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ペッカ=エリック・オービネン (フィンランド)
【1989 ~ 2007】



ペッカ=エリック・オービネンは、1989年6月4日、フィンランド・トゥースラで生まれた。

オービネンは両親と兄弟1人がいるごく普通の4人家庭で生まれ育った。


2006年12月と2007年1月の間、オービネンの両親はオービネンを精神科の外来診療に連れて行く。

両親が医師にオービネンの入院を促すが、医師はオービネンの精神病は軽度と診断し、入院は必要ないと告げる。

そして、医師は入院よりも抗うつ剤の服用による回復を推奨した。

オービネンは自身の YouTube のアカウントに、「Sturmgeist89」という名前で動画を投稿していた。

それには犯行予告とされる動画があり、『Jokela High School Massacre 11/7/2007 (2007年11月7日ヨケラ高校大虐殺) 』と題され、オービネンが大音量のヘビメタの音楽をバッグにヨケラ高校の校舎をアップで映し、赤い背景の中でオービネンが銃を構えていた。

オービネンの自己紹介欄には、

「自己の大義の為、戦って死ぬつもりだ。私は『自然淘汰者』として人類の恥、自然淘汰の失敗だとみなす人間全員を始末する」

と書いていた。

また、事件当日7日の朝にもオービネンは投稿しており、それには『コロンバイン高校銃乱射事件』や『ブランチ・ダビディアン事件』、『オクラホマシティ爆破事件』等を称賛する内容と映像を投稿していた。

