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ピーター・ランディン (デンマーク)
【1972 ~ 】



ピーター・ケネス・ボストロム・ランディンは、1972年2月15日、デンマーク・ソロルドストランドで生まれた。

父をオーレ・ボストロム、母をアンナ (旧姓シャフナー) といい、夫妻はランディンを生む前の1971年にデンマークに住んだ。


ランディン7歳の時、一家はアメリカへ移住した。


1991年4月、ノースカロライナ州マギー・バレーで、ランディンは母アンナの首を絞めて殺害する。

ランディンは父オーレに助けを求め、オーレはランディンをハッテラス岬の海岸に匿った。


身を隠してから8ヶ月後、ランディンは逮捕された。


1992年、ランディンには懲役15年が言い渡され、父オーレはランディンを匿った共犯者として懲役2年が言い渡された。


1994年、ランディンは刑務所でデンマークのテレビインタビューに答え、顔の半分を黒く塗って現れた。

これは「人生の明るい面と暗い面」を表したものであり、とある詩を引用したものだった。

インタビューでランディンは文章を執筆中だと語った。

このインタビューを見たスウェーデンの有名な精神科医スティン・レヴァンダー教授は、ランディンを「Psychopathy Checklist (サイコパシー・チェックリスト) 」に当てはめた所、39点 (最高40点) だったと語っている。

このインタビューによりランディンには熱烈なファンが生まれ、後にティナという名前の女性と結婚した。


1999年、ランディンは刑務所側の理由によ釈放される事となり (恐らく囚人の収容過多) 、デンマークに移送された。

デンマークに戻ったランディンは、妻 (ティナかどうかは不明) とムーロフに移ったが、妻に暴力を振るった為、家を追い出された。

その後、ランディンは売春宿でマリアンヌ・ペデルセン (1963年生まれ) と出会い、ペデルセンが住むデンマークの首都コペンハーゲン近郊のロドヴェルに転がり込んだ。

ペデルセンには2人の息子がいた。


2000年7月3日、ペデルセンと2人の息子が行方不明だと警察に通報が入る。

早速、警察は捜査を始め、一緒に住むランディンに話を聞いた。

すると、ランディンは休暇で出掛けていると述べた。

警察が家の中を調べてもいいかと聞くと、ランディンは快く応じた。


2日後の5日、警察がペデルセンの家を調べると、ペデルセンの車と地下室に血痕を発見し、警察はランディンを逮捕した。

警察はランディンがペデルセンら3人を殺害し、解体したと考えた。

血痕が見つかった地下室は、
「まるで屠殺場のようであった」
と捜査官が語る程で、丹念に清掃を試みた跡があった。

しかし、血痕の他に人間の組織が見つかった。


当初は殺害をほのめかすような供述をしていたランディンであったが、逮捕から3週間が経つと、事件の夜、叫び声が聞こえ、驚いて現場に駆けつけると、そこにはペデルセンが息子を殺している様子を発見したと語った。

また、ペデルセンは薬物中毒であり、息子を殺した後、死体の解体を手伝ったと述べた。

だが、警察はランディンの供述を一切信用しなかった。


同年7月27日、ランディンは拘留されている刑務所内で他の受刑者に襲われ、怪我を負った。

これはランディンが幼い子供を殺害した為だった (ただし、この時点ではまだ殺害は確定していない) 。


同年10月10日、ランディンはペデルセンら3人の殺害を認めた。

ランディンは同年6月16日の夜に、ペデルセンが電話で相手の男性と楽しそうな甘い会話をしている事に怒り、まずペデルセンを殺害し、その後、2人の息子を殺害した。

そして、3人の死体の首を全て切断した。

結局、大規模な捜査が行われたものの、3人の死体は発見されなかった。


2001年、ランディンに終身刑が言い渡された。

また、父オーレはペデルセンが所有する品物を盗んだとして懲役4ヶ月が言い渡された。


2008年9月29日、ランディンは獄中結婚する。

しかし、わずか11日後に女性が離婚を申請し、離婚となった。

女性がランディンと離婚した理由だが、ランディンが別にガールフレンドがおり、嘘をついていたからだった。


2011年5月26日、ランディンはベティナという名の女性と再婚した。

投獄されているランディンは、名前をビャーン・スカンボルグに変更した。



《殺人数》
4人


犯行期間
1991年4月、2000年6月16日




∽ 総評 ∽

実の母親やガールフレンドらを殺害したランディン。

ランディンは著名な精神科医が判断した所、サイコパス診断で最高40点の所39点とされ、生粋のサイコパスといえる。

逮捕後の発言をコロコロ変えたり、良心の呵責が微塵もない様等はその典型といえるだろう。

ランディンの母親殺害の契機やきっかけがわからないが、父親が匿っている所をみると、父親と結託して殺害した可能性が高い。

その後、父親はランディンの犯罪に加担している事が多々みられ、まさにこの親にこの子ありである。

ランディンは刑務所に収監されている時に名前を変えているが、同じ北欧ノルウェーのアンネシュ・ブレイビクも収監中に名前を変えた。

北欧の異常者は刑務所で改名するのが流行っているのだろうか。