image














アントゥアン・ブロンシテイン (アメリカ)
【1971 ~ 】



1991年2月22日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで警察が1台の車両を止める。

その車はフィラデルフィアにあるアパートで盗まれた車であった。

警察が運転手に話しかけた。

運転手はアントゥアン・ブロンシテインという19歳のロシア系ユダヤ人であった。

警察はブロンシテインに話を聞き、車内を調べると、銃を見つける。

そして、その銃を調べると、3日前の19日に射殺された宝石商ジェローム・スロボッドキン (♂) 殺害に使用されたものと同じだという事がわかった。

その事をブロンシテインに突きつけると、ブロンシテインはスロボッドキン殺害を認めた。

スロボッドキン殺害理由だが、ブロンシテインが宝石の価格で口論となり殺害に至ったと述べた。


1992年2月27日、ブロンシテインは裁判で有罪判決が下され、終身刑が言い渡された。

ブロンシテインの裁判が行われていた時、新聞報道は確たる結び付きはないとしたものの、ブロンシテインがロシアのマフィアの一員であり、宝石商殺害はマフィアの活動としての殺人だと報道した。


1993年6月2日、ブロンシテインは1991年1月11日にペンシルベニア州ダラスにある宝石店のオーナー、アレクサンダー・ガットマン (♂) 殺害容疑で起訴された。

この事件は未解決事件となっていたのだが、ブロンシテインによる犯行だと断定された。


1994年4月、ブロンシテインはガットマン殺害で有罪判決が下され、同年8月10日、ブロンシテインに死刑が言い渡された。


1997年7月16日、トム・リッジ知事は、ブロンシテインへの死刑執行令状にサインし、致死量の注射による死刑執行を認可した。


同年7月28日、ブロンシテインは上訴した。


1999年2月17日、リッジ知事はもう1つのブロンシテインの死刑執行にサインしたが、処刑される予定の日に執行されなかった。

その理由としてブロンシテインは逮捕後、一貫して無実を主張し続けていたのだが、その訴えを止める事を誓ったからだった。


2000年6月、ブロンシテインの上告は州最高裁判所によって満場一致で拒否された。


2001年7月5日、裁判官ローウェル・リードは、ブロンシテインのガットマン殺人について再調査するよう命じた。


2006年2月21日、最高裁判所はブロンシテインの死刑判決を棄却するよう指示した。


2007年10月、ブロンシテインは精神科医の診断を受け、人格障害及び鬱病と診断されている。


最後にブロンシテインが母親に言った言葉で終わりたいと思います。

「嘘や不公平な社会では、真実は死ななければならない。この社会に正義はない」



《殺人数》
2人


《犯行期間》
1991年1月11日、同年2月19日




∽ 総評 ∽

マフィアの一員として宝石商や宝石店のオーナーを殺害したブロンシテイン。

ブロンシテインはロシアマフィアの一員であり、そのマフィアの意向で宝石商らを殺害したと言われるが、本人が語らない為何とも言えない。

ただ、個人的には火のない所に煙は立たないので、間違いないと思われる。

ブロンシテインはロシア系ユダヤ人であったが、元々ロシアにいてアメリカに移住してきたのかアメリカ出身であったのかよくわからない。

また、ブロンシテインの成長過程もよくわかっていない。

ブロンシテインは逮捕後、控訴や精神病等により死刑が棄却されてしまった。

本人は無罪を主張し続けていたが、後に2度と無罪を主張しない代わりに死刑が執行されずに現在まで至ったが、遺族の悲しみたるや想像に難くない。

アメリカは日本よりも厳罰であると思うが、たまに納得のいかないルールが存在し、あまりいい気分にならない。