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ラリー・ジャクソン (アメリカ)
【1962 ~ 2003】



ラリー・ケネス・ジャクソンは、1962年11月7日、アメリカで生まれた。


1986年、ジャクソンは内縁の妻であるフレディ・ラヴェル・ワシントン (♀) を殺害する。

このワシントン殺害でジャクソンが逮捕される事はなかった。


1994年9月6日、オクラホマ州オクラホマシティで、ジャクソンは「Jim Thorpe Buildlng (オクラホマ州の州政府事務所) 」で仕事で家具を設置していた。

そこにガールフレンドのウェンディ・ケード (29歳♀) が現れ、ジャクソンはケードの乗るジープに乗ってその場を後にした。

ジャクソンとケードは途中、タバコにビール等を購入し (他にコカインを購入したという証言もある) 、モーテルに向かった。

そして、モーテルで2人は性行為に及んだが、しばらくして2人は言い争いとなる。

言い争いは激しさを増し、怒りが頂点に達したジャクソンはケードに殴る蹴るの暴行を加える。

そして、ナイフでケードを何度も刺した。

ジャクソンは気分が晴れ、トイレに行きベッドに横になった。

その時、血まみれで床に横たわるケードを見ながら眠りについた。


翌日、ジャクソンはケードのジープでモーテルから逃走するが、ジャクソンはすぐに逮捕された。

逮捕された際、ジャクソンはケードの時計や宝石、そして、ジープの鍵を所持していた。

逮捕されたジャクソンは当初はケード殺害を否認していたが、後に認めた。

ケードの検死を行うと、30ヶ所以上の刺し傷が見つかり、直接の死因は首の頸動脈を切られた事による出血死であると判明した。


1995年12月22日、裁判でジャクソンには致死量の注射による死刑が言い渡された。


2004年4月17日午後6時8分、ジャクソンに致死量の注射による死刑が執行された。

享年41歳。

ジャクソンのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、フライドフィッシュ、フライドチキンサンドイッチ、フレンチフライ、アイスクリームであった。

また、最後の言葉は

「私のママを世話して下さい。私はマーサ・ケード (ケードの母) からの許しを求めています。私が彼女にもたらした全ての事を申し訳ないと思っています。私は今、(天国に) 行くつもりです」

であった。

ジャクソンへの死刑執行は、2003年においてアメリカ全体で26番目であり、オクラホマ州では7番目。

また、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、846人目であり、オクラホマ州では62人目であった。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1986年、1994年9月6日



∽ 総評 ∽

内縁の妻やガールフレンドを殺害したジャクソン。

ジャクソンのように妻や恋人といった身近な人間を標的とする殺人鬼は多い。

ただ、近い故に嫌疑を掛けられ、すぐ逮捕される場合が多い。

ジャクソンの生まれてからの詳細がない為、どのような人生を送ってきたのかわからないが、おそらくまともな人生を送ってきてはいないだろう。

ジャクソンは死刑が言い渡された1995年から執行まで約9年間かかった。

個人的に9年というのは決して短いとは思わないが、執行までの平均年数を考えれば基本的に短い方であろう。

ただ、日本もそうだが、執行の基準がよくわからない。

ジャクソンより凶悪でもっと以前に死刑を言い渡されている死刑囚は間違いなくもっといるだろう。

おそらくそういった死刑囚は控訴していたり様々な理由 (人権派の愚かな抗議等) で執行されず、ジャクソンのように何の問題もないような死刑囚からさっさと執行するのだと思われる。

往生際の悪い凶悪犯が執行されず、控訴や何の問題もない死刑囚から先に執行される。

この何とも言えない矛盾にもやもやした気分になる。

冤罪の可能性があるのなら執行を控えるのはわかるが、そうでないのなら順番にもっと早急に執行して欲しい。