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ティモシー・マクギー (アメリカ)
【1973 ~ 】



ティモシー・ジョゼフ・マクギーは、1973年4月27日、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。

マクギーの父親は家族を置いて仕事の為にアラスカに移動した。

その為、マクギーは父親のいない家庭で育った。

だが、マクギーは普段は近くの公園で遊んでいるごく普通の子供であった。


成長するとマクギーはロサンゼルスのアトウォーター・ヴィレッジにある『Toonerville RIfa 13』というギャングに入る。

マクギーは坊主頭だったが、後頭部に蛇を食べる鷲とメキシコ国旗のタトゥーを入れ、胸には『Toonerville RIfa』の頭文字を取った『TVR』のタトゥーを入れていた。


1989年、マクギー16歳の時、保護施設の警備員をショットガンで脅し、暴行を加えた。


1994年、マクギー21歳の時、暴行の罪で逮捕され、有罪判決を受けて刑務所に収監された。


マクギーは懲役4年を言い渡され、刑期を3年務めた後、1997年に仮釈放となった。


刑務所を出所したマクギーは、同年、ラスカルズ・フアン・カーディエル (♂) とペドロ・サンチェス (♂) を襲撃する。

実はカーディエルとサンチェスは、マクギーが所属する『Toonerville RIfa 13』と敵対するギャングのメンバーであった。

マクギーはカーディエルとサンチェスが『Toonerville RIfa』のテリトリーに侵入したとして襲ったのだった。

マクギーはカーディエルの背中を撃ち (この銃撃によりカーディエルは脊髄を損傷し、下半身不随となっている) 、サンチェスはガソリンスタンドに逃げた。

マクギーはサンチェスを追いかけ、ガソリンスタンドで撃ち合いとなり、マクギーの銃撃がサンチェスの背中に命中した (サンチェスは一命を取り留めている) 。

マクギーは2人を撃った後、逃走した。


同年10月14日、マクギーはロニー・マーティン (23歳♂) を殺害する。

マーティンは『Toonerville RIfa 13』の最大のライバルの1つ『Frog Town』というギャングのメンバーであった。

マクギーはマーティンを28発撃って射殺した。

この事件は長らく犯人が誰なのか判明せず、未解決事件となっていた。

マクギーはマーティン殺害後に再び逮捕されたが、これはマーティン殺害ではなく仮釈放違反による逮捕だった。


1999年3月、マクギーは仮釈放された後、ロサンゼルスの中では比較的犯罪発生率の低いサン・ガブリエル・バレーに住む祖母と一緒に住み始めた。


同年10月17日、アトウォーター・ヴィレッジにある音楽スタジオの入り口近くで、2人のラッパーが撮影を行っていた。

すぐ側にはボディーガードのドウェイン・デュプリー (23歳♂) がいたのだが、そこにマクギーともう1人が現れると突然銃撃を開始した。

この銃撃でデュプリーが死亡し、数人が負傷した。

肝心の動機だが、襲撃されたラッパーが以前、発売したアルバムで侮辱的な発言があったからだとされた。


2000年2月、マクギーは再び仮釈放違反を犯し、刑務所に戻る事となった。


しかし、マクギーは元々4年という懲役であり、すでに4年を刑務所で過ごしているという事で、刑務所に戻ってわずか2ヶ月後の4月に釈放された。

この時、警察はマクギーが刑務所から釈放される度にアトウォーター・ヴィレッジの犯罪が急増する事を実感していた。

当初、マクギーは色白だった為、『Eskimo (エスキモー) 』と呼ばれていたが、その後、その悪名の高さから『The Monster of Atwater (アトウォーターのモンスター) 』と呼ばれるようになる。


