image














ジョニー・ゴッシュ (アメリカ)
【1969 ~ 1982?】



ジョニー・ゴッシュ (出生名ジョン・デビッド・ゴッシュ) は、1969年11月12日に生まれた。


1982年9月5日早朝、アメリカ・アイオワ州ウェスト・デ・モイン郊外で、ゴッシュは新聞配達に出掛けた。

朝5時過ぎでまだ暗いという事もあり、ゴッシュが毎朝父親を起こし、父親がゴッシュの新聞配達に付き添っていた。

しかし、この日、グレッチェンという名のダックスフンドだけを連れてゴッシュは先に出てしまった。

ゴッシュは会社に行き、新聞を受け取っていつも通り新聞配達に向かった。

これが何人も人がゴッシュの姿を確認した最後であった。

ゴッシュが配達するはずの新聞配達のルートに姿を見せず、新聞が配達されていないとゴッシュの両親に電話が入る。

午前6時頃、ゴッシュの両親がゴッシュを捜しに家を出た。

ゴッシュの家族はすぐにウェスト・デ・モイン警察署に連絡し、ゴッシュ失踪を報告した。

警察は早速ゴッシュ捜索を開始する。

すると、ゴッシュが配達するはずだった新聞が束のままで置いてある事がわかった。

また、マイクという名の隣人が、ゴッシュが青色のフォードに乗っていた老人に話し掛けられていたのを目撃したと警察に話した。

会話については部屋の窓越しで見ていたのでわからなかった。

更に、ゴッシュと一緒に配達していた他の青年たちに話を聞くと、ゴッシュにある男性が近寄り、
「8番通りはどこだ?」
と聞いていたという。

ゴッシュはその男性が怖くなり、他の仕事仲間の青年に

「怖いから家に帰る」

と言ってその場から去った。

だが、その男性は家に帰るゴッシュの後をついていった。

警察はその男性がゴッシュの行方不明と関係しているとにらみ、更に聞き込みを開始する。

すると、ゴッシュの後をつけていた男性が、ゴッシュを無理やりフォードの車に押し込み走り去ったという情報を掴む。

ゴッシュの両親はゴッシュの友人や知り合いに電話し、一緒に探してもらうよう頼んだ。

また、ゴッシュの顔写真を何枚もコピーし、近所に配って回った。

しかし、必死の捜索の甲斐なく、ゴッシュの足取りを掴む事すら出来なかった。

だが、警察はゴッシュをさらったと思われる男性は、人身売買を行う組織の一員ではないかと推測する。

実はアメリカでは子供をさらって海外に売ったり臓器売買、児童ポルノなどに利用する闇組織が問題となっており、実際、アメリカでは毎年約100万人の行方不明者が出ているが、その内約8割が18歳未満の子供であった (1日に換算すると毎日約2200人の子供が行方不明となっている計算になる) 。

ただ、証拠も根拠もない為、捜査がそれ以上進展する事はなかった。


同年、ゴッシュの母親は児童の行方不明事件に対する法執行機関の不十分さを嘆き、『ジョニー・ゴッシュ財団』を設立する。

そして、学校を訪問しては性的捕食者に関するセミナーを開催した。

その後、ゴッシュの母親は行方不明となった子供たちに対し警察が即時対応するよう要求した (1984年にアイオワ州で法案が成立し、その後、ミズーリ州と他7州でも同様の法律が成立した) 。


