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ルイス・ポワソン (フランス)
【1962 ~ 】



ルイス・ポワソンは、1962年9月、マダガスカルで生まれた。

ポワソンの父親はフランス人で、母親がマダガスカル人であった。

ポワソンは4人兄妹の長男で、唯一の男子であった。

父親はアルコール中毒であり、ポワソンは母親や妹の身代わりとなり父親の暴力を受けた。


1980年、ポワソンはライン川を渡る船の船員となった。

雇用主によると、ポワソンは「模範的な船員」であったという。

ポワソンは日頃から軍隊で活躍する自分を夢見ていた。

中でも「パラ=コマンド」という特殊部隊に憧れていた。


1982年、ポワソンは実際に軍に入隊するが骨折してしまい、落下傘部隊に配属となってしまう。

この事に失望したポワソンは軍を除隊した。


1983年から1984年にかけて、ポワソンはフランス・ストラスブールで7件の凶悪犯罪を犯した (マダガスカルは以前、フランスの植民地であった) 。

犯罪は武装強盗に首を絞めての殺人、当時の恋人を森に連れて強姦するというものだった (ただし、これらの犯罪については詳細がなく、実際ポアソンによって行われたのかは不明) 。


1985年1月、ポワソンは逮捕され、同年12月に懲役15年が言い渡される。


1995年8月30日、ポワソンはバーで飲んでいた。

すると、近くで犬が吠え、折角楽しく飲んでいた所を気分を害されたと感じ、怒りを覚える。

そして、ポワソンは犬を捜すと、その犬は家の中にいた。

ポワソンは窓を破壊して中に入り、犬を掴んで地面に叩きつけた。

家にはジェニー (67歳♀) とモニーク (44歳♀) のヴィラン親子がおり、警察に通報するとポワソンに詰め寄った。

ポワソンはジェニーを殴って気絶させ、モニークと2人を車 (ジェニーの車) に詰め込んだ。

そして、ヌイイ=シュル=セーヌの畑に向かうと、そこで、モニークに警察に言わなければこのまま解放すると告げた。

だが、モニークはそれを拒絶する。

その事に怒りを覚えたポワソンは、モニークの頭にビニール袋を被せ、窒息死させた。

そして、ジェニーは木材で首を殴って殺害した。

ヴィラン親子を殺害すると、ポワソンはガソリンを探し、2人にかけて火を点けて燃やした。

その後、ポワソンは車にも火を点け、歩いて帰った。

2人の遺体は同年9月2日に歩行者によって発見される。

警察はすぐに捜査を始めるが、捜査官は当初、犠牲者の息子兄弟ミシェル・ビリャン (47歳♂) を犯人だと決めつける。

その後、ビリャンは拘束され起訴される。

ビリャンは無実を訴えたが有罪判決が下され刑務所に収監された。

ビリャンはポワソンが逮捕されヴィラン親子殺害を告白するまで約3年間刑務所で過ごす事となった。


1996年6月、ポワソンはヒッチハイカー3人を農場に監禁する。

しかし、3人は脱出に成功し、ポワソンは逮捕された。


1997年1月、ポワソンは懲役3年が言い渡された。


1998年7月28日、デュアンでポワソンはアデリーヌ (20歳♀) という女性を襲い強姦する。


ルーシー・ファム=ゴク=ビック (73歳♀) は、マント=ラ=ジョリーにある老人ホームに住んでいた。

1999年4月28日、ビックは毎日歩いている通りに散歩に出掛けた。

すると、ポワソンは仲間が運転する車でビックの傍を通り過ぎる。

ポワソンはビックを見るなり連れ去ろうと提案し、仲間にビックの所まで戻るよう促した。

そして、ビックを車に乗せると、車を走らせた。

だが、ビックは車に乗ってすぐトイレに行きたいと言った為、近くの休憩エリアに向かい車を止めた。

しかし、ビックがトイレに行きたいと言っていたのに車から降りない事にポワソンは激怒し、車から蹴り落とした。

ビックは車外に落とされたが、ポワソンは再びビックを車に引き戻し、自身が働いている農場へ向かった。

そして、農場にビックを連れ込むと、ビックを殺害し、死体を捨てた。