同年6月3日、マクギーはライバルのギャング『The Rascals』のメンバーであるライアン・ゴンザレス (16歳♂) を殺害する。

ゴンザレスはパーティーに出掛け帰宅する途中にマクギーに狙われたのだった。

このゴンザレス殺害は当初、犯人が誰だかわからなかったのだがすぐにマクギーが疑われた。

その理由は殺害されたゴンザレスは『Huero』というニックネームがあり、実はそのニックネームはマクギーも共有していた。

マクギーが同じ街に同じニックネームを持つ人間はいらないと考え、殺害したと警察は考えたのだった。

マクギーはゴンザレス殺害で逮捕状が出たが、マクギーを逮捕する事が出来なかった。

そして、マクギーはFBIから『Ten Most Wanted (10大最重要指名手配犯) 』の1人に指定された。


同年9月14日、ジョン・マーシャル高校の学生マーティ・グレゴリー・ロイバル (16歳♂) が、ロサンゼルス川の側で撃たれて殺害された。

また、ホームレスのデイヴィッド・ラモント・マーティン (33歳♂) も射殺された。

この2人の殺害は未解決事件となったが、マクギーによるものだとされた。


2001年、マクギーは麻薬関連の犯罪で仮釈放違反となり逮捕された。


マクギーは同年5月に仮釈放され、同年6月には9人が撃たれ6人が死亡し、3人が負傷するという銃撃事件が発生したが、これはマクギーが関与したとされた。


同年6月11日、マニュエル・アポダカ (21歳♂) は、妊娠しているガールフレンド、ニーナ・ゲレロと車でポモナの東を走っていた。

カリフォルニア州のフリーウェイを走っていると、マクギーが車に向かって発砲した。

アポダカは射殺され、ゲレロは頭を撃たれたが、一命を取り留め、お腹の子供も無事であった (しかし、重篤な脳障害を負った) 。

マクギーがアポダカを狙った理由は、アポダカが『The Rascals』のメンバーだったからだった。


同年7月、アトウォーター・ヴィレッジの家具倉庫で働いていたカルロス・ベラスコ (21歳♂) が殺害される。

ベラスコ殺害はマクギーで間違いないとされたが、証拠がなく結局、わからないままであった。


同年8月8日、アトウォーター・ヴィレッジに住むシェリ・ウィソツキー (46歳♀) とその母メアリー・アン (64歳) 、そして、シェリの隣人で友人のブリヤム・ロビンソン (38歳♂) の3人が殺害される。

シェリは以前、マクギーがマクギーの姉妹の家から薬品を売っていた事を警察に報告していた。

その為、報復により殺害されたとみられた。


同年11月8日、マクギーは同じギャングメンバーのエドゥワルド・ロドリゲスと共に仲間の死の報復の為、路上を徘徊して機を伺っていた。

そこにライバルのギャングのメンバーであるドゥエイン・ナティビダッドが車でやって来る。

車にはナティビダッドのガールフレンドのマージョリー・メンドーサ (25歳♀) とメンドーサの友人エリカ・リー (16歳♀) が乗っていた。

ナティビダッドとメンドーサにはマーク (5歳♂) 、ジャスティン (3歳♂) 、ネイサン (1歳♂) という3人の子供がいたが、この時、車には乗っていなかった。


翌日9日正午、マクギーとロドリゲスはナティビダッドの家に向かう。

ナティビダッドは家を出るとメンドーサとリーと共に車に乗った。

そして、車が走り出すと同時にマクギーとロドリゲスが車に向かって発砲した。

リーは後部座席で難を逃れ、ナティビダッドは右手に命中し、負傷した。

ナティビダッドはそのまま車を走らせるが、メンドーサには数発命中してしまう。

その後、ナティビダッドはメンドーサをグレンデール記念病院へ連れて行くが、メンドーサは死亡した。


翌日10日、ロドリゲスは逮捕される。


同年11月27日、警察はマクギーが未だ逃走中であると発表した。


同年11月29日、マクギーはクリスティーナ・デュラン (29歳♀) の後頭部を5発撃って射殺する。

デュランはマクギーのガールフレンドであったのだが、誕生日のこの日、パーティーをしていた所をマクギーに殺害されたのだった。

マクギーがデュランを殺害した理由だが、デュランはマクギーがメンドーサを殺害した際、実は犯行現場に携帯電話を落としていた。

それに気づいたマクギーが、デュランに携帯電話を取りに行かせたのだが、デュランは携帯電話を見つける事が出来なかった。

すると、警察が携帯電話を見つけ出し、回収する (この携帯電話が後の最終的な裁判の有力な証拠として採用されている) 。

殺害される2日前の27日に、デュランはマクギーがメンドーサを殺害した事を初めて知り、LAPD (ロサンゼルス市警察) にその事を告白した為、マクギーに殺害されたのだった。

デュランは警察にメンドーサ殺害を告白した際、マクギーからの報復が恐ろしいと目に見えて動揺していたという。


2002年8月28日、FBIはマクギーに対する有力な情報提供者には5万5000ドル (約700万円) の報酬を支払うと大々的に発表したが、何の情報も得られなかった。

