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ピエール・ボデイン (フランス)
【1947 ~ 】



ピエール・ボデインは、1947年12月30日、フランス・バ=ラン県オベルネで生まれた。


ボデインは「vanniers (籠職人) 」という犯罪組織に属し、数々の犯罪を犯した (窃盗や強盗) 。

そして、ボデインは、1969年に逮捕される。

ボデインは刑務所で他の囚人を強姦した。


1976年、ボデインは精神科に入院となったが、後に担当医師は
「彼は自分自身の心を閉じ込め、決して開く事はなかった」
と話している。

また、ボデインは自身の排泄物を飲み込んだりと奇行が目立った。

重度の精神病となったボデインは車椅子での移動となり、「Cotorep」から80%の障害カードを手に入れた。


1980年、ボデインは釈放されるが、再び強盗を始めた。


1989年、ボデインは再び逮捕されたが、精神科医のアンリ・ブルナーは、
「私を含む専門家全員彼が狂っていると判断した」
と答えている。


1992年12月、ボデインは車椅子で精神病院を脱走し、銃を盗んで銀行を襲撃する。

ボデインは2人の女性を人質に取り、立て籠った。

その間、ボデインは女性を強姦した。

警察は現場を封鎖し、その後、ボデインは逮捕された。

この事件はメディアによって大々的に報道され、ボデインは『Pierrot le fou (狂ったピエロ) 』と呼ばれるようになった。


1994年、裁判でボデインは30年の禁錮刑が言い渡された。


1996年、ボデインは模範囚として過ごした為、「モデル受刑者」と呼ばれ、刑罰に対する新しい法案が採用された。


その為、2004年3月14日、ボデインは仮釈放される。


同年6月18日、リノーでボデインは、ジャンヌ・マリー・ケゲーリン (10歳♀) を強姦し、殺害する。

ケゲーリンの死体は同年6月29日に発見された。


同年6月21日、オベルネでボデインは、ヘドウィグ・ヴァレイ (38歳♀) を誘拐し、強姦した後、ナイフで刺して殺害する。

ヴァレイの死体は翌日の22日に発見された。


同年6月25日、シルメックでボデインは、ジュリー・シャルク (14歳♀) を強姦して殺害した。

シャルクの死体は同年7月3日に発見された。


警察はわずか1週間足らずで立て続けに発生した強姦殺人事件の捜査を進め、同年6月26日にボデインを容疑者として逮捕した。

しかし、証拠不十分として一旦釈放する。


だが、4日後の30日、ボデインは再び逮捕され、3件の殺人で起訴された。


2007年4月11日、裁判でボデインには最低30年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。

その後、ボデインの弁護士は控訴するが、棄却されている。


2014年11月13日、欧州人権裁判所がボデインの判決が欧州条約第3条と第6条に抵触するとしてフランス政府に抗議している。



《殺人数》
3人
(他犯罪多数)

《犯行期間》
2004年6月18日~同年6月25日




∽ 総評 ∽

『Pierrot le fou』と呼ばれ、3人の少女や女性を強姦して殺害したボデイン。

ボデインは若い頃から犯罪組織に属していたが、ボデインが何故これほどまでの人物になったか詳細がなくわからない。

ボデインは精神科医が「狂っている」と言うまでもなく、完全に精神が破綻しており、殺人以外にも数々の犯罪を犯した。

中でも強盗はかなり本格的に行っていた。

しかと、これほど異常な事はわかりきっているにもかかわらず、何度も釈放されその度に犯罪を犯した。

何故釈放するのか全く理解出来ない。

これはEU加盟国ならではの惨劇といえ、凶悪な犯罪者をさっさと処分しなかった代償といえる。

欧州人権裁判所はボデインへの判決が欧州条約に抵触するとしてフランス政府に抗議したが、これには呆れてものも言えない。

「何故こんな凶悪犯がこの程度の刑なのか?」という抗議なら理解も出来るが、おそらく重過ぎるという抗議であろう。

こんな異常者に対する最低30年は仮釈放の可能性がない終身刑の何が悪いのか、むしろ軽過ぎるくらいである。

私が遺族であったならこの怒りを一体何にぶつければいいのかとても耐えられそうにない。