ビックの死体は2001年1月23日まで発見されなかった。


パシー=シュル=ウールで、シャーロット・バーソン (79歳♀) は毎日家の近くを散歩していた。

同年9月5日、ポワソンは仲間が運転する車でバーソンの近くを通り、バーソンの歩く道を塞いだ。

バーソンはポワソンの乗る車をノックした。

ポワソンはそのノックで車が傷ついたと思い激怒した。

ポワソンはバーソンに対して激しく押し付け、石で散々に殴り付けた。

そして、ぐったりしたバーソンを車に積むと、ラ・ヴィルヌーヴ=アン=シュヴリに車を走らせた。

その後、バーソンの首を絞めて殺害し、身元を判別出来ないように塩酸を顔と手にかけ、茂みの中に全裸の死体を隠した。

同年10月3日、2人のハンターが死体を発見し、バーソンが掛けてあった時計がシリアルナンバーが刻まれていた為、死体がバーソンだと判明した。


2000年5月3日、クレメンス (38歳♀) はヴァーノンに帰る為にパリで列車に乗った。

しかし、クレメンスは乗る列車を間違え、マント=ラ=ジョリー行きの列車に乗ってしまった。

その後、クレメンスはバスでヴァーノンに向かおうとバス停に立っていた。

すると、ポワソンはクレメンスの傍を車で通り過ぎる。

ポワソンはすぐに戻り、クレメンスに話し掛けると、クレメンスはヴァーノンに行くつもりだとポワソンに話した。

ポワソンはヴァーノンのまで送ってあげるとクレメンスに話し、クレメンスは喜んでポワソンの車に乗った。

しかし、クレメンスを車に乗せると、ポワソンは1度仕事場に行かなければならないと話し、ラ・ヴィルヌーヴ=アン=シュヴリの農場に向かった。

到着すると、ポワソンはナイフでクレメンスを脅し、車から引きずり降ろした。

クレメンスは叫ぶが、ポワソンはクレメンスの手を背中の後ろに回して縛り、農場にある建設中の建物に引きずり込んだ。

クレメンスは抵抗し、その為、時計が階段の下に落ちた。

ポワソンは建物の1階に古いマットレスが1つある事を知り、クレメンスを置いてマットレスを取りに向かった。

すると、クレメンスの上司 (♀) が現場に到着し (おそらくクレメンスが携帯電話か何かで助けを求めていた) 、クレメンスの時計に気付く。

上司はクレメンスを見つけ、クレメンスを介抱するとポワソンの所に向かった。

上司がポワソンに話し掛けると、ポワソンはクレメンスを家に連れて行く予定だと話した。

そして、ヴァーノンにあるクレメンスの家に到着すると、ポワソンはクレメンスに謝罪した。

上司はポワソンに警察に行くよう促し、ポワソンはその足で警察に向かい逮捕された。

逮捕されたポワソンは、尋問にも非常に落ち着いた様子で話し、捜査官に対しても敬意を示した。

ただ、ポワソンは罪を認めなかった。

だが、ポワソンが言い訳出来ない証拠を突きつけられると、その時は認めた。


2005年2月、裁判でポワソンには最低22年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。



《殺人数》
4人
(他被害者5人)

《犯行期間》
1995年8月30日~1999年9月5日




∽ 総評 ∽

『Rambo (ランボー) 』と呼ばれ、4人を殺害し、5人を襲ったポワソン。

ポワソンがこれ程の異常性を身に付けたのは、幼少時の父親からの暴力が根底にあると思われる。

また、自身が夢見ていた特殊部隊参加への断念が、最終的にポワソンの精神状態を破綻させた。

虐待はまだしも、自分の求めた部隊に入れないという理由で凶行に出るというのは自分勝手極まりなく救いようがない。

ポワソンが標的にした相手は若い女性か年配の女性のどちらかで、かなり極端であった。

フランス型の殺人鬼はこういった人物が意外に多い。

ポワソンは道を歩いている女性に目をつけ襲ったが、最初は善人を装い相手を言葉巧みに騙すという陰湿で狡猾なやり口であった。

また、ポワソンは自分の気分を害されたり、パッと見て気に入ったりと突発的で衝動的に行動を起こす異常者であったが、一般市民からすると最も危険なタイプの殺人鬼といえる。