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リカルド・バレーダ (アルゼンチン)
【 1936 ~ 2020 】



リカルド・アルバート・バレーダは、1936年6月16日、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラ・プラタで生まれた。

バレーダは幼い頃から努力家で、成長すると歯科を学んだ。

そして、バレーダはラ・プラタで歯科医として働き始めた。

バレーダはその仕事ぶりから同僚や患者から尊敬を集めていた。

ラ・プラタの裕福な家庭の人達の多くがバレーダの患者であった。

バレーダはグラディス・マクドナルドと結婚し、セシリアとアドリアーナという2人の娘が生まれた。

一家はグラディスの母エレナ・アーリッシュを含め、5人で暮らしていた。


1992年11月15日朝、バレーダは目が覚めると、天井に蜘蛛の巣がある事に気付いた。

バレーダはそれを取り除こうとグラディスに話すと、グラディスは呆れた様子で
「それは猫のやる事で猫の方が上手く出来る」
と答え、グラディスはバレーダに対して軽蔑するような態度をとった。

その事に怒りを覚えたバレーダは、散弾銃を持ち出し、弾の入ったカートリッジをポケットに入れた。

そして、台所に向かうとそこにはグラディス (当時57歳) とアドリアーナ (当時24歳) がいた。

バレーダはまずグラディスに発砲して射殺すると、続いてアドリアーナに発砲して射殺した。

その後、エレナ (86歳) とセシリア (26歳) を射殺した。

4人を殺害後、バレーダは使用したカートリッジを拾いトランクに入れた。

バレーダは犯行を強盗の仕業に見せる為に家の中を細工し、家を出た。

深夜にバレーダは帰宅し、バレーダは救急車を呼んだ。

警察がかけつけると、自分が戻った時にはこうなっており、強盗の仕業だと告げた。

しかし、警察はハレーダの対応が一家が殺害されたにも関わらず、あまりに冷静であった為、警察はバレーダを怪しむ。

そして、警察はバレーダを警察署に連れて行き、尋問するとバレーダは4人の殺害を自白した。


1995年8月14日、裁判でバレーダは非常に冷静に事件の詳細を語った。

バレーダを診察した専門家によると、
「彼は妄想精神病である」
と述べた。


同年8月15日、バレーダには終身刑が言い渡された。

刑務所に入ったバレーダは、法律の勉強を始めた。

バレーダは文通で知り合った女性に、

「起こった事は非常に残念。深い痛みに苦悩している」

と手紙に書いている。


2008年5月3日、バレーダは刑務所での行いが良く模範囚であった為、釈放され自宅軟禁
となった。


2011年1月21日、バレーダは許可なしにアパートを出て薬局へ行った。

自宅軟禁なので許可のない外出は許されていなかったが、バレーダは

「緊急だった」

と述べた。


同年2月10日、審査員がバレーダの違反行為を審査する。


同年3月29日、バレーダは刑務所に戻る事となった。


2020年5月25日、アルツハイマー病にかかっていたバレーダは、心肺停止により死去した。

享年83歳。


最後にバレーダの事件前に周囲に言っていた言葉で終わりたいと思います。

「私たちは病気の家族です」



《殺人数》
4人


《犯行期間》
1992年11月15日




∽ 総評 ∽

『El Dentista Asesino (歯科医の殺人者) 』と呼ばれ、妻や子供を皆殺しにしたバレーダ。

バレーダのように家族を全員殺害するというのはこれまで何人か紹介している通り特に珍しいという事はない。

また、このような突発的犯行に及ぶ場合は原因も様々で、このバレーダのように些細な事だったり、なるべくしてなるようなものだったり、理解不能であったりと多種多様である。

きっかけが妻の一言であるが、元々何らかの事情が夫婦間や家族間にあったと思われる。

そうでなければきっかけを作った妻だけ殺せばいい話で、家族を皆殺しにする必要はない。

義母と妻、そして、娘2人と家は完全に女性主体の家庭だと思われ、バレーダは家の中で肩身の狭い思いをしていたのではないだろうか。

それを日頃から感じ、我慢して過ごしていたが、妻の一言で爆発してしまったのではないのかと思う。