それら過激な動画は、フィンランドの調査当局から「The Amazing Atheist」として知られていたが、取り締まるというような行動を特に取らなかった。

また、オービネンは自身の YouTube のアカウントに銃を構えたりする動画をアップロードした (その様子は今も確認出来る) 。

その YouTube の動画で、オービネンは社会的疎外感に対する怒りを表明し、大虐殺を行うと宣言した。

そして、弱い心を持つ大衆に対して強く知的な人たちに対するイデオロギーを呼び掛けた。


同年10月、オービネンは銃の免許証を取得し (過去に犯罪歴がなかった為取得出来た) 、同年11月2日、22口径の銃の弾薬500個を購入した。

実はオービネンは同年8月31日に、フィンランドの首都ヘルシンキにあるシューティングクラブの会員になっていた。


同年11月7日、オービネンは自身の通うヨケラ高校へ向かう。

オービネンは1時限目の授業を欠席し、午前11時40分、学校のメイン廊下に立った。

すると、11時42分、1人の生徒と出会い射殺する。

この時の発砲音を生徒たちは銃声だとは思わなかった。

射殺後、オービネンはトイレに移動した。

トイレに移動したオービネンは、洗面所で2人を射殺する。

そして、オービネンはトイレの外に出てそこで見掛けた生徒を射殺する。

その後、オービネンは学校の看護師 (♀) に緊急サービスを呼び掛けるよう促した。

看護師は逃げるが、オービネンは逃げる看護師を撃ち、ついでに他の生徒も撃った。

この頃には他の生徒が最初の犠牲者の死体を発見し、学校はパニックとなる。

11時47分、ヘレナ・カルミ校長先生 (♀) が校内の銃撃を校内放送で告げ、各教室の教師と生徒にドアを閉めバリケードで塞ぐよう促した。

その後、オービネンは叫びながらランダムに発砲を始め、廊下の通路で合計53回発砲した。

その最中、オービネンはたまたま生徒の母親と遭遇しているが、その母親には発砲せず、とある教室に侵入する。

教室はバリケードで塞がれていたが、オービネンはバリケードのドアごしから3発撃った。

その後、オービネンは2階へ行き、2人の生徒が廊下にあるベンチに座っているのを確認する。

オービネンを見た生徒2人が逃げ出し、1人は無傷で逃げる事が出来たが、もう1人は射殺された。

オービネンは廊下の壁や床にガソリンとオイルを混ぜた物を注いで歩き、火を放つが上手く燃えなかった。

そして、オービネンは1階の食堂へ向かうが、スライドガラスのドアはロックされて中に入れなかった。

オービネンは中に入れるよう叫び、ガラスを突き破って無理やり中に入った。

食堂の内部はバリケードとして椅子が配置され、オービネンはその椅子に何度も足をとられた。

その隙に食堂で隠れていた生徒たちは部屋の反対側の出入口から逃げる事が出来た。

また、台所の背後にある部屋に隠れていた生徒たちも、オービネンが気付かず無事であった。

11時54分、カルミは学校を離れ、電話をかけて救助を頼んだ。

カルミは再び学校に戻ると、外に出て来ていたオービネンと遭遇する。

カルミはオービネンを説得するが、オービネンは聞き入れず、カルミに7発撃った。

オービネンは校内に戻り、教室のドアをロックして回った。

そして、とある教室に入った。

そこには複数の生徒がいたのだが、オービネンは生徒たちに革命の宣言を叫んだ。

その後、オービネンは生徒たちに学校の財産を破壊するよう強要した。

オービネンはテレビと窓を撃って破壊したが、生徒は誰も撃たず、教室を離れた。

数分後、オービネンは警察官と救急車が外に集中している様子を確認する。

オービネンは窓からそれらに向かって1発撃ったが、弾丸が窓ガラスを貫通せず不発に終わった。

12時4分、オービネンは正面玄関近くに構え、オービネンを説得しようと接近してきた警官に向かって2発撃った。

銃弾は警官に当たらなかったが、その後、オービネンは食堂の廊下へ歩き、そこで自身の頭を撃った。

14時45、オービネンは発見され、ヘルシンキにある病院に運ばれるが、22時15分に死亡が確認された。


犯人死亡により事件は解決したが、色々と問題が発覚した。

最初の緊急サービスコールは午前11時43分14秒に学生から通報されたのだが、その時、すでに学生から校内で銃を持った人がいるという事と救急車の要請があった。

しかし、オペレーターは電話越しに銃声が一切聞こえなかった事と、電話主の学生がパニックから銃を持った人がいるという事を上手く伝えられず、オペレーターは状況を理解出来なかった。

その為、最終的に校内で銃撃が行われていると気付いたのは11時46分であった。

11時55分に警察が現場に到着し、学生や教師を避難させた。

この時、まだ多くの学生が校内にいたが、警察は容疑者が1人なのか複数なのか情報が明確でなく、動くに動けなかった。

また、生きていたが致命傷を負っていたカルミを警察が見つけ保護するが、懸命な治療の甲斐なく死亡した。

結局、オービネンの銃撃による犠牲者は校長先生と生徒7人の合計8人で、負傷者は13人であった。

負傷者は皆上半身と頭部を負傷していた。

警察は現場で327発もの弾薬を見つけ、また、オービネンが書いたノートを見つけた。

オービネンはいじめられていた事がわかり、事件前に数々の奇怪な行動をとっていた事が判明した。

同級生によると、オービネンは事件前に銃で大量殺人を行う絵ばかり書いていたという。

ただ、オービネンは学校で特に問題を起こした事はなく、普通の家庭であったと述べた。

また、ヘルシンキ警察のサイバー犯罪部の広報担当者は、事件の前の10月に逮捕されたディロン・コスジー (♂) とオービネンが何らかの接触を行っていた可能性が高いと発表している。

事件後、当時のフィンランド大統領タルヤ・ハロネンが、哀悼の意を表明した。


余談だが、この『ヨケラ高校銃乱射事件』は、翌年の2008年9月23日に、以前掲載したマッティ・サアリが学校内で10人殺害するまで、フィンランドにおける最悪の被害者数であった。

また、スカンジナビア半島としても、2000年以降、サアリに抜かれるまで最悪の銃乱射事件であった。


最後に YouTube に投稿したオービネンの言葉で終わりたいと思います。

「何故、自分がこういう事をしたのか、何をやりたかったのか自分の胸に手をあてて考えてみろ。傲慢で視野が狭いお前らには一生理解出来ないだろう」



《殺人数》
8人 (他13人負傷)


《犯行期間》
2007年11月7日




∽ 総評 ∽

自身が通う学校へ赴き、8人を射殺したオービネン。

オービネンは自分勝手な考え方に陶酔し、支離滅裂な理由により凶行に及んだが、これは銃乱射事件を起こす犯人にはありがちな思考であった。

ただ、オービネンのような思考で犯行に及ぶ者は多いが、何故、オービネンがそのような考え方になったのかわからない。

アメリカでは銃乱射事件は日常茶飯事であり、珍しいという事はないが、フィンランドもかなり多い。

フィンランドは世界第3位の銃保有率を誇り、アメリカ同様銃による事件が後を絶たず、問題となっている。

最後に掲載したオービネンの言葉で、何故このような事をしたのか自分の胸に手をあてて聞いてみろと言っているが、まず、このような事をする人間の事を理解したくもないし、する必要もない。

また、視野が狭いお前らには一生わからないと言っているが、視野が狭いのは間違いなくオービネンであり、そもそも一生わかりたくもない。

両親が精神科に連れて行く程なので、日頃からオービネンの言動や行動が余程、異常だったのだろう。

それなのに医師が軽度だとして両親が進める入院を拒否したが、もし、この時入院していればその後の悲劇は生まれなかったかもしれない。

この事件が発生した後、入院させなかった医師は何を思ったのだろう。