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バルトロメーオ・ガリアーノ (イタリア)
【1958 ~ 2015】



1958年、バルトロメーオ・ガリアーノは、キプロス共和国の首都ニコシアで生まれた。


その後、ガリアーノはイタリア・サヴォーナに移住した。

成長したガリアーノは、周囲から「非常に危険な子供」だと思われていた。


1981年1月16日、ガリアーノは売春婦のパオリナ・フェディ (29歳♀) を殺害する。

ガリアーノのは石でフェディの頭を殴り撲殺した。

このフェディ殺害で逮捕されたガリアーノは、精神障害と診断され、モンテルーポ・フィオレンティーノで8年間の精神病院への入院を宣告された。


1983年、ガリアーノは医師から一時的外出許可を得ると、家族全員を無理やり連れ、タクシーに乗った。

そして、タクシー運転手に銃を向け、マッサ=カッラーラ県から以前住んでいたサヴォーナに向かうよう脅した。

サヴォーナに着くと、交通警察官に制止を促されるが、警官を銃で脅した。

その後、この騒ぎで駆けつけた「カラビニエリ (イタリアの警察機関の1つ。憲兵隊) 」に追われ、最後はバリケードにより強制的に止められた。

ガリアーノはランダムで17発発砲し、抵抗を試みるが逮捕された。


逮捕されたガリアーノは刑務所に収監され、1984年、強盗や強姦、恐喝に暴行、武器や麻薬、爆発物所持等で起訴され有罪判決を受けた。


1989年初め、ガリアーノはフィレンツェ近郊のモンテルーポ・フィオレンティーノにある精神病院から逃亡した。


同年2月8日、ガリアーノはウルグアイ人のナヒア・フェルナンデス・ロドリゲス (32歳♂) を射殺する。


同年2月14日、バレンタインデーのこの日、ガリアーノはブルジョワ地区でフランチェスコ・パニッツィ (34歳♂) を射殺する。

パニッツィは庭で作業している所を撃たれた。


翌日の15日、ガリアーノはパニッツィを射殺した場所から数百m離れた場所で、女性の喉を撃った。

銃弾は脊柱を外れ、女性は奇跡的に助かった。


1990年4月、ガリアーノはガールフレンド (23歳) を殴り、銃で撃った。

警察が現場に駆けつけると、ガリアーノはすでに逃走しており、女性は裸でベッドで横たわっていた。

女性の顎には銃創があり、喉には女性の下着が巻き付けられていた。

女性はすぐに病院に搬送され、一命を取り留めた。

警察はガリアーノを追ったが行方はわからなかった。


1ヶ月後の5月、ガリアーノは精神科医に会いに行き、そのまま自首した。


2013年12月、ガリアーノは母親を訪問する許可を得て外に出る事を許される。

精神科医はガリアーノを外に出す事は危険だと主張するが、許可が下りた。

ガリアーノはリグーリア州ジェノアに向かうよう運転手に指示し、その途中、運転手を車から追い出し姿を消した。


逃亡から4日後、ガリアーノはフランスで逮捕された。


2014年4月23日、ガリアーノはフランスからイタリアに移送され、2015年1月14日、ガリアーノは強盗や不法武器の所持等で有罪判決が下された。


同年1月22日、ガリアーノはサンレーモにある刑務所内で、首を吊って自殺した。

   

《殺人数》
3人
(他犯罪多数)

《犯行期間》
1981年1月16日~1989年2月14日




∽ 総評 ∽

『 Valentine's Day Serial Killer』と呼ばれ、3人を殺害し、他にも多くの犯罪を犯したガリアーノ。

ガリアーノは精神異常だとされながらしっかりとした罰を与えられず、精神病院に収容され外出許可を与えられ逃亡した。

外出許可が出る事自体誤りで、案の定その都度逃走し、犯行を重ねた。

精神科医も外に出る事は危険だと言っているにも関わらず、何故、許可されるのか理解に苦しむ。

こういった異常者は一般人からすればもっとも危険極まりない存在であり、処刑する以外選択肢なんかない。

ガリアーノは周囲から「危険な子供」と認識されていたが、どのような言動や行動でそう判断していたのかはわからない。

また、どのような経緯でイタリアに移住したのかもわからず、謎の多い生い立ちである。