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チャールズ・マンソン (アメリカ)
【1934 ~ 2017】



マンソンはファミリーに夫妻殺害を指示する。


1969年8月8日、マンソンの右腕テックス・ワトソンが、電信柱に上り電話線を切断し、連絡手段を遮断する。

そして、ワトソンはファミリーのメンバー、アトキンス、パトリシア・クレンウィンケル、リンダ・カサビアンを従え夫妻の邸宅に柵を乗り越え侵入した。

すると、邸宅から車が4人に近づいて来る。

運転手はスティーブン・アール・ペアレント (18歳♂) という若者で、管理人に会った帰りであった。

ペアレントは見知らぬ4人に対し、
「何をしているんだ?」
と尋ねた。

すると、ワトソンは躊躇なくペアレントの頭に4発撃って射殺した。

その後、ワトソンは改築中の子供部屋から家の中に侵入し、玄関を開けてアトキンスとクレンウィンケルを招き入れ、カサビアンには外で見張りをさせた。

居間には『Folger's Coffee』の跡取り娘アビゲイル・フォルジャー (25歳♀) のボーイフレンド、ウォイチェフ・フライコウスキー (32歳♂) が寝ていた。

フライコウスキーは人の気配で目を覚ました。

すると、見知らぬ男性が銃口をこちらに向けて立っていた。

2階の寝室にはフォルジャーがおり、主寝室にはテート (26歳♀) とヘア・ドレッサーのジェイ・セブリング (35歳♂) がいた。

ポランスキーはこの時、イギリスの首都ロンドンに行っており不在であった。

アトキンスはナイフで脅し、テートら3人に居間に行くよう指示する。

居間にいたフライコウスキーはワトソンに暖炉の前にうつ伏せになるよう言われる。

すると、セブリングがワトソンから銃を奪おうとした。

その瞬間、ワトソンはセブリングを撃ち、銃弾はセブリングの肺を貫通した。

それでもセブリングは抵抗を続け、ワトソンはナイフで滅多刺しにして殺害した。

その後、殺害したセブリングの首にロープを巻き、天井から吊るすと、テートとフォルジャーも同様に首にロープを巻きつけられ天井から吊るされた。

テートとフォルジャーは爪先立ちでようやく首が締まりるのを防げた。

ワトソンはアトキンスにフライコウスキー殺害を指示する。

その瞬間、フライコウスキーは逃走しようと試みるが、追い掛けて来たアトキンスに背後からナイフで突き刺された。

この時、見張り役のカサビアンがもう止めるようアトキンスに言うが、アトキンスはもう手遅れだと告げ、フライコウスキーに2度発砲した。

それでもフライコウスキーは死ななかった為、最後は銃のグリップでフライコウスキーの頭を何度も叩き殺害した。

フォルジャーは隙をみてロープを解いて庭に出たが、ワトソンらに刺し殺された。

ワトソンが居間に戻ると、唯一残っていたテート殺害をアトキンスに命じた。

テートはこの時妊娠8ヶ月であったが、
「赤ちゃんだけでも助けて!」
と哀願した。

するとアトキンスは

「いいかメス豚。あんたが子供を産もうが産むまいが私達には知った事ではない。あんたはどうせ死ぬんだ」

と言ってアトキンスはナイフでテートを刺した。

その後、ワトソンとクレンウィンケルも加わり、3人でテートをよってたかって16ヶ所刺して殺害した。

最後に犠牲者の血をタオルに浸し、リビングの2つの壁にそれぞれ「DEATH TO PIGS (豚共に死を) 」と「RISE (上がる、昇るというような意味) 」と書き、冷蔵庫のドアには「ヘルター・スケルター」と書いた。

この有名監督の妻であり女優のテート殺害は大々的に報道された。

新聞を読んで満足していたマンソンは、早速次の行動を起こす。


テートらを殺害した翌日の9日 (テートらを殺害した時には日付が変わっていたので、正式には当日) 、次のターゲットをスーパーマーケットチェーンのオーナー、レーノ・ラビアンカ (44歳♂) 宅に定めた。

マンソンはワトソンとクレンウィンケル、レスリー・バン・ホウテンを連れレーノの邸宅に到着すると、家の中に侵入する。

リビングにはレーノの他に妻のローズマリー (38歳♀) がいたのだが、マンソンらは夫妻を縛り上げた。

そして、マンソンはワトソンら3人に殺害を命じ、自身は車に戻った。

マンソンに命じられたワトソンはレーノの喉を切り裂き、キッチンナイフを首に刺した。

クレンウィンケルはローズマリーの背中をナイフで突き刺し、ホウテンも加わり2人で滅多刺しにした。

結局、ローズマリーはクレンウィンケルとホウテンに実に41ヶ所も刺された。

レーノはナイフで20ヶ所刺されており、腹部には「WAR (戦争) 」と文字を刻んだ。


同年8月12日、マンソン・ファミリーが居住する農場にロサンゼルス警察が押し寄せる。

容疑は自動車の窃盗であり、ファミリー25人が逮捕された。

しかし、令状の間違いにより数日後に全員が釈放された。


同年8月26日、マンソンはファミリーの1人であるドナルド・シェア (♂) 殺害を命じる。

シェアは仲間のファミリーによって殺害されるが、殺された理由は密告者との噂があったからだった。


同年10月12日、マンソンは銃の不法所持等の容疑で逮捕される。

そして、警官が農場に踏み込むが、マンソンは逮捕される時、洗面台下の小さなキャビネットに隠れていた。


同年11月6日、アトキンスが売春容疑で逮捕され、留置所に拘束されると、アトキンスは同房者にテート殺害を自慢した為、マンソン含むファミリーのメンバーがテート殺害で次々と逮捕・起訴される事となった。

テート殺害に関与したワトソンらは、全員殺害した時点では誰を殺害したかわからなかった。

また、アトキンスは裁判で、テート殺害を事件翌日のニュースで知り、知った際、あまりの興奮で「ぞくぞくした」と供述した。


④に続く