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ジョン・ゲイシー (アメリカ)
【1942 ~ 1994】



刑務所に収監されているゲイシーに、ジェイソン・モスという18歳の少年が興味を持ち、手紙を送る。

ゲイシーもモスに手紙を送り、ゲイシーとモスは文通を始める。

モスはこれまでヘンリー・ルーカスやリチャード・ラミレス、チャールズ・マンソンやジェフリー・ダーマーなど悪名高きシリアルキラーとも文通を行っており、歴代の殺人鬼に興味を持つ少年であった。

ゲイシーはモスの電話番号を突き止め、電話で話すようになる。

そして、直接会って話そうと持ち掛けた。

殺人鬼に興味を持っていたモスは、このゲイシーの提案は願ってもない話であった。

モスはゲイシーのいる刑務所に直接赴き、2人は対面を果たす。

すると、ゲイシーは殺人の衝動を抑える事が出来ず、モスを殺す事に決める。

模範囚として信用を得ていたゲイシーは、看守抜きで直接モスと会える事が可能となった (本来はもちろん規則違反) 。

ゲイシーはモスと会うと、監視カメラの死角にモスを誘い出し、後ろに回ってモスの首を絞めた。

しかし、看守が通りかかった事でモスは間一髪助かった。

この犯行によりゲイシーの再審請求は取り下げられた (その後のモスに関しては詳細は省くが、2006年6月6日に自殺している。享年31歳) 。


1994年5月10日、ゲイシーには致死量の注射による死刑が執行された。

ゲイシーの処刑前の最後の言葉は

「Yeah! Kiss my ass (俺のケツにキスしろ!) 」

であった。

享年52歳。

ゲイシーのスペシャル・ミール (最後の特別な食事) は、ケンタッキーフライドチキン、フライドポテト、エビフライ、イチゴ、コーラであった。

死刑執行は通常7分程度で穏やかに終わるが、ゲイシーは30分近くかかり、しかも、苦しみながら絶命した。

通常、薬殺は麻酔薬に呼吸停止を促すパヴノール、心臓を停止させる塩化カリウムの3種類の薬が使用される。

だが、死刑囚が極度に興奮などすると、塩化カリウム等の効きにムラが生じ、パヴノールが先で塩化カリウムの効果が遅れると、窒息状態で死ぬという最も苦しい最後を迎える事となる。

ゲイシーが苦しんで死んだ事を知った検事は
「被害者が受けた苦痛に比べれば、ゲイシーの苦痛などたいした事ではない」
と述べ、また、コメントを求められたクラブのメンバーは、
「 (ゲイシーが) やった事に比べれば安楽死としか言いようがない」
と述べている。



≡ ゲイシーの発言の数々 ≡

「ピエロになれば人殺しなんて簡単なことさ」

「帰ろうと思ったのはこんな事 (葬儀社の仕事で死体と寄り添う事) を続けていたら自分がとんでもない化け物になる予感がして怖かったからさ」

「他のジャックからまだ詳しく教えてもらってないんだ」

「 (少年の) 叫び声があまりにうるさいと、ジャックは奴等の下着を口の中に窒息するほど詰め込んだ。そして、首にロープを巻くと棒をロープと首の間に差し込みゆっくりと捻り上げていくんだ」

「フェラチオしたら帰してやる」

「人を殺した本当の理由を知りたくないか?」

「あいつらは何の意味もないガラクタだ」

「ポゴに変身している時、安らぎを得る事が出来た」

「俺は大量殺人者に対する最長の懲役刑をくらった男としてギネスブックに載ってるんだぜ」



《殺人数》
33人


《犯行期間》
1972年1月~1978年12月




∽ 総評 ∽

『The Killer Clown (殺人ピエロ) 』と呼ばれ、若い少年ばかり33人を強姦して殺害したゲイシー。

ピエロの格好をして子供たちを楽しませ、陰ではその子供たちを強姦し殺害していたというインパクトは計り知れない。

しかも、ゲイシーは地元ではその名を知らぬ程の名士であり、その裏と表の顔のギャップはかなりのものである。

その存在の余りの衝撃振りに、かのミステリー作家スティーブン・キングが『IT』という小説を書いた程であった。

ゲイシーは多重人格を主張したが、結局それは詐病とされた。

確かにゲイシーは父親からの虐待、それに伴うアルコールと薬物に溺れた事で精神が破綻てしてしまっており、その影響で多重人格となったのかもしれない。

ゲイシーは持ち前の勤勉と努力、才覚により仕事をことごとく成功させているが、そんなゲイシーが多重人格とはにわかに信じ難い。

おそらく罪を逃れる為の虚偽に過ぎないと思われる。

そもそも多重人格であろうが多くの少年を殺したのは事実であり、それで減刑や死刑回避というのはあってはいけない。

同じ時期に暗躍したランディ・クラフトやウィリアム・ボーニン、パトリック・カーニーの3人は『フリーウェイ・キラー』と呼ばれたゲイ殺人鬼であったが、ゲイ殺人鬼は被害者数も飛躍的に多くなる傾向にある。

ゲイシーも33人殺害しているが、前述した3人も含め1970年代から1980年代のアメリカでは他に『ヒルサイド・ストラングラー』ことケネス・ビアンキー&アンジェロ・ブオーノ (1977年~1979年) やテッド・バンディ (1974年~1978年) 、ジェラルド・スタノ (1973年~1980年) やロドニー・アルカラ (1971年~1979年) 、ヘンリー・ルーカス (1960年~1983年) など少し挙げただけでもこれ程の人物がおり、数多くのシリアルキラーが暗躍した恐ろしい時代といえた。

ゲイシーは1994年に死刑が執行されたが、この年にはアンドレイ・チカチーロも処刑された。

また、ジェフリー・ダーマーもこの年に刑務所で殺害されており、偶然とはいえ何か運命を感じる。



* 追伸 *

5日間に渡って『キラー・クラウン』ことジョン・ゲイシーを掲載してきました。

ブログ開設から3年が経ちましたが、正直ここまで続けるとは思っていませんでした。

見知った内容だったと思いますが、数日間お付き合い頂き、誠にありがとうございました。