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チャールズ・マンソン (アメリカ)
【1934 ~ 2017】



1971年1月25日、裁判でマンソンは第一級殺人と殺人教唆により有罪判決が下され、同年4月19日、死刑が言い渡された。

また、ファミリーの面々の内、殺人に関わったメンバーにもそれぞれ死刑が言い渡された。

しかし、アメリカ全体が死刑廃止の方向性に動き、カリフォルニア州でも1972年2月に死刑が廃止された事により、マンソンらは終身刑に減刑された (後にカリフォルニア州は死刑が復活したが、マンソンらが死刑に戻される事はなかった) 。


2007年、マンソンは11度目の仮釈放の申請を行ったが、
「依然として他者に理不尽な危険を及ぼし、接触する人間に危害を加える恐れがある」
として却下された。


2012年、マンソンは12度目の仮釈放の申請を行ったが却下された。

この時点で次回仮釈放の申請が行えるのは、2027年であった。


2014年、マンソンと長年交流を続けていた女性 (26歳) が、自分がマンソンの妻だとインタビューで答えた。

女性はマンソンと獄中結婚の手続きを行ったと述べた。

しかし、女性はマンソンの死後、遺体を防腐加工し、ガラス張りのショーケースに納めてロサンゼルスて公開し、大儲けしようと企んでいた事がわかり、婚約は解消された。


2017年1月1日、マンソンは胃腸出血の為、カリフォルニア州の刑務所からベーカーズフィールドのマーシー病院に緊急入院した。


同年1月6日、マンソンは回復し、カリフォルニア州の刑務所に戻った。


同年11月15日、マンソン誕生日のこの日、再び体調が悪化し、ベーカーズフィールドの病院に搬送された。


4日後の19日、マンソンは病院で死去する。

享年83歳。



《主なファミリーのその後》

ワトソン (1945年12月2日生) は、1975年にキリスト教に改宗し、1978年に自伝が出版された。

1979年に獄中結婚するが、2002年に離婚している。


アトキンス (1948年5月7日生) は、1977年にワトソンと同じく自伝を出版した。

2009年9月24日、刑務所で癌により死去。

享年61歳であった。


カサビアン (1949年6月19日生) は、テート殺害のショックで目を覚まし、法廷では積極的に発言し、免責が与えられた。

その後、カサビアンは交通事故を何度も起こし、部分的な障害者となり、メディアには多数出演している。


ボーソレイユ (1948年11月6日生) は、1994年5月から2015年8月までオレゴン州の刑務所に収監され、現在はカリフォルニア州バカビルにある医療施設に入所している。


ホウテン (1949年8月23日生) は、20回仮釈放を却下されるが、21回目に申請が通り、2017年9月に仮釈放された。


スティーブン・グローガン (1952年5月24日生) は、ラビアンカ夫妻とシェア殺害に関与していているとされたが、1985年に釈放されている。


クレンウィンケル (1947年12月3日生) は、2011年まで13回の仮釈放申請を却下されるが、14回目の申請が2018年に可能であったが、2017年6月の時点で申請が却下された。


ブラナー (1943年12月17日生) は、懲役20年が言い渡され、1977年に仮釈放された。

ブラナーは名前を変更し、現在、アメリカ中西部に住んでいる。


サンドラ・グッド (1944年2月20日生) は、1985年に仮釈放されるが、マンソンに対しての崇拝が解けてない為、カリフォルニア州に行く事を禁じられた。



≡ マンソンの発言の数々 ≡

「俺は誰でもない」

「もし、俺が人を殺し始めれば世の中誰もいなくなる」

「テッド・バンディはクソッタレでマザコン野郎だ。男らしさだか何だか見せたかったのだろうが、俺には全く関係ない。俺はあんなクソ野郎共とつるむつもりはない。自分の足でしっかりと立っている奴らだけと俺は立つんだ」

「俺は病んだアメリカ社会の産物だ」

「なあ神よ、俺はあんたの親友だよな。俺があんたを生み出したんだよ」

「俺が誰かを殺したいと思えばこの本であんたを殴り殺すだけだ。そんな事をしても俺は何も感じない。ただ薬局に立ち寄るようなものさ」

「ああ、俺はとても狂ってるよ。だからなんだって言うんだ。ずっと前には狂っている事はたいしたことじゃなかった。でも今の時代はみんな狂ってやがる」

「俺は自分が直接手を下さずとも他人を操って人を殺す事が出来るんだ」

「子供の頃、俺は賢かった。だから自分がバカである事に気付いてしまった」



《殺人数》
9人
(他胎児1人)

《犯行期間》
1969年7月25日~同年8月26日




∽ 総評 ∽

自身を慕う若い男女を利用し、女優や裕福な人間の殺害を次々と指示したマンソン。

マンソンは世界的にブームを起こしていたヒッピーカルチャーを利用し、その求心力に次々と若者が従った。

ヒッピーと言えばマンソンを思い描く人も多く、また、マリリン・マンソンの存在などで、この手の話に全く詳しくない人でもマンソンを知っている人は多いかもしれない。

そんなマンソンは付き従う若者を利用し、自身が恨んだり妬んだりする相手を殺害させた (ただ、いくら慕っているからといって殺人を平気で行えるというのは恐ろしい話しであるが) 。

マンソンは音楽での成功と有名になりたいという気持ちとは裏腹に世間からは全く支持される事はなく、その鬱屈した感情が世の中への怨みと怒りに代わり、暴走へと繋がった。

しかも、その怒りは裕福な人や著名人といった成功者に向けられ、自身の怠惰や堕落、嫉妬や自己中心的な憤怒など、何一つ同情出来る点がなく、歴代のシリアルキラーの中でも特に身勝手で救いようがない。

このマンソンの暴走は日本のオウム真理教の麻原彰晃と非常に酷似している。

麻原は信者らと選挙で無惨に惨敗し、世間から全く相手にされない事で暴走を始めた (それだけが理由ではないが) 。

また、マンソンは逮捕された際、狭い洗面台の下に隠れていたが、これも麻原が逮捕された様子と非常に似ている。

人民寺院のジム・ジョーンズのように自殺する勇気もない小心者で、録でもない小物の結末として両者共に情けないの一言だ。

マンソンはテッド・バンディの事を非難したが、両者共にとても許されない異常者という事を大前提として、個人的には快楽の為に自らの手で殺人を犯していたバンディの方が指示して手を汚さないマンソンよりまだましだと思う。

死刑が廃止されたので終身刑になるのは致し方ないとして、では復活したのならなんで元の死刑に戻らないのか不思議でならない。

これでは犯罪者側が一方的に有利でしかなく、被害者は涙を飲むしかなくなる。

マンソンは昨年11月に83歳で死んだ。

女優テートは身籠った子供もろとも殺害され、マンソンは天寿を全うした。

こんな理不尽な事がまかり通る世の中に落胆と絶望を感じずにはいられない。



* 追伸 *

4日間に渡りチャールズ・マンソンを掲載致しました。

いずれは掲載しようと思ってはいましたが、昨年11月に死んだ事で急遽掲載に至りました。

見知った内容だったと思いますが、4日間お付き合い頂き誠にありがとうございました。