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陳 進興 (チェン・ジンシン 台湾)
【1958 ~ 1999】



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高 天民 (ガオ・ティェンミン 台湾)
【1960 ~ 1997】



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林 春生 (リン・チュンシォン 台湾)
【1959 ~ 1997】



陳進興は、1958年1月1日、台湾・三重市で生まれた。


陳は幼い頃、母親が離婚した為、祖母と一緒に暮らし、1964年、台北市万華区にある西門小学校に通った。

陳は学校の勉強は普通であったが、盗みやいじめ等を繰り返し、その為、陳は引っ越す事となった。


1969年、母親が再婚し、陳は母親と継父と生活するようになる。


1970年、陳は台北市の大同中学校に入学するが、学校で何度も校則違反を犯し、中学校を退学する。


1972年11月5日、陳はヒーターを盗んで逮捕され、保護観察処分となる。

しかし、陳は保護観察中にも関わらず、喫煙や飲酒を行い、保護観察違反により少年院に入れられる。


1973年10月7日、少年院から出て来た陳は、三重市で学生をナイフで刺して逮捕される。

陳は懲役2ヶ月を言い渡された。


1976年11月16日、陳は強盗を行い逮捕されると懲役15年が言い渡された。


1979年8月25日、陳は脱獄を試みた為、懲役1年が追加された。


1988年、陳は中華民国の第6・7代総統蒋経国の死去により恩赦となって減刑され釈放される。


1997年4月14日、陳は高天民 (1960年6月18日生まれ) と林春生 (1959年9月14日生まれ) と結託し、台湾の女優にして歌手の白冰冰 (パイ・ピンピン) の娘白暁燕 (パイ・シャオイェン 1980年6月23日生まれ) を拉致する。

