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マイケル・フィルポット (イギリス)
【1956 ~ 】



マイケル・ミック・フィルポットは、1956年、イギリス・ダービーシャー州ダービーで生まれた。

フィルポットは生まれながら女性に対してサディスティックな性格であり、女性を操作し、支配する事を好んだ。

また、フィルポットは交際する女性に殴る蹴るの暴力を振るった。


1978年7月、フィルポットは軍に入っていたが、15歳の時から2年の間、関係を持っていたガールフレンド、キム・ヒルを殺そうと考える。

フィルポットは日頃からヒルのスカートが短い事を良く思っていなかった。

フィルポットはベッドで寝ているヒルを数十回刺すつもりだという手紙を知人に送っていた。

そして、実際にヒルを刺し、フィルポットは逮捕される。

ヒルは執拗に刺されたが一命は取り留めた。

だが、刺し傷は肺や膀胱、腎臓や肝臓に達し、瀕死の重傷を負った。


1978年12月、フィルポットはヒルへの殺人未遂により懲役7年が言い渡された。


その後、フィルポットは3年2ヶ月刑期を務めた後、釈放された。


1986年、フィルポットはパメラ・ロマックスと結婚する。

ロマックスとの間に3人の子供が生まれ、2人は息子で1人は娘だった。

だが、ロマックスはフィルポットの結婚生活を苦痛に感じており、フィルポットが別の女性のもとに行って欲しいと願っていた。

すると、フィルポットはノッティンガムシャーのレインワースでヘザー・キーホーという14歳の少女と出会う。

そして、キーホーが16歳の誕生日に両親から離れ、フィルポットと一緒に住み始めた。

フィルポットはこの時37歳であり、ロマックスは念願が叶った。

キーホーはフィルポットの子供を2人産むが、どちらも男の子であった。

だが、フィルポットは女の子を望んでいた為、それを理由にキーホーに暴力を振るった。


1991年、フィルポットは同僚の頭部を殴った罪で逮捕され、懲役2年が言い渡されるが、条件付きで釈放された。


2000年、フィルポットはメイリード・ダフィー (19歳♀) と出会い、2人はすぐに一緒に住み始めた。


そして、2003年5月にフィルポットとメイリードは結婚した。

実はフィルポットはメイリードと出会った後の2001年、リサ・ウィリス (16歳♀) と出会い、ウィリスはフィルポットの愛人となっていた。

ウィリスには子供がおり、メイリードとの結婚式ではメイリードの花嫁介添人であった。


2002年12月23日、キーホーは2人の子供の法的保護を獲得した。


2006年、ウィリスはフィルポットの4人目の子供を産み、メイリードもフィルポットの子供を産んだ。


2010年、メイリードが別の男性の子供を妊娠した為、中絶を命じた。

この時、フィルポットはメイリードの髪の毛を引っ張り暴行を加えた為、警察に注意を受けた。


2011年11月、フィルポットは暴行と危険運転等で逮捕され、有罪判決が下された。

しかし、フィルポットはすぐに釈放された。


2012年2月、フィルポットはメイリードやウィリスら10人で家に住んでいたが、ウィリスはフィルポットとの関係を絶ち、子供4人 (1人はフィルポットの子供ではなく別の男性の子供) を連れ新たな男性イアン・クーサンと共にダビーのアレントンに移住した。

ここには他にウィリスの姉妹や義理の両親らも住んでいた。

この勝手な行動にフィルポットが許すはずもなく、怒りを露にし、ウィリスに子供を返すよう脅した。

ウィリスはフィルポットを恐れ、脅迫されていると何度も警察に訴えた。


同年4月下旬、フィルポットは複数の友人にウィリスから子供を取り返す計画があると語った。


同年5月11日午前4時頃、フィルポットとメイリードは、ウィリスの住む家に向かうと、火を放った。

フィルポットとメイリードはすぐにその場を離れ、火は瞬く間に燃え広がった。

家の中にはデュエイン・フィルポット (13歳♂) 、ジェイド (10歳♂) 、ジョン (9歳♂) 、ジャック (7歳♂) 、ジェシー (6歳♀) 、ジェイデン (5歳♂) の6人がいたが、デュエインを除く5人は、家の2階で寝ていた為、焼死した。

近所の住人が助けに入り、デュエインのみが家から救い出されるが、2日後に搬送先の病院で死亡した。


同年5月14日、警察はレターボックスの中にガソリンを発見し、殺人事件として捜査を開始した。

当初、家にいなかったウィリスとクーサンが殺人容疑として逮捕されたが、すぐに無実とわかり解放された。

その後、目撃情報やメイリードの不倫相手ポール・モズリーからの証言により、フィルポットとメイリードが容疑者として浮上する。


そして、同年5月28日、フィルポットとメイリードは逮捕され、2日後の30日に殺人罪で起訴された。

捨てられたガソリンのコンテナと手袋が犯行現場近くで発見され、フィルポットとモズリーの服にはガソリンが付着していた。


同年11月5日、モズリーも関与したとして逮捕され、殺人罪で起訴された。


同年12月、モズリーはガソリンを殺人に使うとは知らなかったと主張し、減刑された。

フィルポットは事件当日、ウィリスとの間に出来た子供がどちらと一緒に住むか話し合う為、裁判所に出頭する予定だった事がわかった。

検察は
「ウィリスを放火犯に仕立て上げる計画であった」
と述べた。

裁判ではフィルポットとメイリードが火を放った後、911に連絡しており、その音声が公表された。

フィルポットとメイリードの半狂乱に叫ぶ声が法廷で流されると、フィルポットはすすり泣きながら被告席から離れようとした。

緊急通報にはフィルポットが

「中に入れないんだ!」

と叫んでいる声が録音されていた。


2013年4月2日、フィルポットとメイリードは過失致死罪で有罪判決が下された。


同年4月4日、フィルポットには最低15年は仮釈放の可能性がない終身刑が、メイリードとモズリーにはそれぞれ懲役17年が言い渡された。


2013年11月29日、メイリードは判決を不服として控訴した。

メイリードの主張は自身はフィルポットの支配下にあり、自分はただ従っていただけというものであったが、メイリードの控訴は棄却された。


最後に逮捕後に発言したフィルポットの言葉で終わりたいと思います。

「こんな終わりになるはずじゃなかった」



《殺人数》
6人


《犯行期間》
2012年5月11日




∽ 総評 ∽

自身の子供を含む6人の子供を焼き殺したフィルポット。

フィルポットは女性を操り服従させ支配する事を好んだ生粋のサディストであった。

その為、自分の意に添わず勝手に出て行ったウィリスをとても許せなかったのだろう。

フィルポットは子供を取り戻したく家に向かったが、戻って来ないならいっその事殺してしまおうという考えになったと思われる。

出て行ったのは己せいなのは疑問の余地はなく、身勝手極まりない。

フィルポットは次から次へと女性をたらし込み、子供を次々と生ませたが、いつも思うがなぜ、こんな異常者がここまで女性に惹かれるのかわからない。

メイリードは懲役17年を不服として控訴した。

本人曰く、フィルポットに支配され自分はただ従うだけだったと述べたが、だから懲役17年なのた。

フィルポットの終身刑に対して考慮された判決なのに不服と考えている時点で反省の可能性はない。