ダスティン・ホンケン (アメリカ)
【 1968 ~ 2020 】
アンジェラ・ジョンソン (アメリカ)
アンジェラ・ジョンソン (アメリカ)
【 1964 ~ 】
ダスティン・リー・ホンケンは、1968年3月22日、アンジェラ・ジェーン・ジョンソンは、1964年1月17日、アメリカ・アイオワ州フォレストシティで生まれた。
1993年3月21日、ホンケンは共犯者のティモシー・カットコムとアイオワ州メイソン・シティで薬物関連の罪で逮捕される。
同年3月26日、ホンケンは連邦裁判所で人身売買の容疑で起訴された。
同年7月3日、ジョンソンは拳銃所持の許可の申請書を提出し、4日後、申請が通ったジョンソンは質屋で9mmの拳銃を購入した。
同年7月25日、ジョンソンは電話帳の営業を装いローリー・アン・ダンカン (31歳♀) の家を訪ねた。
ダンカンは女性という事もあり、安心してジョンソンを家に招き入れた。
すると、ジョンソンはボーイフレンドのホンケンをダンカンの家の中に導いた。
ダンカンの家にはボーイフレンドのグレッグ・ニコルソン、ダンカンの2人の娘カンダス (10歳) とアンバー (6歳) がいたのだが、ホンケンは4人を次々と撃って射殺した。
ジョンソンとホンケンは、殺害する前に1人を連れ出し、強制的に告白させた様子をビデオテープに録画した (誰でどのような内容なのかはよくわかっていない) 。
その後、ジョンソンとホンケンは4人の死体を運んで捨てた。
翌日、一家が行方不明であると通報があり、警察は捜査を進めるが見つける事が出来なかった。
同年11月5日、ジョンソンとホンケンはテリー・デゲウス (32歳♂) を殺害する。
デゲウスは以前、ホンケンに麻薬の貸し借りについて過去に揉めた事があり、バットで殴られた後、銃で数発撃たれて死亡した。
1996年4月29日、ホンケンはカットコムと1993年からメタンフェタミンを製造し、売り捌いているとして逮捕された。
同年6月11日、メタンフェタミンを製造する為に使用される化学物質はジョンソンの家の貯蔵庫に保管されており、全て押収された。
1997年6月2日、ホンケンはメタンフェタミン製造と売買に関する陰謀1件、薬物の違法製造1件の罪で有罪判決が下された。
1998年2月24日、ホンケンは懲役27年の判決が言い渡された。
2000年7月、ジョンソンはダンカン親子殺害で逮捕された。
同年10月13日、ジョンソンの供述よりダンカンやニコルソン、子供ら4人の死体がメーソン・シティの西にある森林地帯で見つかった。
また、ジョンソンはデゲウス殺害も自白したが、5人を直接撃って殺害したのは、すでに逮捕されているホンケンだと述べた。
2001年7月にはホンケンが、8月にはジョンソンがそれぞれ殺人罪で起訴された。
だが、ホンケンは無罪を主張した。
2005年10月11日、連邦裁判所でホンケンは死刑が言い渡された。
ホンケンはアイオワ州で死刑を宣告されたのだが、アイオワ州では1965年に死刑を廃止していた。
しかし、アイオワ州では何度も死刑復活が試みられていた。
その為、ホンケンは廃止以降、41年振りに死刑を宣告された人物となった。
同年12月19日、連邦裁判所でジョンソンは死刑が言い渡された。
このジョンソンに下された死刑判決は、連邦裁判所としては1950年代以降、女性に下された初めての事であった。
また、ジョンソンは1900年以降、死刑判決が下された49人目の女性であった。
余談だが、ジョンソンはダンカン殺害時、ホンケンの子供を妊娠していた事がわかった (殺人から逮捕まで7年経ってるのでおそらく生んだと思われるが詳細は不明) 。
2014年10月、ジョンソンの死刑は仮釈放のない終身刑に変更された。
ダスティン・リー・ホンケンは、1968年3月22日、アンジェラ・ジェーン・ジョンソンは、1964年1月17日、アメリカ・アイオワ州フォレストシティで生まれた。
1993年3月21日、ホンケンは共犯者のティモシー・カットコムとアイオワ州メイソン・シティで薬物関連の罪で逮捕される。
同年3月26日、ホンケンは連邦裁判所で人身売買の容疑で起訴された。
同年7月3日、ジョンソンは拳銃所持の許可の申請書を提出し、4日後、申請が通ったジョンソンは質屋で9mmの拳銃を購入した。
同年7月25日、ジョンソンは電話帳の営業を装いローリー・アン・ダンカン (31歳♀) の家を訪ねた。
ダンカンは女性という事もあり、安心してジョンソンを家に招き入れた。
すると、ジョンソンはボーイフレンドのホンケンをダンカンの家の中に導いた。
