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ゲイリー・ハンドレン (カナダ)
【1947 ~ 】



1969年、ゲイリー・テイラー・ハンドレン22歳の時、暴行の罪で逮捕される。

裁判でハンドレンは懲役6ヶ月が言い渡された。


1971年、ハンドレンは強姦の罪で逮捕され、裁判で懲役5年6ヶ月が言い渡された。


1975年9月24日、ブリティッシュコロンビア州アボッツフォードで、ハンドレンはキャスリン・メアリー・ハーバート (11歳♀) の帰宅途中を襲う。

そして、ハンドレンはハーバートを強姦した後、殺害する。

殺害後、ハンドレンはハーバートの死体をアボッツフォードの北部に運び捨てた。

実はハンドレンとハーバートの家族は元々知り合いであり、その為、ハンドレンはハーバートの事をもちろん知っていた。

ハンドレンは以前からハーバートの事が気になっており、ついに行動を起こしたのだった。


1978年5月6日、ブリティッシュコロンビア州メリットのニコラ・ランチ近郊で、モニカ・ジャック (12歳♀) が自転車に乗っていた所、行方不明となる。

翌日、ジャックの自転車がメリット北部の農村地帯で発見されたが、ジャックはとうとう見つからなかった。


同年9月、ブリティッシュコロンビア州ホープ近郊で、女性がヒッチハイクしていた。

ハンドレンは車を止め、女性を車に乗せると襲い掛かり、何度も強姦した。

その後、ハンドレンは女性を引きずり出すと喉を突き刺し、首を絞めて窒息させた。

しかし、女性は何とか逃げる事が出来、半裸の状態で逃走した。

女性は他の車に拾われ、すぐに警察に駆けつけた。

ハンドレンは女性に対する強姦と暴行の罪で逮捕され、裁判で懲役18年が言い渡された (後に12年に減刑されている) 。


刑期を終え出所したハンドレンは、アルバータ州エドモントンに住み、その後はオンタリオ州ミンデンに住んだ。

警察はハーバートとジャック殺害の捜査を進めていたが、なかなか犯人逮捕には至らなかった。

理由はハーバートとジャックは、未解決事件となっている『Highway of Tears』の犠牲者の1人とされたからだった。


1995年6月、ジャックの死体が発見される。


2014年12月1日、RCMP (王立カナダ騎馬警察) が、ハーバートとジャック殺害の犯人がハンドレンであると発表する。


翌日の2日、ハンドレンは拘束された。


2015年6月、裁判所はハンドレンの保釈を拒否している。



《殺人数》
2人
(他強姦被害者多数)

《犯行期間》
1975年9月24日、1978年5月6日




∽ 総評 ∽

少女2人を強姦して無惨に殺害したハンドレン。

ハンドレンのような少女を好む者をペドフィリア (小児性愛) といい、シリアルキラーには非常に多い。

ハンドレンがそもそも少女を好むようになった理由はよくわからないが、ペドフィリアは成長して目覚めるより天性の場合が多いと言われている。

ハンドレンもおそらく天性だったと思われる。

ハンドレンは何度か逮捕されたが、それは殺人ではなかった為、その都度釈放されてしまった。

最初の段階でしっかりと裁き、更生やそれが不可能であれば終身刑にしていればこれほどの被害になる事はなかった。

強姦魔は更生は難しく、しかも、ハンドレンの場合はそれにペドフィリアも加わっており、まず更生は不可能と言える。

被害者が運よく逃げ切る事が出来た為、強姦殺人ではなくなったが、そんな悪質な罪がわずか懲役18年で、しかも、後に12年に減刑される。

正直呆れて言葉もない。