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ミシェル・ロジンスキー (アメリカ)
【1967 ~     】



1991年5月25日夜、ミシェル・ロジンスキーは、息子のティモシー・ウィリアム・ウィルトシー (1985年8月6日生) とカーニバルを見に行く為にケネディパークを訪れていた。

すると、ティモシーは姿を消してしまう。

ミシェルはすぐに警察に通報する。

警察が現場に駆けつけると、ミシェルはカーニバルの乗り物を待っている時、ティモシーがソーダを買いに行ってそのまま行方をくらましたと警察に説明した。

警察は消防士やボランティア、警察犬等と協力し、カーニバルの敷地とその周辺を徹底的に捜索する。

だが、ティモシーが見つかる事はなかった。

ミシェルはシングルマザーであり、ティモシーには父親ジョージ・ウィルトシーがいた。

警察は当初、ジョージを犯人だと疑ったが、この時、ジョージはアイオワ州の自宅におり、アリバイがあった為すぐに容疑者から外された。

このティモシー行方不明事件は、アメリカのテレビ番組「Most Wanted」で2度放映され、全米で知られる事となった。

ティモシーの写真が掲載された何千枚というチラシが配られ、また、牛乳パックのパッケージにもティモシーの顔がプリントされ販売された。

警察はミシェルに事情聴取し、事件当日の行動を聞いた。

すると、ミシェルはカーニバルに来る前にティモシーとホルムデル公園で時間を過ごしたと話した。

だが、調べてみると事件当日はホルムデル公園は閉鎖されている事がわかった。 

また、当日ティモシーは真っ赤な目立つ服を着てカーニバルで1時間以上過ごしたにもかかわらず、誰1人ティモシーを見たという目撃者が現れなかった。

結局、ティモシーの最後の姿を見たのは、事件当日の朝、外で遊ぶ姿を見た隣人であった。


同年6月2日、ミシェルは警察のインタビューに応え、ナイフを持った男性2人がミシェルを脅し、ティモシーを連れ去ったと主張した。

だが、ミシェルはティモシーが行方不明となった直後にはその事を主張しておらず、突然、ティモシーは連れ去られたと話した。

このインタビューにより警察はミシェルを疑い、有力な容疑者とした。


翌日、再びミシェルのインタビューが行われ、今度は2人の男女に連れて行かれたと発言した。

連れ去った女性は地元のダンサーで、ミシェルが出納係として働いていた銀行の顧客であり、エレンという名前だと告げた。

これを受け、FBIは徹底的な検索を行うが「Ellen (エレン) 」という女性は見つからず、また、ミシェルは2つのポリグラフ検査を行い失敗に終わった。


1991年10月26日、教員のダン・オマリー (♂) は、ニュージャージー州エジソンにあるビジネスパークの湿地で「Ninja Turtles」のスニーカーを発見する。

そのスニーカーはティモシーが事件同時に履いていたスニーカーであるとされた。

警察はスニーカーをミシェルに見せるが、ミシェルはティモシーのものではないと告げる。

ミシェルが違うと発言した為、警察はそのスニーカーを特に調べもせず保管した。

その為、世間に公表される事もなく忘れ去られてしまう。


しかし、数週間後、オマリーが現地の新聞社にスニーカーの事を報告した為、新聞に大々的に掲載された。

これを受け、警察はスニーカーをFBIに渡し、法医学検査が本格的に行われた。


数ヶ月後、検査の結果、スニーカーはティモシーのものだという決定的な事にはならなかったが、FBIのエージェントはオマリーに連絡し、1992年4月6日、スニーカーを発見した場所を訪れた。

そして、ミシェルの家族や友人にインタビューを行うと、ミシェルが就職した場所が近くにあり、また、このビジネスパークを頻繁に散歩していた事が判明した。

だが、ミシェルはその事を警察にはあえて言わなかった。


同年4月23日から24日にかけて、スニーカーが発見された地域の徹底的な調査が行われた。

すると、トラックのタイヤ近くで男の子とみられる部分的な骨の残骸が見つかり、また、事件当時、ティモシーが着ていた「Ninja Turtles」の服も見つかった。

部分的な骨の残骸を調べた所、歯科記録によってティモシーと断定された。

ただ、死亡時間や場所等は特定出来なかっが、ティモシーは事故死ではなく殺されたと判断された。


1994年1月21日、ミシェルはティモシーを殺害した犯人に拉致されたとFBIに告げた。

ミシェルは犯人にティモシーの事を話すなと脅されたと主張したが、後にミシェルはそれは虚偽である事を認めた。

FBIはミシェルにティモシー誘拐についての矛盾した話を追及したが、ミシェルは話す事を拒否する。

ミシェルは虚偽をついた罪により懲役6ヶ月が下され、執行猶予として3年の保護観察となった。


1997年、ミシェルは2人目の子供を妊娠するが、以前働いていた会社の雇用主からパソコンを盗んだ罪で訴えられ、再び逮捕され保護観察処分となった。


1998年、ミシェルはフロリダ州に移動し、1999年にはミネソタ州に移動した。


そして、2001年に再婚したが、結婚生活は長く続かず、2003年にフロリダ州に戻り、3人目の子供を妊娠した。


事件はこのまま迷宮入りとなりそうであったが、2011年に捜査が再開される。


そして、2014年8月6日、ミシェルはフロリダ州で逮捕された (この日は奇しくもティモシーの誕生日であり、生きていれば29歳になっていた) 。

ティモシー殺害容疑でミシェルは起訴されたのだが、ティモシーの死体は発見されておらず、状況証拠とミシェルのこれまでの矛盾した言動や行動、ポリグラフ検査の結果などによる総合的な判断であった。

ミシェルの判決は2016年8月に予定されていたが延期となった。


ミシェルの弁護士は陪審の不正行為や不十分な証拠により控訴したが、同年10月25日、控訴は棄却された。


2017年1月5日、ミシェルは仮釈放の可能性がない懲役30年が言い渡された。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1991年5月25日



∽ 総評 ∽

実の子を殺害したとされるミシェル。

これ程、言動や行動や怪しいにも関わらず、ミシェル逮捕に20年以上も費やした。

「疑わしきは被告人の利益に」という司法のあり方も大事だが、こんなに嘘や矛盾が多い発言を行っている人物を証拠がないという理由で逮捕出来ないのは流石に悪い部分が出ているといえる。

ただ、死体や凶器といった確実な証拠が全く出てないので、ミシェルが犯人でない可能性はもちろんある。

また、実際、ミシェルが殺害したとして、その動機が全くわからない。

母親が子供を殺害する場合、多くは保険金殺人か「ミュンヒハウゼン症候群」等であるが、ミシェルはそのどちらでもない。

かといってミシェルはティモシー以外殺人を犯してないので快楽殺人鬼ともいえない。

邪魔になったから殺したのか何なのかわからないが、とにかく謎が多い事件である。