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ジルベルト・チャンバ (エクアドル)
【1963 ~ 】



ジルベルト・アントニオ・チャンバは、1963年、エクアドル・マチャラで生まれた。


チャンバはタクシーを所有しており、それを犯罪に利用していた (チャンバ自身がタクシードライバーだったかは不明) 。

そして、チャンバは1988年から1993年の間、1人で歩いている若い学生ばかりを標的として殺人を行う。

チャンバは殺害後、捜査を撹乱させる為に死体をバラバラにして現場から離れた所に捨てた。

また、チャンバは犠牲者を強姦していた。

事件が公になると、チャンバは『El Monstruo de Machala (マチャラの怪物) 』と呼ばれるようになり、エクアドル全土が震撼した。

チャンバによる犠牲者は10人に及び、その内、2人は未成年であった。

また、襲われたが助かった女性が2人おり、その女性の証言によりチャンバは逮捕された。

逮捕されたチャンバは、女性に対する暴行の罪により懲役16年が言い渡された。


刑務所に収監されたチャンバだったが、刑務所では模範囚として過ごし、また、恩赦により刑が半分となった。

その為、2000年11月9日、チャンバは7年の刑期を終え出所した。

出所したチャンバは、マリエラという女性と結婚し、娘も生まれた。

その後、チャンバは家族と共にスペインの首都マドリードへ引っ越した (エクアドルの言語はスペイン語) 。

マドリードへ引っ越したチャンバは、様々な仕事に就いた。


2004年9月、最終的にチャンバは、リェイダで複合娯楽施設の駐車場を管理する仕事に就いた。


同年11月23日、学生のマリア・イザベル・バスクナーナ (♀) が行方不明となる。

2日後の25日、バスクナーナの死体が行方不明となった場所から数ブロック離れた場所で見つかった。

バスクナーナは強姦されており、死体はバラバラにされいくつかのゴミ袋の中に入れられていた。

このバスクナーナ殺害については、怨恨や恋愛のもつれ等、様々な仮説が立てられ、友人等も容疑者とされた。

しかし、スペイン警察が捜査を進めると、バスクナーナの友人たちの証言から、容疑者としてチャンバの名が浮上する。


そして、同年12月8日、警察はチャンバをバスクナーナ殺害容疑で逮捕した。

警察はチャンバの車から犯行に使用した手袋とゴミ袋を発見した。

また、チャンバの精液がバスクナーナの膣内から発見された。


裁判でチャンバはエクアドルで8人、スペインで1人の合計9人殺害した事が判明した。


2006年12月5日、裁判でチャンバには懲役45年が言い渡された。



《殺人数》
9人
(他強姦2人)

《犯行期間》
1988年~2004年11月23日




∽ 総評 ∽

『El Monstruo de Machala』と呼ばれ、9人を強姦して殺害したチャンバ。

チャンバがこれほど異常になった理由が、幼少の詳細や生活環境がわからない為よくわからない。

また、チャンバが標的としたのは若い学生という事くらいで、誰を狙ったのか名前も最後のバスクナーナ以外わかっていない。

チャンバは捜査を撹乱させる為、死体をバラバラにしてわさわざ離れた所に捨てた。

しかも、模範囚として過ごして刑期を短縮させたが、これは恐らく計算であった。

チャンバ無駄にずる賢く狡猾で、その生き様は見ていて嫌な気分にしかならない。

チャンバが犯行を行ったエクアドルは南米であるが、南米ではこれまで何人も紹介してきた通り、異様な事件が多く、しかも、被害者が異常に多くなる傾向にある。

バスクナーナは1度逮捕されたが、模範囚と恩赦により大幅に刑が軽減された。

もし、それがなければスペインに移住する事もなく、犠牲者が出なかった可能性が高い。

そう考えると残念でならない。