (首を鉄の輪で絞め後で捻る事で絞める絞首刑) によって行われた。

享年25歳。

アンティックへの死刑執行はスペインで鉄環絞首刑によって処刑された最後の2人の内の1人であった。

また、アンティックは8年振りに国家によって執行された死刑であった。


アンティックの家族や外部団体は、アンティックの名誉回復の為、裁判所に掛け合っていたが、2007年、スペイン最高裁判所によって却下された。

このアンティックの生涯は、後に『サルバドールの朝』というタイトルで映画化されている。



《殺人数》
1人 (銀行強盗多数)

《犯行期間》
1972年~1973年



∽ 総評 ∽

フランコ政権への反対組織に属し、銀行強盗の末、警官を殺害したアンティック。

フランコ政権からしてみれば、アンティックへの死刑は反対勢力への見せしめであったろう。

スペインは現在もこのフランコ政権下での独裁の影響が残っており、そういった意味でもフランコの罪は非常に重い。

ただ、独裁国家を覆す為なら何をやってもいいという事はない。

銀行強盗も自分達の資金調達の為に行っており、警官殺しも革命の為なら仕方ないという事にはならない。

個人的には独裁国家への反発による行動として擁護したい気持ちはあるが、ガンジーのような非武力・非暴力で国家を覆す努力をして欲しかったと思う。