ダンカンの家にはボーイフレンドのグレッグ・ニコルソン、ダンカンの2人の娘カンダス (10歳) とアンバー (6歳) がいたのだが、ホンケンは4人を次々と撃って射殺した。
ジョンソンとホンケンは、殺害する前に1人を連れ出し、強制的に告白させた様子をビデオテープに録画した (誰でどのような内容なのかはよくわかっていない) 。
その後、ジョンソンとホンケンは4人の死体を運んで捨てた。
翌日、一家が行方不明であると通報があり、警察は捜査を進めるが見つける事が出来なかった。
同年11月5日、ジョンソンとホンケンはテリー・デゲウス (32歳♂) を殺害する。
デゲウスは以前、ホンケンに麻薬の貸し借りについて過去に揉めた事があり、バットで殴られた後、銃で数発撃たれて死亡した。
1996年4月29日、ホンケンはカットコムと1993年からメタンフェタミンを製造し、売り捌いているとして逮捕された。
同年6月11日、メタンフェタミンを製造する為に使用される化学物質はジョンソンの家の貯蔵庫に保管されており、全て押収された。
1997年6月2日、ホンケンはメタンフェタミン製造と売買に関する陰謀1件、薬物の違法製造1件の罪で有罪判決が下された。
1998年2月24日、ホンケンは懲役27年の判決が言い渡された。
2000年7月、ジョンソンはダンカン親子殺害で逮捕された。
同年10月13日、ジョンソンの供述よりダンカンやニコルソン、子供ら4人の死体がメーソン・シティの西にある森林地帯で見つかった。
また、ジョンソンはデゲウス殺害も自白したが、5人を直接撃って殺害したのは、すでに逮捕されているホンケンだと述べた。
2001年7月にはホンケンが、8月にはジョンソンがそれぞれ殺人罪で起訴された。
だが、ホンケンは無罪を主張した。
2005年10月11日、連邦裁判所でホンケンは死刑が言い渡された。
ホンケンはアイオワ州で死刑を宣告されたのだが、アイオワ州では1965年に死刑を廃止していた。
しかし、アイオワ州では何度も死刑復活が試みられていた。
その為、ホンケンは廃止以降、41年振りに死刑を宣告された人物となった。
同年12月19日、連邦裁判所でジョンソンは死刑が言い渡された。
このジョンソンに下された死刑判決は、連邦裁判所としては1950年代以降、女性に下された初めての事であった。
また、ジョンソンは1900年以降、死刑判決が下された49人目の女性であった。
余談だが、ジョンソンはダンカン殺害時、ホンケンの子供を妊娠していた事がわかった (殺人から逮捕まで7年経ってるのでおそらく生んだと思われるが詳細は不明) 。
2014年10月、ジョンソンの死刑は仮釈放のない終身刑に変更された。
2020年7月17日、ホンケンに致死量の注射による死刑が執行された。
享年52歳。
最後の声明は
「神の母、私の為に祈って下さい」
であった。
最後に刑務所に収監されたホンケンが、殺人について語った言葉で終わりたいと思います。
「それ (殺人) は非常に気持ちが高揚した」
∽ 総評 ∽
カップルで結託し、強盗目的で犯行に及んだホンケンとジョンソン。
カップルによる犯行というのはこれまで何組も紹介しており、さして珍しいという事はない。
ホンケンとジョンソンは生まれた月日はもちろん、どのような幼少時代を過ごしたのかわからない。
また、2人がどのように知り合い、どのような経緯で犯罪を始めるようになったのかもよくわからない。
男同士の犯罪コンビの場合は、刑務所で知り合い意気投合するというパターンが多いが、カップルなのでそういう出会いではないだろう。
まあ異常者同士惹かれあっただけだと思われる。
こういった犯罪カップルの場合、どちらかが主導で犯罪が行われるもので、その場合大概が男性の方が主導で行われる。
しかし、このホンケンとジョンソンの場合は、どちらとも言えず、ほぼ同じくらいの力関係だったと思われる。
ホンケンとジョンソンは殺害する直前にダンカンかニコルソン (子供たちの可能性もあるがおそらくこの2人のどちらか) に告白させたビデオを撮影しているが、内容についてはわからない。
内容がわからない為何とも言えないが、殺されるとわかっている状態でそんな事をやらされる心境は想像を絶する。
まさに非情極まりなく2人はこれ以上ない鬼畜と言える。
ホンケンは人身売買で起訴されたが、そのわずか3ヶ月後にジョンソンと共に4人殺害している。
証拠がなかった為釈放されたのか、保釈金により保釈されたのか、詳細がない為よくわからない。
何にせよ外に出した事で犠牲者を出したのは事実であり、この時にしっかりと対応していればその後の被害を防げた可能性があると考えると悔やまれてならない。
