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オットー・ワームビア (アメリカ)
【1994 ~ 2017】



オットー・フレデリック・ワームビアは、1994年12月12日、アメリカ・オハイオ州シンシナティで生まれた。

父をフレッド、母をシンディ (旧姓ガーバー) といった。

フレッドはドイツ系移民で、シンディはユダヤ人であった。

オットーはそんな夫妻の長男として生まれた。


2013年、オットーはワイオミング州の高等学校を卒業するが、クラスで2番目という優秀な成績であった。

その為、オットーは卒業式の時、来賓の祝辞を述べる役割を担う事となった。

また、オットーは勉強だけでなく、スポーツも万能で、サッカーチームに所属していた。

サッカーのコーチは、オットーのサッカーの才能と、リーダーとしての資質を評価していた。

そんなオットーは誰かも好かれる人気者であった。


高校卒業後、オットーはバーシニア州シャーロッツビルにあるバージニア大学に通い、商業と経済学の2つの学位を取得した。


オットーは大学3年の時、中国・香港に旅行に行き、その後、5日間の新年ツアーで北朝鮮へ向かった。

オットーの他に10人のアメリカ人がツアーに参加していた。

オットーは2015年の年末に北朝鮮へ入り、北朝鮮で年を越す事となった。

オットーを含むツアーグループは、平壌にある金日成広場で大晦日を祝い、ホテルに戻り酒を飲み続けていた。


そして、2016年1月2日、オットーは平壌空港から帰りの便に乗ろうとした際、北朝鮮当局によって拘束された。

拘束されたのはオットーのみであり、他のツアーグループの10人はそのまま飛行機に乗って帰国した。

ツアーグループの1人によると、オットーは2人のガードマンにより拘束されたのだが、オットーは一切の抵抗を示さず、怖がる様子もなく軽く微笑んでいたという。

拘束された理由は、前日の1日に滞在していたホテルの政治宣伝ポスターを盗もうとしたというのが理由であった。

ポスターには「金正日」が描かれており、北朝鮮では指導者や愛国心をイメージする物を盗むのは、深刻な犯罪とみなしていた。

だが、当初、国営朝鮮中央通信 (通称、KCNA) は、「国家に対する敵対行為」により拘束したとのみ発表し、詳細は明かさなかった。

また、北朝鮮当局はオットーの不正行為について詳しく調べようとしなかった。


同年2月29日、記者会見が開かれ、オットーは準備された声明を読み上げ、ホテルの2階にある職員専用エリアで宣伝ポスターを盗もうとしたと告白した (しかし、この告白は北朝鮮側の用意した声明を読み上げただけで、真意ではない告白を強制された可能性も極めて高いとされた) 。


そして、同年3月16日、北朝鮮の最高裁判所はオットーの行為は国家転覆陰謀罪にあたるとして、15年の労働教化刑 (過酷な労働) が宣告された。

1時間続いた裁判では告白や防犯カメラ、指紋等の証拠が提示された。

父フレッドによるとオットーは非常に冒険的な性格であり、フレッドはオットーが中国と北朝鮮に行く事を反対していた。

しかし、オットーは旅行の安全性をフレッドに語り、問題ないとして旅行に出掛けたのだった。


同年3月18日、KCNAはホテルの警備カメラ映像を公開した。

それには午前1時57年分にタイムスタンプが押され、廊下の壁からポスターが剥がされ、それを床に置いて壁に寄りかかっていた。

オットーはポスターを放棄しようとしたが、大き過ぎて無理だった為、床に捨てたと述べた。


2017年6月6日、アメリカ国務省ジョセフ政府特別代表が、オットーが昏睡状態である事を聞き、トランプ大統領の指示の下、医療チームを引き連れ北朝鮮を訪れオットーを解放するよう交渉に赴いた。

北朝鮮当局によると、オットーは判決直後の2016年4月からボツリヌス中毒に罹患していると発表した。


同年6月12日、北朝鮮は交渉の末、人道的見地からオットーは速やかに釈放される事となった。


翌日の13日の夜にオットーはオハイオ州シンシナティに到着した。

オットーはシンシナティメディカルセンターに搬送される。

オットーを診た医師は
「植物状態で目は開くが言葉を発する事は出来ない。だが、ボツリヌス中毒の症状は見られず、脳の大部分の細胞が損傷している。これは心拍停止によって脳に酸素が送られなかった時に生じる典型的な症状である」
と説明した。


同年6月19日、オットーは昏睡状態のまま息を引き取った。

享年22歳。


同年6月22日、オットーの出身高校で葬儀が営まれ、両親や教員、元同級生等総勢2500人あまりが葬儀に参列した。


翌日の23日、北朝鮮外務省の報道官が記者会見に臨み、
「アメリカ国内では彼の死亡が労働教化中に拷問と殴打を受けたという事実無根の噂が流れている。彼の生命兆候は正常であったのにアメリカに戻ってから1週間も経たない内に急死してしまったのは我々にとっても不思議でならない。彼は我々と対話を拒絶してきたオバマ政権の戦略的忍耐政策の犠牲者だ。今回の事件による最大の被害者は我々であり、アメリカは彼らの軽挙妄動がもたらす災禍について熟慮すべきだ」
と述べた。


同年7月21日、事件を受け、トランプ政権はアメリカ国民の北朝鮮への観光の禁止と国務省による渡航許可制を発表した。


同年10月24日、アメリカで北朝鮮政府と取引する外国政府や北朝鮮労働者を雇用した外国企業に制裁を課す「オットー・ワームビア法案」が可決された。


同年11月20日、トランプ大統領はオットーの事件等を例に挙げ、
「北朝鮮は世界を核で脅すだけでなく、国際テロを支援している。何年も前に再指定されるべきだった」
として北朝鮮を9年振りにテロ支援国家に再指定する事と追加制裁の意向を表明した。



∽ 総評 ∽

北朝鮮で逮捕され、昏睡状態となって帰国したが間もなく死亡したオットー。

金正日のポスターをオットーが盗もうとしたというのが逮捕の理由だが、何か釈然としない。

当初、逮捕に関する情報も曖昧であり、本当にオットーが盗もうとしたのか疑問が残る。

一緒に行っていた他のアメリカ人が普通に帰って来たのも何か不思議な感じがする。

裁判の経過もそうだが、北朝鮮という国柄なのかしっかりとした裁判の様子ではなく、しかも、ポスターを盗んだ程度で懲役15年は重過ぎる。

アメリカ国内では北朝鮮労働教化中によるオットーへの拷問や暴行を訴えたが、北朝鮮側は否定した。

そもそも実際拷問を行っていたとして「はいやりました」など言うわけもなく、北朝鮮側の反応は当たり前と言えば当たり前である。

真意は別として、この状況では北朝鮮が疑われても仕方ない。

オットーはまだ22歳であり、そんな青年が普通に刑期を過ごしてこんな風になるとは到底思えない。

しかも、オットーがボツリヌス菌に感染したのが判決を受けた直後というのも疑問が残る。

また、仮にそうだったとしても1年数ヶ月の間、適切な処置をせずにほったらかしているのも問題である。

ただ、北朝鮮の刑務所の衛生状況が劣悪だったとしたら、それが原因で傷口から菌に冒された可能性も否定は出来ない。

真相は藪の中だが、北朝鮮の日頃の行いや国際的な対応、政府の体裁を見る限り、残念ながら私もオットーに対して拷問を行ったと思わざるを得ない。