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ブランディ・ブラックベア (アメリカ)
【1984 ~ 】



1999年4月28日、アメリカ・オクラホマ州タルサにあるユニオン高校で、ブランディ・ブラックベアが、武器を学校に持ち込んでいると噂が立つ。

学校側はブラックベアの鞄やロッカーを調べた。

武器は見つからなかったが、自作の小説が見つかった。

内容はスクールバスを銃撃するものであり、これを重く受け止めた学校側は、ブラックベアを19日間の停学処分とした。

ブラックベアは小説を返してくれるよう頼むが、学校側は返さなかった。


同年12月、チャーリー・ブッシーヘッド副校長が、ブラックベアを呼び出した。

ブッシーヘッドはブラックベアに悪魔崇拝について問いただした。

この頃、ブラックベアは図書館に入り浸り、魔術について研究していた。

ブラックベアは特に「Wicca (白魔法) 」に興味を抱き、実際、本を借りていた。

ブッシーヘッドはしつこくブラックベアに尋問を行った。

ブラックベアは自分は悪魔崇拝者かもしれないと答え、その場は終わった。


同年12月12日、ブッシーヘッドが原因不明の病気となり入院した。

この事で学校側はブラックベアがブッシーヘッドに魔術をかけたと判断し、「学校にとっての脅威」を理由にブラックベアを15日間の停学処分とした。


同年12月15日、ブラックベアはこの処分を不当だとして学校側を訴えた。

ブラックベアは学校側が邪教の本を読んだ事や魔女の仲間である事を自白するよう強要されたと述べた。

裁判で学校側はブラックベアに
「白魔法に少しでも関係あるような印や道具を身に付けないように」
と日頃から指導していたと述べた。

実際、ブラックベアはペンタグラムを持ち歩き、手のひらには星形の印を刻んでいた。

だが、ブラックベアの弁護士は、他の多くの生徒が十字架のアクセサリー等を普通に身に付けており、ブラックベアだけ指導するのはおかしいと述べた。

また、
「学校は彼女の信教の自由や言論の自由、プライバシーを侵害した」
と述べた。

ただ、ブラックベアの両親は
「西暦2000年になってまで娘が魔女でない事を弁護する為に裁判所に行くとは思いませんでした」
と述べ、弁護士も
「まるでセーラム (マサチューセッツ州の都市で、1692年に魔女裁判で魔女を火炙りにした) の魔女裁判に逆戻りしたかのようです」
と供述した。

アメリカでは他にも
「教師の生命を脅かすポエムを書いた」
として停学になった生徒がおり、裁判所が復学させるよう命令を出した事もあった (ポエムは脅威ではないと判断した) 。


2002年、クレア・イーガン裁判官は、
「ブラックベア氏への2件の停学は、彼女の憲法上の権利を侵害していない」
とした。

この事件は「連合魔術裁判」として広く全米に知れ渡った。


最後にブラックベアが言った言葉で終わりたいと思います。

「嘲笑と屈辱を経験した」



《殺人数》
0人


《犯行期間》




∽ 総評 ∽

教師に呪いをかけたとして停学処分を受けたブラックベア。

この事件は誰かを殺害したり強姦したりと犯罪を犯したわけではないが、アメリカらしいと言えばらしい出来事である。

悪魔崇拝はこれまで何人も紹介してきたが、確かにその後に殺人に発展したりと脅威になる事が多々みられる。

学校側も日頃のブラックベアの言動や行動が目に余る所があり、このような処分になったのだろうが、個人的には停学は流石にやり過ぎに思う。

しかも、その理由が「魔術によって病気になった」という何の根拠もないものであり、こんな事がこのご時世にまかり通る事に唖然としてしまう。

ブッシーヘッドがいくつかは知らないが、副校長というくらいなので、日本の感覚であればおそらく4、50歳くらいだろう。

そのくらいの年齢であれば体を壊す事もあるだろうし、たまたまブラックベアに注意した後に起こっただけの話しだ。

ただ、ブラックベアに注意した事で興奮し、血圧が上がって体調を崩した可能性もあるが、だからといってそれはブラックベアには関係ない。

仮にブラックベアが「お前を魔術で呪ってやる」と言ったとしても罪があるとは言えない (脅迫罪が適用されるかもしれないが) 。

日本ではとても考えられない事だが、こんな事で裁判になる事に驚きを隠せない。