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カーラ・ヒューズ (アメリカ)
【1981 ~     】



カーラ・アン・ヒューズは、1981年6月12日、アメリカ・ミシシッピ州グリーンビルで生まれた。


ヒューズは幼い頃から美人で聡明な子供として有名であった。

乗馬を好み学業の成績も良く、学校では誰もが認める優等生であった。


ヒューズは高校を卒業後、ベルヘブン大学に通い、教育の修士号を取得した。

その後、デルタ州立大学の大学院コースに進み、教育の博士号を修了した。


順風満帆にみえたヒューズであったが、2004年に息子を産んだ頃から人生の歯車が狂い始める。

実はこの出産は正式に結婚して産んだ子供ではなかった。


ヒューズはミシシッピ州ジャクソンの中学校で語学教師として働き始める。

そして、この学校で同僚の教師キーン・ピットマン (♂) と出会う。

ピットマンには妊娠中の婚約者アビス・バンクス (27歳♀) がいたが、2人は親密な関係となってしまう。


2006年11月29日深夜、ミシシッピ州リッジランドにある家のガレージで、バンクスの死体が発見される (お腹の胎児も死亡した) 。

第一発見者はピットマンであった。

ピットマンは警察に電話すると共に、ヒューズにも電話を掛けた。

警察は捜査を始めると、すぐにヒューズに疑いをかける。

そして、ヒューズに尋問すると、最初、ヒューズはピットマンとの性的関係を否定した。

また、警察はヒューズに犯行に使用された38口径のリボルバーについて問いただすが、ヒューズは黙秘した。

すると、ヒューズの従兄弟が、バンクス殺害の直前に38口径のリボルバーをヒューズに貸しており、ヒューズから銃を返された際、弾薬が空になっていたと述べた。


同年12月6日、ヒューズはバンクス殺害容疑で逮捕され、第一級謀殺で起訴された。


だが、同年12月8日、ヒューズの罪状はバンクスと胎児、2件の殺人罪に格上げされた。

裁判が始まると、検察はピットマンと一緒になる為に邪魔なバンクスとお腹の子供を殺害したと供述した。


2009年10月6日、ピットマンは法廷に立ち、ヒューズとの関係について陪審員に説明した。

また、検察官はバンクスが背中を蹴飛ばされた際についた靴痕がヒューズの物と一致した事を告げ、更にヒューズの携帯電話の記録を辿ると、バンクス殺害の時、家のすぐ近くにいた事が判明したと述べた。

だが、ヒューズの弁護士は、ピットマンがバンクスが妊娠しているにも関わらず結婚していなかったのは一緒になるつもりがないと述べ、バンクス殺害はピットマンであると主張した。

また、犯行現場近くでヒューズの携帯電話の履歴があったのもたまたま近くに友人がいたからだと主張した。

だが、ピットマンは犯行時、バスケットボールの練習を指導しており、アリバイが証明された。


同年10月13日、8時間の審議の末、ヒューズには仮釈放の可能性がない2つの終身刑が言い渡された。



《殺人数》
2人 (1人は胎児)

《犯行期間》
2006年11月29日



∽ 総評 ∽

愛する男性と一緒になりたいが為に交際相手の女性とお腹の胎児を殺害したヒューズ。

ヒューズのように好きになった男性の恋人や妻を殺害するというのは、保険金殺人と並び女性の殺人としては最も多い犯行動機の1つである。

詳細はなかったが、ヒューズは子供を産んだがそれは結婚して産んだ子供ではなかった。

その為、ヒューズは結婚や幸せな生活に人一倍憧れと執着があったのかもしれない。

この事件は、もちろん殺人を犯しているヒューズが罰を受けるのは当然だが、個人的にはピットマンにも責任はあると思う。

いくらヒューズに言い寄られたとしても、妊娠している彼女がいるのに関係を持ってはいけない事だ。

ピットマンが法的に裁かれる事はないが、何か微妙に納得いかない。

ヒューズの弁護士は、死体の第一発見者という事と、妊娠しているにも関わらず、結婚していない事を理由に殺害したのはピットマンだと主張した。

結婚のタイミングや仕方などは人それぞれであり、それについてとやかく言うつもりはないが、諸々の事情を考慮するとピットマンが多少疑われるのは致し方ないといえる。

ヒューズは学生の頃、頭が良く聡明であった。

真っ当な人生を送ればそれなりに幸せな人生を歩めたであろう。

自ら選んだ道とはいえ、非常に残念でならない。