暁燕はこの時、私立醒吾高級中学 (2年) に通う学生であり、通学途中に誘拐されたのだった。

陳らは暁燕を拉致すると暴行を加え、左手小指を切断し、母親の冰冰の元に送りつけた。

そして、身代金500万ドル (約5億円) を要求する。

冰冰は何とか身代金を用意したが、受け渡しに失敗してしまう。

その為、陳らは暁燕を殺害し (殺害されたのは18日か19日とされる) 、台北近郊の川に捨てた。


同年4月25日、警察が陳らのアジトを突き止め突入する。

しかし、4人の共犯者を逮捕するが、陳ら主要メンバーを取り逃がしてしまう。


同年4月28日、暁燕の遺体が発見される。

暁燕は胸や腹部、頭部を殴打された痕があり、肝臓破裂による出血により腹腔が膨張していた。

切断された左手小指には止血の為と思われる針金が巻かれており、両手を縛られていた。

死因は首に巻かれていたロープによる絞殺だという事がわかった。

身代金受け渡しが失敗したのは、マスコミの不手際が原因だとされた為、メディアへ対する批判が高まった。

暁燕の葬儀が行われるが、顔にはかつらと生前の顔を模した面が被せられた (真意は不明) 。

当時の台湾の総統・李登輝は、
「犯人らを発見次第、問答無用で射殺せよ」
という異例の命令を発表した。


同年8月19日、台北市内で陳らと警官800人との銃撃戦が展開される。

この銃撃戦により警官1人が死亡、1人が負傷する。

だが、林も6ヶ所に銃弾を受け、これまでだと判断した林は自らを撃って自殺した。

陳と高は逃走した。


同年10月23日、陳と高は台北市の整形外科病院を訪れ、無理やり整形を試みる。

そして、手術後、担当した医師とその妻を射殺。

看護師1人は強姦した後、射殺して更に逃走する。


同年11月17日、高は警官隊に包囲され、警官隊との銃撃戦が展開される。

しかし、これ以上逃げ切れないと悟った高は、林同様自らを撃って自殺した。


翌日の18日、陳は南アフリカ大使館の駐在武官官邸に人質5人をとって立て籠った。


同年11月19日、陳は逮捕される。


翌日の20日、陳の裁判が行われた。

陳は暁燕誘拐当日、高が運転する車に林と共に暁燕を車に連れ込んだと述べた。

その後、借りていた部屋に暁燕を連れて行き、林が暁燕の小指を切り落とした。

そして、暁燕が切り落とされた小指の痛みでわめいた為、黙らせる目的で3人で殴る蹴るの暴行を加え、強姦はせず、3人はそれぞれ自身の家に帰ったと供述した。

暁燕が死んだのはロープで首を絞めたからではなく、陳が暁燕に与えた餅を喉に詰まられた事による窒息死だと述べた。

だが、実際、暁燕の胃の中には食べ物が一切なかった。

陳は誘拐や殺害を行ったのは高と林であり、自分は指示に従っただけだと減刑を求めた。


しかし、1998年1月22日、陳に対し5件の殺人と誘拐、強盗、暴行等で有罪となり、5つの死刑と懲役59年9ヶ月が言い渡された。


1999年3月16日、高等法院は陳に対し、賠償金として1億7130万台湾元 (約6億3000万円) の支払いを命じた (この賠償金額は現在まで最高額) 。


同年10月6日、陳の死刑が執行された。

享年41歳。

肝心の陳らの犯行理由だが、現在では2つの説があり、長年に渡って台湾の暴力団追放運動に関わってきた冰冰に対する報復説と、冰冰に借金していたゲーム場経営者・張志成 (ヂャン・ヂーチョン) が、冰冰から返済を求められた為に陳らに依頼した説の2つのどちらかとされている。



≡ 備考 ≡

陳らによる暁燕への暴行は凄惨を極め、その詳細は日本にも広く伝わっている。

しかし、現在伝わっている凄惨な拷問の数々も、日本に大袈裟に伝わっているだけで、実際はそれ程ではなかったとも言われている。

実際、裁判で語られたのはすでに高や林が死んでいる為、陳のみの証言であり、陳も本当の事を言うはずがない。

その為、どれほどの拷問だったかはわからない (ただし、逆を言えばもっと酷かった可能性もあるが) 。

以下は語られる拷問の様子だが、一応参考までに掲載する (真意は不明) 。

肋骨の殆どが折られており、両手両足の爪が全て剥がされ、歯も殆ど抜かれていた。

髪はむしられ (葬儀の時にかつらを被せたのはその為とされる) 、両耳は爆竹を詰められた上に爆破され、子宮内には釘が48本入れられていた。

肛門と膣内には鉄パイプが突き刺されており、直腸が破裂し、膣腔裂傷、眼球はくり抜かれ、首にはワイヤーが巻き付いていた。

何度も輪姦された事による処女膜損傷に膣腔裂傷、肝臓破裂、頭部は鈍器で何度も殴られた痕があり、顔はぐちゃぐちゃになっていた。

死体の第一発見者は
「初め豚の死体かと思った」
と証言し (あまりの様子に人間に見えなかったからなのかは不明) 、検死官は、
「こんな凄惨な遺体をこれまで見た事がない」
と言ったとされる。

暁燕が泣き叫び、身代金受け取りが上手くいかなかった事による腹いせに輪姦、凄惨な集団暴行を加え、時間をかけて暁燕を惨殺した。

最後は手足に角材を縛り付け、重しを付けてドブ川に捨てたという。



《殺人》
5人
(他負傷者10人)

《犯行期間》
1997年4月14日~同年11月18日




∽ 総評 ∽

有名な女優の娘を拉致し、暴行の末殺害した陳たち。

しかも、陳と高は逃走する為に整形し、整形した医師や看護師を殺害した。

恐らく銃か何かで脅してやらせたのだろうが、看護師を殺す前に強姦するという誘拐殺人だけではない鬼畜振りを遺憾なく発揮した。

そもそも、3人の出会いがわからない。

陳に関しては幼少の様子がわかるが、他の2人は記載がなく (高と林は逮捕される前に死んでいる為だと思われる) 、どのような経緯で知り合ってこのような凶行に及んだのか詳細がない。

陳の裁判での供述は、死人に口なしを良いことにおそらく好き勝手言っている事だろう。

餅を喉に詰まられたとか、強姦してないなど、検死すれば1発でわかる事である。

また、誘拐や殺害を直接行ったのは高や林だとして減刑を求めたのも、まさに死人に口なしを良い事に好き勝手言っているだけで、犯行に多少の差はあれど、3人の罪は何も変わらない。

暁燕殺害に関しては凄惨な拷問の末、殺害されたとされるが、当事者がすでに全員死んでいる為、真意は不明である。

発見者の「豚の死骸かと思った」という発言により、「原型を留めない程の凄惨な拷問を受けたのでは」という発想に膨らんで伝わっているだけかもしれない。

強姦されていたのは事実だが、数々の凄惨な拷問については誇張されている可能性はある。

恐らく、日本人の梶原一騎氏の娘で、小指を送られた事、また、犯人たちの残忍性がこれほどまでに残酷な殺害に誇張された可能性があるが、個人的には限りなく黒に近いと思っている。

ただ、小指を切られたり強姦されたのは事実だが、顔は特に傷ついてる様子はなかったらしく、死体発見時には重しなどなく手を縛られていただけだったらしい。

だが、1人の少女が誘拐され強姦されて殺されたのは事実であり、拷問云々の真意は別として陳らが鬼畜な事にかわりはない。