ホンケンはアイオワ州において41年振りに死刑を宣告され、ジョンソンは1950年以降、連邦裁判所としては女性初の死刑宣告となった。
そう言った意味では歴史的には非常に珍しい2人と言える。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 5人
《犯行期間:1993年7月25日、同年11月4日》
最後に刑務所に収監されたホンケンが、殺人について語った言葉で終わりたいと思います。
「それ (殺人) は非常に気持ちが高揚した」
∽ 総評 ∽
カップルで結託し、強盗目的で犯行に及んだホンケンとジョンソン。
カップルによる犯行というのはこれまで何組も紹介しており、さして珍しいという事はない。
ホンケンとジョンソンは生まれた月日はもちろん、どのような幼少時代を過ごしたのかわからない。
また、2人がどのように知り合い、どのような経緯で犯罪を始めるようになったのかもよくわからない。
男同士の犯罪コンビの場合は、刑務所で知り合い意気投合するというパターンが多いが、カップルなのでそういう出会いではないだろう。
まあ異常者同士惹かれあっただけだと思われる。
こういった犯罪カップルの場合、どちらかが主導で犯罪が行われるもので、その場合大概が男性の方が主導で行われる。
しかし、このホンケンとジョンソンの場合は、どちらとも言えず、ほぼ同じくらいの力関係だったと思われる。
ホンケンとジョンソンは殺害する直前にダンカンかニコルソン (子供たちの可能性もあるがおそらくこの2人のどちらか) に告白させたビデオを撮影しているが、内容についてはわからない。
内容がわからない為何とも言えないが、殺されるとわかっている状態でそんな事をやらされる心境は想像を絶する。
まさに非情極まりなく2人はこれ以上ない鬼畜と言える。
ホンケンは人身売買で起訴されたが、そのわずか3ヶ月後にジョンソンと共に4人殺害している。
証拠がなかった為釈放されたのか、保釈金により保釈されたのか、詳細がない為よくわからない。
何にせよ外に出した事で犠牲者を出したのは事実であり、この時にしっかりと対応していればその後の被害を防げた可能性があると考えると悔やまれてならない。
ホンケンはアイオワ州において41年振りに死刑を宣告され、ジョンソンは1950年以降、連邦裁判所としては女性初の死刑宣告となった。
そう言った意味では歴史的には非常に珍しい2人と言える。
【評価】※個人的見解
・衝撃度 ★★★★★★★★☆☆
・残虐度 ★★★★★★☆☆☆☆
・異常性 ★★★★★★★★☆☆
・特異性 ★★★★★★★☆☆☆
・殺人数 5人
《犯行期間:1993年7月25日、同年11月4日》
コメント
コメント一覧 (10)
殺人を犯して気持ちが高揚したというホンケンも大概な人物ですが、個人的にはジョンソンの方に腹が立ちます。自分のお腹に子供がいるのによく子供を殺せるなと思います。終身刑に変更しなくても良かったのでは?
確かにジョンソンはかなり危険で腹立たしいです。
仰る通りよく子供を容赦なく殺せるものだと思います。
ただ、女性はいざとなると男性とは比べられないくらい残酷な時が多いと思いますね。
私も死刑で良いと思いますね。
女性というのはあるかもしれませんが、変更する理由がわからないですね。
まあ確かに子供に罪はないかと思いますが、少なくともこの2人にだけは育てさせちゃいけませんね。
それはあるかもしれませんね。
こんな親でも親は親と言う事でしょうか。
こんな親に育てられるのは間違いなくダメですね。
そして、でました!無罪を主張!もう何を言っても刑が軽くなることはないような犯罪だから、思い切ってダメ元で言ってるのだろうか・・・
そうですね。
不思議と「類は友を呼ぶ」で出会ってしまいますね。
ダメもとはあるかもしれませんね。
ラッキーパンチじゃないですけど、もしかしたら無罪になるかもって思って言ってるのかもしれませんね。
そのまま死刑にすればいいのにと思いました。
終身刑ほど中途半端で厄介な物はありませんからね。
遺族の悲しみも癒せないし、お金はベラボーにかかるし更生もできないとあっても厄介なものだけです。
対して死刑は残酷で野蛮かもしれませんが、遺族の悲しみもかなり軽減できるし再犯も防げるので荒っぽいものかもしれないけど人間社会からなくしてはいけないものです。。
多分、子供を生んだというのが多少影響したのかもしれませんね。
私は死刑は残酷とも野蛮とも思わないです。
残酷で野蛮なのは犯罪者です。
コロナの再拡大や三浦春馬氏の自殺、異常な長雨などで気が滅入ってた時にこのニュースを聞いたので少し気が晴れました。
そのようですね。
追記致しました。