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シド・レザラ (フランス)
【1979 ~ 2000】



シド・アフマド・レザラは、1979年5月13日、アルジェリア・アルジェ県エル・ビアールで生まれた。

その後、レザラはアルジェ県郊外にあるビルカドンで育った。


レザラ9歳の時、近隣の若者 (20歳から30歳くらい) に集団で強姦される。

レザラはその事を誰にも言う事が出来なかった。


1994年夏、レザラはフランスのマルセイユに移動した。

レザラが強姦されたトラウマと、アルジェリアで内戦が続いている事に嫌気がさし、逃げるようにフランスに渡ったのだった (アルジェリアは地中海を挟みフランスの反対にあり、マルセイユは地中海に面していた) 。


レザラはフランスで学校に通ったが、すぐに退学し、1995年、薬物やアルコールに溺れ、完全に社会から脱落してしまう。

そして、レザラは強盗や車の窃盗、暴力や強姦を繰り返した。


同年、レザラはマルセイユのサン・チャールズ駅で、10代の少女をナイフで脅して強姦した。


同年12月7日、少年裁判所でレザラは16歳という事もあり、18ヶ月から30ヶ月の不定期刑が言い渡された。

この時、DNAサンプルを採取された。

レザラはルインズ刑務所に収監され、刑務所で2度、てんかんを起こした。


1996年に釈放されると、レザラはホームレスとして生活を始める。

そして、レザラは時計店に侵入し、店員をナイフで脅した事で逮捕され、再びルインズ刑務所に収監された。


1998年5月、囚人の1人がレザラに性的虐待を受けたと訴えた。

しかし、証拠がないとして却下された。

ただ、レザラは看守たちから
「彼はどんな訓戒も受け入れず、どのような危険な行動を取るか予測出来ない。常に厄介な存在であった」
と思われていた。


1999年2月、レザラは釈放された。


同年6月29日、レザラは1998年に女の子を生んだ女性ナディアと結婚し、アミアンに移動した。


同年10月13日、フランスに勉強で留学しているイギリス人イザベル・ピーケ (20歳♀) は、リモージュからパリへ列車で向かった。

その後、ピーケは約150kmで走る列車から転落し、頭部がパイロンに激突し死亡した。

ピーケの検死を行うと、落下した際の打撲と損傷が酷く、列車から転落する前に暴行や強姦をされていたか判断出来なかった。


同年10月、学生のエミリー・バザン (20歳♀) が行方不明となる。

バザンの死体が発見されたのは同年12月17日で、アミアンにある小さなアパートの地下室で見つかった。

バザンの死体には精子が残されており、周囲にはタバコの吸い殻が見つかった。

また、壁にはバザンの血が飛び散っていた。

バザンの首にはシャツが巻き付いており、死因は絞殺であったが、殺害される前に何度も殴られていた事もわかった。


同年12月14日、コリーン・カイヨー (36歳♀) が列車から転落して死亡しているのを発見される。

カイヨーは子を持つ母親であったが、ナイフで顔や首、腹部や背中を14ヶ所も刺されていた事がわかった。

カイヨーの死体の側には血に染まった犯人の帽子があった。

この連続殺人に関して、国際犯罪に関する情報を管理する機関『インターポール』が動き出し、捜査を開始する。

そして、目撃情報や犠牲者に残されたDNAから犯人がレザラであると断定する。


同年12月15日、レザラはマルセイユからスペインへ列車で逃走を図る。


同年12月24日、インターポールはレザラの家族を拘束し、両親にはレザラに投降するよう呼び掛けを頼むが成功しなかった。


その後、レザラはスペインの首都マドリッドで窃盗を働き逮捕される。

微罪であった為、レザラはすぐに解放されるが、この時、まだインターポールとスペイン当局との連携がとれておらず、見逃す事となった。


2000年1月、レザラはフランスへ電話した事で居場所がばれ、その場所はポルトガルの首都リスボン郊外であった。


同年1月11日、レザラは逮捕された。

逮捕された時、レザラは再びマドリッドへ行く予定であった。

レザラは1999年12月27日にリスボンに来ていた事がわかり、偽名でアルジェリア人のふりをしていた。

レザラはポルトガル当局に拘束されたが、当局はフランスへの移送を拒絶する。


だが、2000年3月、フランスへの移送が認められ、同年5月24日、最高裁判所は80日以内のフランスへの移送を決定した。


同年6月28日、フランスへ移送される前にレザラは自殺した。

マットレスで体を包み、火をつけて酸素を奪う事による窒息死であった。

享年21歳の若さであった。

レザラは拘留中に、犯罪について語っていた。

ピーケ殺害についてレザラは

「彼女はとても甘かった。私たちはリモージュ駅で意気投合し、パリに一緒に向かったが、ボーイフレンドに連絡したいから携帯電話を貸して欲しいと頼んできた。私は快く貸した。私はそうやっていつも他人を助けてきた。あなたが寒いなら私はシャツを脱いであなたに渡すだろう。そういう風にするように両親は私を育てた。彼女はボーイフレンドに電話を掛けた。その時、私はジョイントを引っ張り彼女を列車から突き落とした」

と話した。

また、列車とは関係ないバザンとは不倫関係にあり、邪魔になったから殺害した事がわかった。

カイヨー殺害については

「彼女は犬と一緒だったが、私は彼女に子供がいる事を知らなかった。私は彼女には何もしなかった。ただ、当時、私は2リットルのジャックダニエル (ウイスキー) を飲み、彼女の戯れ言を聞いていた」

と話し、よく覚えていないと語った。



《殺人数》
3人


《犯行期間》
1999年10月13日~同年12月14日




∽ 総評 ∽

『Le tueur des trains (列車の殺人犯) 』と呼ばれ、3人の女性を殺害し、2人を列車から突き落としたレザラ。

レザラはアルジェリアで生まれ、わずか9歳で集団で強姦される悲劇に見舞われた。

これがレザラの精神状態を破綻させたのは間違いないだろう。

レザラが答えたインタビューは、人を突き落としておし殺しておいて「他人を助けてきた」と支離滅裂な発言を行った。

レザラの良心がなく自己中心的な性格はサイコパスといえる。

レザラは20歳で殺人を犯し、21歳で自殺した。

まるで、殺人をする為だけに生まれた人生といえる。