ゴッシュが行方不明となってから6ヶ月後の1983年3月、オクラホマ州で1人の女性がゴッシュに会ったと供述する。

女性は外を歩いていると、少年が走って近づいて来た。

少年は

「僕はジョニー・ゴッシュと言います!僕は誘拐されました!助けて下さい!」

と必死の形相で話した。

女性は余りの出来事に驚いていると、すぐにビルの裏から大人の男性2人が現れ、ゴッシュを車に乗せて走り去ったという。


1984年、ゴッシュの顔写真がアメリカで販売されている牛乳パックに印刷される事となった (これはアメリカでは2番目の出来事で、最初はエタン・パッツであった) 。


同年、ゴッシュと同じような状況下で、ユージン・マーティンという少年が、更に1年半後にマークという13歳の少年が行方不明となる。

この2件の行方不明事件に対し警察は、ゴッシュと同じ組織による連続誘拐事件と見て捜査するが、進展しなかった。


1984年8月、ゴッシュの母は上院審問でゴッシュを拉致したのは「組織的な小児性愛」によるものだと証言した。

ゴッシュの母はアメリカ司法省の前でも証言し、後にロナルド・レーガン大統領の献辞式でホワイトハウスに招待されている。


1989年、ポール・バナーキーという名の青年がゴッシュについて警察に知っている事を話した。

バナーキーはある罪で逮捕され服役中であった。

実はバナーキーもゴッシュ同様被害者であり、子供を誘拐して人身売買をしていた組織に拉致され、性的虐待を受けていた。

その後、バナーキーは組織に協力するよう強要された。

逆らえば殺されると思ったバナーキーは、嫌々協力するようになり、ゴッシュ誘拐を手伝ったと話した。

バナーキーは
「ゴッシュを誘拐した時、私は車にいてゴッシュの足を掴んで他の男性と車に連れ込みました」
と話した。

バナーキーは刑務所でゴッシュの母親と面会し、
「本当に申し訳ございません」
と謝った。


1990年、メキシコで発見された死体がゴッシュだと思われたが、結局、別人であると判明した。


バナーキーは1992年に釈放され、テレビ番組に出演してゴッシュについて話した。

また、ゴッシュと一緒にいたというジミーという青年も現れ、ジミーは廃墟に閉じ込められていた所、何人かで逃げる事が出来たのだが、その1人にゴッシュがいたと述べた。

ただ、それぞれ別に逃げた為、今のゴッシュについてはわからないと述べた。

ゴッシュの母親はこれらの話を全面的に信じていたが、父親は全く信じなかった。


その為、夫婦間ですれ違いが生じ、ゴッシュが行方不明となって11年経った1993年に夫婦は離婚した。


ゴッシュが行方不明となってから15年経った1997年3月1日午前2時30分頃、母親の住むアパートのドアをノックする音で母親は目が覚めた。

母親がドアを開けるとそこには27歳になったゴッシュがいた。

母親はすぐにゴッシュが子供の頃にかかった浮腫の治療痕がないか胸を見た。

そして、母親はその男性がゴッシュだと確信する。

しかし、ゴッシュは帰って来たわけではなかった。

ゴッシュは現在、男性と住んでいると話し、どこに住んでいるの尋ねたがゴッシュは答えなかった。

結局、ゴッシュが滞在したのはわずか3時間であったが、去り際に

「僕はここにはいられない。助けて、あの人たちを捕まえて欲しい。そうすればまた一緒に暮らせる」

と話した。

しかし、この事を父親は信じなかった。


2000年、母親は『ゴッシュが帰る事が出来ない理由』というタイトルの本を出版する。


2005年、ゴッシュの母親がインタビューに答え、
「ゴッシュが家に来た夜、ジーンズとシャツに季節が3月だったのでコートを着ていた。髪は長く肩くらいまであった。髪は真っ黒に染められていた」
と話し、その供述を元にFBIはゴッシュの写真を作成した。


2006年9月1日、母親の家の玄関に数枚の写真が置かれており、その写真の一部を母親はウェブサイトに掲載した。

その白黒写真にはゴッシュを含む3人の少年が縛られてた。

また、他の写真には見知らぬ男性が映っており、
「ゴッシュを虐待した加害者の1人」
と母親が主張していた。


同年9月13日、匿名の手紙がデモイン警察に郵送される。

それには
「紳士諸君、母親がウェブサイトで公開している写真はゴッシュではない。3人の少年は1979年から1980年にフロリダ州タンパで家出した少年である」
というものであった。

警察は実際タンパで行方不明となった少年がいるか調べてみるが、その年にはタンパで行方不明となった少年は他にも沢山おり、真実かどうかわからない。



《誘拐日時》
1982年9月5日




∽ 総評 ∽

12歳の時に誘拐され、現在まで見つかっていないゴッシュ。

ゴッシュの母はゴッシュが1度家に顔を出したと主張しているが、本人以外それはわからない。

母親なので15年振りに帰ってきた息子が解るのもおかしな事ではないが、わからない可能性も高いだろう。

子供が帰って来て欲しいという気持ちが幻聴や幻覚を生んだのか、すでに精神的に破綻していた可能性も否定出来ない。

個人的には母親の発言は父親と同じくあまり信用出来ないと思う。

ただ、アメリカだけに限らている事ではないが、人身売買の為の誘拐はよくある事であり、ゴッシュがそうだった可能性は非常に高い。

だが、これまでアメリカにおけるペドフィリアを得意とするシリアルキラーを散々紹介してきた通り、普通にシリアルキラーの餌食になった可能性も高い。

現在、ゴッシュは生きていれば50歳近くなっており、どんな形であれ一刻も早く解決してもらいたいものだ。