実はこの時点でマクギーの事件は南カリフォルニアではほとんど報道されていなかった。

これほどの事件を起こしていながら国内メディアから驚くほど注目されていなかった。

しかし、ロサンゼルス・タイムズの記者ジャック・レオナルドは、
「現在、150以上存在するギャングの中で、マクギーの殺人事件は際立っていた」
と2002年時点においてマクギーは最も凶悪だと述べた。


2003年2月11日、マクギーに似ているという人物がアパートを出入りしているという情報が入る。

すぐに確認に向かうが、すでに外は暗くなっており、顔の確認は困難であった。

FBIはSWATチームを派遣し、監視体制に入った。

監視してから約20時間後、日付は12日になっていたが、女性が運転する車にマクギーが乗ったのを確認する。

そして、25人の警察官に取り囲まれついにマクギーは逮捕された。

運転手の女性はマクギーが凶悪な人間だと知らなかった。


裁判を待つ間、マクギーはアトウォーター・ヴィレッジのすぐ南にあるロサンゼルス郡中央刑務所に拘留された (この刑務所は世界最大の規模を誇る) 。

刑務所はマクギーのカリスマ的な影響力を警戒し、最高のセキュリティのエリアに収容された。


2005年1月7日、手作りのアルコールを飲んで酔っ払った受刑者ルドルフ・フォン・ゴンザレスが、刑務官4人に取り押さえられ、ゴンザレスは独房に入れられた。

実はマクギーとゴンザレスは小学校以来の知り合いで、このゴンザレスへの拘束に怒りをあらわにし、受刑者たちに刑務官を襲撃するよう指示した。

受刑者たちはマクギーの指示に従い、暴徒と化し、刑務官を襲撃した。

そして、20分かけてゴンザレスを独房から解放させた。

受刑者達の暴動は続き、刑務所内に火を放った。

この事態を受けて暴動鎮圧用機動隊が召集され、翌日の午前2時までに暴動は鎮圧された。

マクギーは自身が攻撃した刑務官が生きていると聞かされ、

「次回、私は彼を突き殺さなければならない」

と発言した。


2007年9月27日、マクギーは、マーティン、ゴンザレス、メンドーサ3人の殺害と、トーマス・ベイカー (♂) 、カルロス・ランガリカ (♂) 、ナティビダッド、リー、サンチェス、カルディエル6人への殺人未遂で起訴された。

検察は当初、他に9件の殺人でも起訴を考えていたが、証拠不十分であった為、断念した。

裁判で警察と検察は、マクギーをロサンゼルスで最も恐れられたギャングのメンバーの中でも凶悪さは群を抜いていると供述し、マクギーを「冷血の殺人者」と評した。

また、検察はマクギーは復讐の為に殺人を行うギャングメンバーとは違って、マクギーの殺人はスポーツのように楽しんでいたと非難した。

マクギーは裁判では常に堂々と振る舞い、傍聴に来ている人達に不気味な笑みを見せた。


同年10月25日、マクギーは8人の男性と4人の女性からなる陪審により、2人の殺人と4人の殺人未遂で有罪判決が下された。


紆余曲折を経て、2009年1月9日、マクギーには死刑が言い渡された。

また、死刑とは別に複数の終身刑が言い渡された。


最後にマクギーが殺害した1人に言い放った言葉で終わりたいと思います。

「人間のように死ね」



《殺人数》
12人以上
(20人以上の可能性大)

《犯行期間》
1997年10月14日~2001年11月29日




∽ 総評 ∽

『Eskimo』または『The Monster of Atwater』と呼ばれ、凶悪なギャングの中でも群を抜く狂暴性を発揮したマクギー。

マクギーはロサンゼルス近郊で最も恐れられたギャングのメンバーであったが、そのギャングの中でも一際異彩を放った。

マクギーは裁判で「まるでスポーツのように殺人を楽しんだ」と言われたがまさにその通りであり、復讐や報復というのはきっかけに過ぎず殺人を進んで行った。

殺人に躊躇や迷いが一切なく、まさに殺人マシンといっても過言ではないくらい異常であった。

マクギーは実際は3人の殺害で起訴され、他の殺人に関しては確実な証拠がなくわからない。

ただ、マクギーがギャングの一員であり、その凶悪性を考えればまず間違いないと言っていいだろう。

アメリカや南米ではギャングが横行し、その犯罪が問題になっているが、これまで何人ものギャングのメンバーを紹介してきた。

その中でもマクギーは屈指の凶悪振りと言えよう。